『英雄帰天編9 ~忠義な男の生きざま~』
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『忠義な男の生きざま』 

前回は、龐統の死の話をしました。
今回は、忠義な男の生きざまという話をしてみたいと思います。

【孔明、益州へ向かう】

 龐統の死によって打撃を受けた劉備はフウ城に籠って荊州の孔明に援軍の要請をします
数日後、孔明のもとに使者の関平(関羽の養子)が昼夜駆けつけ、龐統の訃報を届けました。
孔明は、龐統の死の知らせに号泣します
かつて襄陽で共に学んだ友を失って嘆かずにはいられなかったのです。

 しかし、いつまでも嘆き悲しんではいられません。
主君の劉備が軍師を失い益州(蜀)攻略に行き詰まり、フウ城に籠城しているからです。
孔明は劉備の要請に応えて益州に出陣することにしますが、馬良などが「荊州を誰が守るのか」ということを心配します。
その指示は劉備から出ていませんでしたが、孔明は劉備の意図を汲み取ります。
使者として関平を使わしたということは、「荊州を関羽に任せろ」という意思だと忖度したのです。

 ただ、孔明としては関羽に荊州を任せることに不安がありました
それは関羽の傲慢な性格です。
そこで孔明は、関羽に考えを問いただします。
「曹操が攻め入ってきたら、どうするつもりだ?」
「迎えうちます」
「ならば、曹操と孫権が手を組んで同時に攻めてきたらどうするか?」
関羽は少し思案して「兵を分けてあたります」と答えます。
その返答に対して孔明は「それでは危うい」と言って、関羽に戒めを与えます

 その戒めとは、

「北は曹操を防ぎ、東は孫権と和する」
これは孔明の天下三分の計の基本戦略です。

関羽は、本音を隠して孔明の戒めにしぶしぶ従ってみせるのでした。
こうして、孔明は関羽に荊州守備の全権の印綬を与えて、張飛、趙雲をともなって益州へと向かったのです。

【張飛VS厳顔】

 一方、荊州から孔明が出陣したことを知った劉璋は、各地の城に激を飛ばして益州死守を命じます。
それに対抗するために孔明は、張飛に一万の兵を与えて巴群からラク城の西へ向かわせます。
しかし、乱暴者の張飛を心配して注意事項を指示します。
それは、略奪狼藉は厳禁非道な振る舞いはしない出来るだけ戦わずして勝つ、と命じます。
できるだけ戦うなという孔明の指示に驚き憤慨する張飛に、孔明は諭すように言って聞かせます。
益州は劉備が生涯の地盤とする特別な国。いたずらに血を流して国を手に入れたとしても、後々の禍根を残すことになる。国内に敵を残さないためにも戦わずして勝つことを心掛けろ。
まるで戦うなとでも言いたげな孔明の言葉に納得できない張飛でしたが、劉備のためにそうするのだ、という言葉で孔明の指示に従うことにするのでした。
張飛を先に出陣させると、自身は趙雲を先鋒にして川をさかのぼってラク城に向かうことにします。

 張飛はラク城へ向かう途中、各地の益州軍の猛反撃を受けますが、これを次々と撃破していきます。
張飛はこのとき、孔明の指示をしっかりと守り、降参してきた者や領民たちに危害を加えることなく進軍を続けていきました
進軍を続ける張飛の前に立ち塞がったのは、巴城を守る老将の厳顔でした。
巴城は難攻不落の強固な砦で知られている城です。
張飛とすれば力攻めにして一気に城を落したい気持ちでしたが、孔明の指示に従って部下を使者として送り厳顔に降伏するように伝えます。

 張飛の使者が厳顔に伝えた内容は、「ただちに降伏すれば助けるが、逆らうならば老若男女を問わず城内のものを皆殺しにする」というものでした。
それを聞いた厳顔は激怒して、使者の耳と鼻を斬って落とします。

 厳顔の無礼に怒った張飛は巴城に攻め寄せます。
しかし、名将厳顔が守る巴城は守りが固く、三日間攻め続けても落ちませんでした。
降伏させることも、攻め落とすことも出来ずに行き詰った張飛は考えます。
このとき孔明が言った「できるだけ戦わずして勝つ」という言葉が頭の中に浮んだのです。
そしてある作戦を思いつきます。

 張飛は、兵士たちに城の裏山の芝刈りを命じます。
それは巴城からラク城へ抜けていく間道を探すためでした。
当然、その様子は巴城の厳顔の知るところとなります。
厳顔は張飛が見つけた間道に先回りして待ち伏せをします。
先頭の張飛が通るのをやり過ごして、兵糧部隊に襲い掛かります。
すると、頭上から張飛の大声が響いてきました。
実は、間道を見つけるための芝刈りは張飛が厳顔を城外へおびき寄せる罠だったのです。
豪傑で力に頼ってきた張飛にしては珍しい戦い方といえるでしょう。

 張飛は激戦の末、厳顔を生け捕りにします。
大将が捕らわれたことで巴城の城兵は降参し、張飛は巴城を手に入れます。

 張飛の前に引き出された厳顔は、とっとと首を刎ねよと強気の姿勢を崩しません。
おまけに「我が国を侵した不埒者、この蜀には敵に打たれる将軍はあっても、敵に降参する将軍は一人もいない」と意地を見せます。

 厳顔の言葉を聞いて張飛が剣を抜きます。
厳顔は覚悟を決めますが、張飛の剣先は厳顔の首でなく、厳顔を縛っていた縄を切断したのです。
そして厳顔は真の武将、男の中の男、立場が逆なら自分もそうしたであろうと言って厳顔の忠義心と潔さを誉めたのです。

 さらに張飛は、劉備がなぜ益州を攻略しようとしているかということを淡々と説明するのです。
つまり、漢王室を簒奪している曹操を討つためには、益州という土地がどうしても必要だと話すのです。
単なる侵略ではなく、滅びゆこうとしている漢王朝を救うための行動だと説得するのです。

 厳顔は張飛の話を聞いて、劉備の大義を理解し、度量のない劉璋を見限り劉備に仕えることを約束します。
さらに厳顔はラク城までの道のりの先駆けとなるといいだします。

【降る将、意地を守る将】

 張飛が巴城を落したことを知った劉備は歓喜します。
そこで黄忠が作戦の進言をします。
それは援軍が来る前にラク城に奇襲をかけて打撃を与えておこうというものです。
劉備は黄忠の提案を受け入れて出陣します。

 劉備が籠るフウ城を取り巻くように陣を張っていた敵将の張任は夜襲をかけられて大混乱を起こし、ラク城に敗走します。
張任は固く城門を閉ざして守りに入ります。
そこへ劉備は四日四晩休むことなく攻め続けますが、ラク城を落すことは出来ませんでした。

 攻めあぐねて疲労が見え始めた劉備軍を見て取った張任が、逆に劉備に襲い掛かります。
劉備軍は総崩れとなり張任が仕留めようと追ってきます。

 劉備がもうだめかと思ったとき、前方から土煙が上がります。
「天は我を見捨てたか」と思った瞬間、意外なことに見なれた顔であることに気がつきます。
間道沿いに進んできた張飛が劉備に合流しようとしていたのです。
張飛は、追手から劉備を救い出します。
猛将張飛では張任も敵わないと思い、ラク城に逃げ込んでしまいました。

 劉備と対面を果たした張飛は巴城以来の手柄が厳顔のおかげだと伝えます。
それを聞いた劉備は、自らが身に着けていた黄金の鎧を脱いで厳顔に与えるのでした。
身にあまる光栄だと感じた厳顔は劉備への信頼と忠誠を誓ったのです。

 そこへ黄忠、魏延が敵の武将を捕らえて戻ってきます。
捕らえられた武将とは、呉蘭雷銅です。
厳顔はこのふたりの武将に劉備の志を話して聞かせるのです。
呉蘭と雷銅の二人は厳顔の説得を受け入れ、益州の民と平和を守るために劉備と共に戦うことを誓いました。

 ラク城に籠る張任は、厳顔、呉蘭、雷銅などの武将が劉備に降ったということを知って危機感を募らせます。
そこで強気の張任は、劉備の陣営に夜襲をかけます。
迎え撃ったのは張飛です。
勢いに乗った張飛は、張任の首を取ろうと深追いをしてしまいます。
張任を見失い、森を彷徨ってしまいました。
そこへ張任が兵を引き連れて姿を現します。
悔しがる張飛でしたが、後の祭り。
四方を敵に囲まれて奮戦するしかありませんでした。
しかし、そこへ趙雲が率いる荊州軍が駆けつけてきました。
趙雲の援護により、武将の呉懿を生け捕りにします。
捕らえられた呉懿も同じように劉備の説得を受け入れます。

 趙雲に少し遅れて孔明が現れて荊州軍は劉備のいるフウ城に入り、主従は再会を果たします。
状況を把握した孔明は知勇兼ね備えた武将である張任を生け捕りにしようと策を練ります。
呉懿を案内役にして周辺の地形を丹念に視察します。
各武将たちに指示を与え、張任をおびき出すために自ら出陣します。

 孔明は事前に打ち合わせていた通り、張任を威嚇すると車から馬に乗り替えて橋(金鴈橋)を渡って逃げます。
逃げる孔明を追っていった張任の四方から張飛、趙雲らの武将たちが襲い掛かります。
撤退しようとしますが、渡ってきた金鴈橋が破壊されていたため逃げることが出来ずにとうとう捕らわれてしまいました。

 劉備はさっそく張任をも配下に加えようと説得にかかります。
しかし、張任は「忠臣は二君に仕えず、という言葉を知らぬのか」と言って、頑なに劉備への投降を拒否するのです。
張任は生まれも育ちも益州出身だったので、他国の者に仕えることを嫌ったのです。
張任の固い決意を見て取った孔明は劉備に忠義な臣下のまま死なせてやるべきだと言います。
劉備も説得は無理と悟り、しかたなく張任を斬首にしました。
劉備は張任の忠義心を惜しんで、金鴈橋の傍らに屍を葬ってやりました

 ラク城には、まだ益州軍が残っていましたが、張任が打たれたと知って降参し、城門を開きました。
こうして劉備はラク城を陥落させたのです。

【厳顔と張任の違いとは?】

 対照的な厳顔と張任

 厳顔の行為を裏切るとみるか、張任が忠義を貫いたと見るかは難しいところです。
わたしにはどちらも忠義心の持ち主であるように思えます。
どちらも益州(蜀)の土地と民を守りたいという気持ちは同じであるように思います。
ただ違うのは、厳顔が益州の主が愚鈍な劉璋ではだめだと考えた点に対して、張任が愚鈍な主君であろうとも最後まで仕えようとした点の相違です。

 こうしたことは乱世ではよく起きてくる出来事です。

 個人的見解を述べると、張任のほうが物事の考えが小さかったと思えます。
つまり、広く益州のためになにが良いのかを客観的に考えたのか、あくまでも今の自分の立ち位置をすべてとして考えたのか、ということです。

 この事例から、わたしは日本の幕末における勝海舟と小栗上野介という二人の幕臣を思い出します。
勝海舟は後に明治政府にも仕えたことで、福沢諭吉などから批判されていました。
一方小栗上野介は、官軍に降伏せずに頑なに幕臣としての立場を守ったために斬首されました。

 私は厳顔や勝海舟を決して裏切り者だとは思いません。
反対に張任と小栗上野介の生き方が最高だとも思えません。

この二者の違いは、物事を考える根本をどこに置くのかという視点の違いです。

 あくまでも蜀の君主、蜀の臣下ということにこだわるのか、広い目で見て蜀にとってなにが良いことなのかを考えるのか、ということの違いです。
私は厳顔や勝海舟などのように、物事を根本から考え広い視野で見て状況を判断するべきだと考えます
厳顔と張任はまったく違った生き方(死に方)を選択しましたが、どちらも男の生き様としては「あり」だなと思います。

【今回の教訓】

「人を簡単に裏切る人間は信用を失う。忠義を貫く人物こそ信頼のおける人間」

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

『英雄帰天編10 ~劉備、蜀を取る~』

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