『中原逐鹿編7 ~千里独行~』
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『千里独行』

今回は、関羽が単騎千里を駆けて劉備の元へ旅立つ話をしてみたいと思います。

【義に生きる=金銭欲、権力欲のない生き方】

 義兄劉備の居場所が判明した関羽の心は逸っていました。
いますぐに劉備の元へ飛んでいきたかったのです。
ですが、曹操から受けた恩を忘れたりする関羽ではありません。
曹操の元を離れるからには、礼儀として挨拶をしなければならないと考えたのです。

関羽が三度も曹操の元を訊ねても、曹操は病気を理由に会おうとはしませんでした。
曹操は関羽が離れてしまうことが残念で仕方がなかったのです。
ですから、心の内では関羽を引き留めるのは無理と分かっていても、少しでも自分の手元に引きとどめたかったのです。

しかし、関羽は曹操から贈られた金銀財宝などを与えられた屋敷に置いたまま出立しました。
見事です!

このへんが三国志のなかでも関羽が人気者なのがよくわかります。
単なる勇猛な武将だけではない関羽の忠義心がよく表れています。
無欲なのがとても素晴らしい!

現代でも接待や権力を利用した汚職などが報道されたりすることがありますが、それらは、みなこの世の金や地位などへの執着の現れです。
関羽にはその金銭欲と権力欲がないのです。

中国では関羽は神として信仰を集めていますが、無欲なのに忠義心が厚く、武将としてとてつもなく強いところが神として崇められている理由でしょう。
関羽という男は、金銀財宝などの金銭欲と出世や地位などの権力欲では心を動かさない人物なのです。
ですからどんなに曹操が部下に向かい入れようとしても叶わなかったのです。

【曹操、劉備の恐ろしさを改めて思い知る】

関羽が出立したことを知った曹操は、せめて見送ろうと関羽の後を追います。
参謀の程昱や武将たちは、このまま関羽を劉備のもとへ行かせれば後々の災いとなるから殺してしまえと言います。
しかし、曹操はこれ以上関羽を引き留めることが無理なことを悟り、最後に関羽に恩を着せておくことを選択します。

関羽は、劉備の二人の夫人を馬車に乗せ腹心の孫乾だけを引き連れて旅立ちます。
その関羽に追いついた曹操は綿入れ(コートのように羽織るもの)を贈り物として差し出しますが、関羽はこれを騎乗のまま長刀で受け取ります
長刀(青龍偃月刀)で受け取るとは大変無礼のように見えますが、曹操は兵を引き連れてきていますから関羽としては用心したのでしょう。

関羽が曹操から受けた恩は数知れずたくさんありますが、実はこれらのことが後々のある重大な出来事に繋がっていきますが、その話は後ほど。
とにかく関羽という人物は、受けた恩は忘れない男なのです。

曹操は強く人材を求め、多くの強者たちが曹操のもとへ集結しましたが、曹操の人生の中でこの時が挫折感を味わった瞬間だったでしょう。

関羽という忠義に厚く一騎当千の武将を手に入れることが出来なかったのですから。
そしてこのことで曹操は改めて劉備という人物の恐ろしさを知るのです。
関羽ほどの男がここまで惚れ抜く男こそが劉備だからです。
人材無くして天下取りも敵わずということが曹操にはわかっていたのです。

【関羽と張飛の違い】

一方、弟分の張飛は古城を乗っ取り、県令を門番として扱い、自分は主として振舞っていました。
そこで裁判長のように争いごとを裁く真似をしたり、酒を浴びるように飲んだりして過ごしていました。
ただ、部下を使って劉備と関羽の行方は捜査していました。
そこへ調査にでた部下が関羽の居場所を知らせに戻ります。

しかし、その報告を聞いた張飛は、耳を疑い口では嘘だと否定します。
それでも関羽が曹操に下ったことが否定できない事実であることが判明すると、桜の園で桜の木をなぎ倒して大暴れします。
張飛は関羽が裏切ったと思って、次に関羽と会ったら自らの手で倒してやると思ったのです。
その古城で張飛は部下に言いがかりのような理由をつけては棒打ちの刑などをしてまるで暴君のように振舞っていました。

関羽と張飛の大きな違いがここに見て取れます。
関羽は中国人にとっては戦と商売の神ですが、張飛は酒飲みで暴力好きの武将です。
関羽は忠義を重んじます。つまり、理性的な考えや振る舞いが出来るのです。
張飛は理性的に物事を考えるのが苦手で、浅はかな考えのもと感情的に動きます

二人の共通点は二つ。
劉備への忠義心と並外れた武力です。

【千里独行】

何百里もの旅を続ける関羽の前には関所がいくつも待ち受けています。
関羽が冀州に向かうまでの道のりは、全て曹操の領地です。
関所を無事に通過するには曹操の出した許可証が必要ですが、関羽は急ぎ出立したので許可証を持っていません。
そのため関所を守る武将たちから投降を命じられ戦いを挑まれます。
しかし、関羽はそのたびに武将たちを斬って道を進みます。

いくつかの関所を力づくで通過した関羽に、曹操旗下の猛将夏侯惇が立ちふさがります。
関羽は夏侯惇と刃を交えますが、そこへ張遼が曹操の命を持って現れます。
関羽が関所で武将たちを切っていることを知った曹操が公式の許可を与えたのです。

曹操という男は、狡猾な人物として「三国志演義」では描かれていますが、実は懐の深い人物であることがよくわかります。
懐が深い人物であるがゆえに人材が集まったのです。

曹操は漢王朝の丞相であり何万という兵力を動かすことができる立場にあるのですから、関羽を本気で殺そうと思ったなら、何万という兵を動かせば、打ち取ることは可能だったはずです。
しかし、それを曹操はしませんでした。

何百里も旅を続けた関羽が黄河を目前としたときに、ある古城にたどり着きます。
開門を迫る関羽に、関羽が裏切ったと勘違いした張飛が襲い掛かります
しかし、劉備の二夫人から事情を聴き、逆に関羽の劉備への忠義心を理解し、男泣きします。
そして、関羽は張飛に二夫人を預けて劉備に再会するべく黄河を渡ろうと考えます。
黄河を渡れば、劉備のいる袁紹の領地冀州なのです。
劉備を慕い劉備の元へ向かう関羽。
行く先々で数々の妨害に会いながら劉備の元へ旅を続ける関羽。

こう言ってはなんですが、関羽のこの旅は、例えていえば、忠犬ハチ公とか名犬ラッシーとか飼い主を慕って困難な旅をする物語を観ているようで感動します。
関羽の忠義心と強さをこれでもかと見せつける場面でもあります。

【金の力や権力では手に入らないものが世の中にはある】

曹操は理解していたのです。
多くの強者の武将を引き連れていますが、曹操配下の武将の中で関羽に叶う武将はいないのだと。
ただ強いだけではなく、一度味方になれば絶対に裏切ることはない人物だということを。
ですから、なんとしても曹操は関羽を自分の部下にしたかったのです。
もし、関羽が曹操の部下になれば天下はたやすく手に入ると理解していたのです。

ですが、歴史はそうなりませんでした。
曹操にも思い通りにはいかないことがあるのです。
というかどんなに才能や権力があっても、金の力や権力では動かせないものや人があるのです。
ですから、権力や財力を過信することは自ら墓穴を掘ることに繋がるのです。

関羽のような男を手に入れるには、男が惚れる男になることです。
その惚れる要素は「徳」です。
徳があふれる男になることが、関羽のような人物を引きつける力となるのです。

それにしても張飛の愚行は直りませんね~!

【今回の教訓】

『金や権力欲で動かない人物こそ本物の男』

『大きな成功を得たければ、男が惚れる男になれ』

『中原逐鹿編8 ~志を捨てない~』につづく。

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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