『曹操の漢中平定と愚か者』
前回は、単刀会の話をしました。
今回は、曹操が漢中を平定する話をしてみたいと思います。
【曹操、漢中出陣】
劉備は念願の蜀(益州)を手に入れました。
しかし、それは一時の安寧でしかありませんでした。
北では曹操が、東では孫権が領土拡大を狙って虎視眈々と動いていたからです。
曹操はたびたび呉の周辺で孫権と領土争いを繰り返してきましたが、その矛先を漢中にむけました。
それは隣接する蜀の劉備の力が増大するより前に滅ぼしてしまおうとしてのことです。
曹操軍は怒涛のごとく漢中に攻め入って守りの要害である陽平関を奪い取ります。
そのまま勢いに乗った曹操は、漢中太守張魯のいる南鄭城(なんていじょう)のすぐそばまで陣を進めました。
漢中陥落はもはや時間の問題となっていました。
張魯とすれば絶体絶命の危機となりました。
漢中の隣には劉備がいます。
そこへ曹操が大軍で漢中を攻略せんと攻めてきたのですから。
この局面を打開するために張魯がどうしたかというと、馬超一族の龐徳という猛将を呼び出したのです。
龐徳は、もともと馬超に従って漢中にやってきたのですが、馬超が劉備に対抗するべく出陣した際に、たまたま病気で同行することが出来ずにいたため、漢中に取り残されていたのです。
張魯は龐徳という猛将に頼るしかなかったのです。
さっそく張魯は龐徳に1万の軍勢を与えて出陣させます。
龐徳出陣の知らせを受けた曹操は以外なことを考えます。
それは以前から龐徳の武勇に惚れ込んでいた曹操はこの機会に自分の家来にしようと企むのです。
曹操軍と龐徳軍は、南鄭の城外十里あまりの所で激突しました。
曹操軍の武将たちが猛将龐徳を打ち取り手柄を立てようと襲い掛かります。
まずは張紘、続いて夏侯淵、徐晃、そして許ちょが挑みます。
いずれも曹操配下の歴戦の猛将たちです。
しかし、彼らをもってしても龐徳を破ることは出来ません。
まともに対戦したのでは龐徳を生け捕りにすることは出来ないと考えた軍師程昱が策を進言します。
その策とは、
張魯の部下の楊松に賄賂を贈り龐徳の悪口を吹き込んでもらい、龐徳と張魯の仲に疑いを起こさせて離反させようというものです。
これってどこかで使った手ですよね。
そうです。孔明が馬超を引き入れるために使用した「離間の計」と同じです。
曹操軍は、さっそく計略を実行します。
まず、曹操軍が陣を棄てて撤退すると見せかけて陣営に兵糧を残したまま兵を引き上げます。
曹操軍が敗退したと思い込んだ龐徳は、曹操の残した陣で野営することにします。
すると曹操軍が夜半に奇襲をかけてきました。
不意を突かれた龐徳は応戦することもできずに南鄭城に逃げ帰ります。
そのとき、城内に入る龐徳軍の中に曹操が送り込んだスパイが紛れ込んでいました。
そのスパイは、密かに楊松の屋敷を突き止め、強引に会うことに成功します。
曹操の密使だと名乗るスパイは胸元を開きます。
着物の中から出てきた物は輝くばかりの金でした。
スパイは着物の中に鎧のようにして金を縫い付けていたのです。
そして曹操から預かった書状を楊松に差し出します。
金に目が眩んだ楊松は今度もまた裏切り行為に加担します。
(しかし、どんだけ欲深いんだ)
賄賂を受け取った楊松は、さっそく張魯のところに行き、龐徳が裏切りものだと吹聴します。
「龐徳はもともと馬超の部下で漢中のために命を懸ける気など毛頭ありません」
「龐徳が曹操から賄賂を受け取って内通しているのは間違いありません」
などという台詞を平気で口にします。
賄賂を受け取って内通しているのは自分なのに、よくもぬけぬけとそんな言葉が言えますね。
さすがに呆れます。
【龐徳、曹操に投降する】
楊松の告げ口を信じた張魯は龐徳を呼び出します。
そして、明日中に曹操軍を撃破しなければ生かしておかぬと言い放ちます。
龐徳は張魯の急変した態度に戸惑いながらも出陣します。
迎え打ったのは許チョです。
(許チョという武将は曹操のボディーガードを務めていて、曹操が最も信頼する武将です)
許チョは、命じられたとおり負けた振りをして敗走します。
罠だと知らない龐徳は当然追っていきます。
勝利したと思い込んだ龐徳は深く曹操の陣営に近づいてしまいます。
あと少しで許チョに追いつくと思ったとき、地面が沈み込み馬もろとも落とし穴にはまってしまいました。
そこへ捕獲用の網が頭上から降ってきます。
罠だと気がついた龐徳ですが、あとの祭りです。
捕獲された龐徳は覚悟を決めます。
しかし、近づいてきた曹操は意外な言葉をはきます。
「どうだ龐徳、わたしの部下にならないか」
曹操はそういうと、張魯の薄情さを主張し、このまま南鄭城に戻っても張魯に殺されるだけだと諭します。
龐徳としても張魯の無慈悲な言葉に疑念を持っていたため、曹操の言葉に納得できるのでした。
こうして曹操の計略が成功して龐徳は投降したのです。
【曹操、漢中を平定する】
一方、南鄭城にいる張魯は龐徳裏切りの知らせをうけて、もはや勝機なしと悟り、夜のうちに南鄭城から脱出します。
巴城に逃げ込んだ張魯に曹操は投降を呼びかける密書を送ります。
腹心の楊松は投降を進めますが、張魯の弟張衛の反対にあいます。
投降せずと見た曹操は、巴城に攻め寄せます。
形勢を挽回しようと張衛が出陣しますが、猛将許チョに一撃のもとに叩き斬られました。
張衛がいなくなったことでやりやすくなった楊松は最後の手段として張魯自身の出陣を促します。
しかし、兵たちはすでに戦意を失っていたので曹操軍と戦う前に次から次へと脱走してしまいます。
軍勢と呼べなくなった兵力に張魯は愕然とし、巴城へ引き返そうとします。
すると、城門にいるのは楊松です。
開門を迫る張魯ですが、楊松は隠していた腹黒さをさらけ出します。
腹心中の腹心と信頼していた楊松の裏切りに張魯は気力を失ってしましました。
(それはそうですよね。いままで一番信頼してきた腹心の部下に裏切られたのですから)
ことここに到って降伏することしか道は残されていませんでした。
曹操は、張魯が南鄭城の食料を焼き払わなかったことを認め、鎮南将軍として迎い入れます。
一方、主を金のために裏切った楊松ですが、当の本人は曹操の役にたったのだから、さぞかしご褒美がたんまりでるものと勘違いしていたようです。
褒美を要求する楊松に対して曹操は、
「主を売って英達をはかるとは不届き千万! おまえのような卑劣な輩は許しておけん」
そういって打ち首にしてしまいました。
こうして曹操は漢中を平定したのです。
【愚かな人間の極致】
張魯と楊松。
どちらも三国志のなかでは愚か者に分類されます。
張魯という人物にいえることは「疑い深い」ことです。
さらに当時の勢力図をまったく理解せずに、自分中心で物事を見ています。
客観的な情勢に基づいて客観的に判断するのではなく、自分がこうなって欲しいという自己中心的な発想でしか物事を受けとめることしか出来ませんでした。
暗愚。
愚か者です。
乱世の世で生き残れる人物ではありません。
たとえ平和な世の中であろうとも、こうしたリーダーが率いる組織はいずれ滅びにいたるしかないのです。
そうした暗愚なリーダーに仕えた楊松ですが、これこそ乱世にはびこる害虫です。
こうした人物が権力の中枢に居座って己の私欲を満たすために生きるときに世は乱れ、人心は荒廃し、国は傾きやがて滅んでいくのです。
これは歴史の鉄則です。
「私」と「公」の区別がつかず、己の望むことを優先する輩が世の中をだめにするのです。
議員が公費で視察旅行などと偽って、旅先で昼間からビールを飲んだり買い物をしたりするのもこうした欲に取り付かれた輩のすることです。
私利私欲を最優先して主を裏切るという行為は人として許されることではないのです。
裏切る(離れる)としても大義や理想があるべきなのです。
楊松の場合は、単に己の財欲を満たすためというあるまじき行為です。
下克上、離反、裏切りが当たり前の乱世においても、楊松のような行動は許されるものではないのです。
これこそ愚かな人間の極致と言えましょう。
「自分がこうなって欲しいという自己中心的な発想でしか物事を考えられない」
これを愚か者と言いうのです。
「嫌な話は聞かない。都合の悪い事は見ない。悪いのは相手」
こうした愚か者がいつの時代にもいるものです。
あなたの近くにもいませんか?
もしかしたら自分ではないか?
そう考えてみることも大切です。
【今回の教訓】
「欲深い人間を信用してはならない」
「疑い深いリーダーは、いずれ部下に見捨てられる」
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。