『英雄帰天編5 ~世間知らずな言動は身を滅ぼす~』
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『世間知らずな言動は身を滅ぼす』 

今回は、不遜な言動は身を滅ぼすという話をしてみたいと思います。

【張魯、「蜀」侵略を企む】

 曹操に敗れた馬超は、漢中の太守張魯を頼ります。
漢中、そこはその昔漢王朝を築いた高祖劉邦が天下統一の足がかりとした地
漢民族の中心である中原から見れば僻地です。
僻地であるがゆえに30年もの間、朝廷からの征伐も各地の諸侯からの攻撃にもあわずに平安を維持してきた土地だったのです。

 しかし、西涼軍の馬騰、馬超が破れ曹操によって西涼が支配されたいまとなっては曹操の手が伸びてくるのも時間の問題です。
そこで漢中を治めていた張魯が考えたことは隣接する蜀の地を併呑することです。
つまり、蜀を乗っ取って勢力を拡大する作戦に出ようとしたのです。
それは馬超という猛将を得たことで実現可能だと踏んだのです。

【曹操の基本方針(3つの策)】

 「蜀」という領地は、漢中よりもさらに奥地にあり、四方三万里に及ぶ広大な土地があり、四つの大河が流れ自然豊かな肥沃な大地を持っています。
蜀は孔明が劉備に三顧の礼を受けたときに授けた天下三分の計で劉備に進言した土地。
北方は剣閣の要害(険しい岩肌)が連なり、南は巴山山脈がそびえ立って外からの侵入を拒んでいます。
また、「蜀」は漢の高祖劉邦が項羽と対抗するために本拠地とした場所
守るに安く、攻めるに難しい土地なのです。

 しかし、蜀の太守劉璋は漢王室の末裔なのですが、小心者で特に優れたところを持ち合わせぬ凡庸なリーダーだったのです。

 漢中の張魯の動きに不安になった劉璋は臣下に意見を求めます。
そんな中臣下の一人である張松が妙案を提示します。
それは曹操に漢中を攻めさせるように贈り物をして説得しようというものです。
劉璋は張松の進言を聞き入れ、曹操のいる許都に特使として送り出します。

 このとき張松は、名門の出というだけの凡庸なリーダーである劉璋を見限っていました。
そこで密かに蜀九群の緻密な地形図をこっそりと持っていくことにします。
それを曹操への土産とするつもりだったのです。

 一方、曹操は西涼軍との戦いで痛手を負っていました。
曹操旗下の武将たちも負傷し、兵士を相当の数失いました。
西涼の土地は手に入りましたが、戦が続いたことでもともと豊でない土地がより疲弊してしまいました。
さらに馬氏から西涼の土地を奪った曹操に、民が不満を持ち、徴税と徴兵に応じようとしなかったのです。

そこで曹操は三つの策を取ることにします。

1 「民をいたわる」
2 「開墾し土地を増やす」
3 「休戦する」

 つまり、これ以上の戦闘は民の反感を買うだけで統治することが困難になってしまう。
西涼という土地の収穫を増やす。
疲弊しきった兵たちを休ませ充電期間とする。
力を蓄えた後に、南下政策を取る。
こういった基本方針を曹操は示したのです。

【曹操対張松の舌戦】

 そこへ蜀の特使張松がやってくるのです。
遠路はるばるやってきた張松でしたが、何日も曹操に会うことが出来ずに待ちぼうけをくらっていました。
そこで張魯は役人に賄賂を贈って曹操に会う段取りをつけてもらうのでした。
ようやく曹操に会うことが出来た張松でしたが、曹操の傲慢な態度にへりくだることなく正論を吐きます。

曹操

「お前の主人はここ数年貢物を怠っている。なぜ献じないのか」

張松

「蜀は僻地ゆえ途中に難所が多く、盗賊が出没するので貢物を運ぼうとしても都まで持って来られないのです」

それを聞いた曹操は怒ります。

「無礼を申すな! 中原はこの曹操がすでに平定したのだ。盗賊などでるわけがない」

張松は、その言葉に皮肉とも取れる言葉で返します。

「南には孫権。北は張魯。西には劉備もいます。平定したなどとはとても言えません」

 曹操にこんな挑発的な言葉を吐ける人物は三国志上見たことがありません。
張松の不遜な言動はこれだけで終りませんでした。
曹操が軍の調練を張松に見せ自慢しようとしたところ、張松はまたしても曹操をけなすような発言をします。

「わが蜀は軍勢で治めているのではなく、仁義と文知を旨として領民をおさめているのです。このような大軍は無用の長物です」

 この言葉で曹操の堪忍袋も切れてしまいます。
曹操は、張松を棒打ちの計に処しました。

 張松とすれば、曹操という人物を試してみたのでしょう。
世間で評判通りの「器の大きい人物」ということが本当であるのか自分の目と耳で確かめたかったのでしょう。

 しかし、これはいけません。
この時期の曹操は実質上の覇者です。
その実質的な権力は皇帝以上で、もはや独裁者的な存在となりつつありました。
その曹操を怒らせてはいけません。

 太守の劉璋もそうですが、蜀の人間である張松はいわゆる世間知らずだったのです。
蜀という要害の地にあって、中原の戦乱から距離を取ることができたことが、逆に情勢の変化に疎くなってしまっていたのです。

 それと曹操を利用して自領である蜀の安泰を計ろうとしたことを見ぬかれていたのです。
曹操とすれば、いまは充電期間と決めていたのです。
曹操の狙いはあくまでも江南の地(呉)および荊州なのです。
曹操にすれば荊州と江南を落せば、蜀など転がり込んでくると思っていたのでしょう。

 才を愛する曹操から見れば何の才も持ち合わせていない口先だけの張松など「虫が好かぬ」という気持ちだったのです。

 蜀という土地はいままで中原の争乱から距離を置くことが出来ましたが、それが逆に仇となっていたのです。
それを当の蜀の人間は気がつかなかったのです。

 天下の覇者となった曹操に交渉に行く相手が張松のような人材しかいなかったというのが蜀という国の現状だったのです。
これではいずれ誰かの手中に落ちるのも運命と言わざるを得ません。
天下の状況を分析し、自分の勢力の置かれている位置を読み解き、それに合わせて身の振り方を決めねばならなかったのです。

 漢王室の末裔であり、漢王室にとっては王朝発祥の地と呼んでもいい国を誇りとしたからでしょうか。
張松の態度はあまりにも自己中心的な不遜な言動です。
蜀を守るためだけに曹操を動かそうとしたのですから、自分勝手と言われても仕方がありません。

【交渉のコツとは?】

 交渉事というのは、相手にとっても利益が無ければ成り立ちません
一方的に助けてくれというならば、その代わりに何かを捨てるか、何かを差し出さねばなりません。
貢物だけで曹操の心を動かそうとした張松は、中原の情勢も曹操の心も理解しない凡人の中の凡人だったのです。

実力の伴わない不遜な言動は損を招く

張松の事例から学ぶことです。
曹操に仕打ちをされて追い払われた張松は、蜀に帰らず、代わりに頼るべき人物のもとに向かうのでした。

【今回の教訓】

「実力の伴わない不遜な言動は損を招く」

「人(相手)を見て発言すること」

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

『英雄帰天編6 ~良薬は口に苦し~』

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