『英雄帰天編6 ~良薬は口に苦し~』
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『良薬は口に苦し』 

前回は、不遜な言動は損をするという話をしました。
今回は、暗愚なリーダー(劉璋)の間違いという話をしてみたいと思います。

【張松、劉備に心酔する】

 曹操に酷い仕打ちを受けた張松は、荊州の劉備を頼ることにしました。
張松が荊州城の郊外までくると、趙雲が出迎えていました。
そこには酒宴の席が設けられています。
さらに進むと関羽が太鼓を打って出迎えています。
今度も手厚い歓待を受けました。

 張松を出迎えるよう指示したのは龐統(士元)でした。
曹操に援軍を断られた張松が、劉備を頼ると予想したからです。

 張松は、曹操の冷たい対応とは正反対の丁重なもてなしに感激してしまいました。
趙雲、関羽とともに荊州城に来ると、劉備がわざわざ城の外で出迎えに来ています
しかも、張松の姿を見るなり、馬から降りて礼儀を尽くします。
張松も急いで下馬して、劉備の出迎えに感謝します。

 こうして張松は劉備から手厚く歓待を受けることになります。
その酒宴の席は三日間も続きました
張松は劉備の懐の深さに感銘を受けました。
同時にある疑問を抱きます。
それは、劉備が酒を飲みながら雑談するばかりで、蜀のことに一言も触れないからです。

 そこで張松のほうから劉備に話を持ち掛けます。
蜀を張魯の侵略から守るために劉備の力を借りたいと頼むのです。
しかし、張松の本心は、暗愚な君主である劉璋を見限り、蜀を劉備に譲り渡そうと考えていたのです。
劉璋では蜀を守り切れないと判断して、トップの首を替えようと企んだのです。
劉備に荊州の軍を率いて蜀を手に入れろというのです。
そこで張松は、劉備に蜀の精密な地形図を見せるのです。
それはもともと曹操に献上しようとしたものでしたが、曹操の非道ぶりに憤慨し、渡さずにいたものでした。
張松は、それほど劉備に心酔したということです。
張松が示した地形図は、地形の高低、山河の位置、戸数など詳しく記されている地図なのです。
蜀は周辺を天然の要害に囲まれていますから、どうやって蜀に侵攻するのかということは非常に大事なことだったのです。
張松の持ってきた地形図があれば、蜀侵攻が容易になります。

 要するに、張松はクーデターを起こそうと劉備に持ち掛けたということです。
漢中の張魯や曹操から蜀を守るためには暗愚な劉璋では無理だと判断したのです。
蜀が生き残るには劉備を迎い入れるしかないと思ったのです。
こうして張松は蜀の都(成都)に帰って行きました。

【張松の画策と劉備の本心】

 張松は、益州に戻ると劉璋に曹操との一件を報告します。
漢中の張魯の侵略に恐怖を感じていた劉璋は、曹操の援軍がこないと知って焦ります。
あたふたと慌てる劉璋に張松は、劉備に加勢を頼めばよいと進言します。

 劉備は、同族(漢王室の親族)であり、仁義に厚い人物であり、赤壁で曹操をも恐れさせた人物だから張魯を防ぐことが出来ると主張するのです。
張松の説得により劉璋は、張松の提案を受け入れようとします。
しかし、黄権という家臣が張松の主張に大反対します。
劉備を蜀に入れれば、蜀は劉備に乗っ取られてしまうと主張するのです。
結局、黄権の大反対にも関わらず、劉璋は法正を使者として劉備の元へ送るのです。

 実は、法正と張松は志を同じくする仲間だったのです。
この二人は劉璋という君主の暗愚さに嫌気がさして、このままでは蜀が危険だと思っていたのです。
二人の目的は蜀の主を劉璋から劉備に替えることだったのです。

 表向きは張魯の侵略から蜀を守るための援軍の要請ですが、法正は劉備に蜀を献じようと話を切り出します
なのに、劉備は態度をはっきりさせません。
それは同族である劉璋から蜀を奪うのは道理にかなわないと思ったからです。
劉備は、宿敵の曹操の非道さに対して、仁義を持って生きてきました。
曹操のような偽りを持って領地を奪うのは自分のやり方ではないと法正の提案を断ろうとするのです。
劉備は信義に劣ることは出来ぬというのです。

 しかし、それは劉備の本心ではないのです。
そもそも孔明を隆中に訊ねたときに授けられた「天下三分の計」で蜀を領土として曹操に対抗すると示されたとき劉備も同意したはずです。

 劉備とすれば、法正と張松が本心で蜀を献上しようとしているのか、実は偽りの作戦なのかということを見極めようとする慎重な判断があったからなのです。
それと、単純に蜀へ攻め込んで侵略者の汚名をかぶってしまうことを恐れたのです。
同族の劉璋から、領土を奪い取ったといわれて民心が離れてしまうことを恐れたのです。
劉備にとって蜀は肝心要の地。
ただ、侵略して奪えばいいというものではありません。

 略奪者の汚名を被ることなく、民心を得、臣下を従えなければその後の蜀の統治が上手くいきません。
要は、タイミングと大義を必要としていたのです。

【劉備の思惑と忠臣の苦言】

 劉備は、慎重になりながらも最終的に法正の話を受け入れることにします。
そして、軍師を龐統にし、武将の黄忠、魏延を引き連れて蜀へ向かいます
孔明には荊州城を守らせ、関羽には襄陽、張飛、趙雲には江陵の守りを固めさせました。
劉備の側近の多くを荊州に置いて行ったということです。

 実は、それほど荊州が劉備陣営にとって大事な拠点であるという証拠です。
このとき劉備は三万の軍勢を引き連れたといいますから、劉備が留守の間に孫権と曹操が荊州に攻めてくる可能性があります。
つまり、荊州を守るためには孔明をはじめとする武将たちが必要だったということです。
それと、もうひとつの理由は、関羽、張飛などの歴戦の武将たちを引き連れていくと、いかにも蜀を乗っ取りにきたと思われるので、劉璋に疑われない意味も含んでいたのです。

 一方、蜀では、重臣の黄権が猛反対をします。
援軍として蜀に入ってきた劉備を迎い入れようとする劉璋を必死に引き留めようとします。

 黄権は、劉璋の衣の端を咬んで行かせないように抵抗します。
劉璋は抵抗する黄権の顔を蹴り上げます。
口を切って血だらけになりながらも、劉備を迎い入れてはいけないと止めます。

 黄権とすれば、劉璋と蜀のことを思ってのことです。
ある意味では忠臣と言えましょう。
劉璋が暗愚でも仕えようとしているのですから。
黄権を蹴り飛ばし、多くの臣下が止めるのにも関わらずに劉璋は考えを変えようとはしません。
劉璋が城門まで来ると、臣下の王累が命がけで引き留めようとします。
苦言を吐く王累の言うことに耳を傾けない劉璋の様子を見て、王累は城門から飛び降りて命を絶ちます。

 これだけ臣下の反対にあっても劉備を迎い入れようとするということは、不思議にも思えます。
張松と法正以外の臣下は劉備を迎い入れることに反対していたのですから、それに耳を貸さないというのは二つ考えられます。
一つは、臣下が愚かであって、リーダーである劉璋が一番良い判断を持っていた。
もうひとつは、漢中の張魯の侵略が怖くてたまらなかった。
劉璋の場合は、どう見ても二つ目の理由ですね。

 どう考えても劉璋は乱世で生き残れるリーダーではありません。
自分は漢王室の一族であるという立場(名目)が邪魔をして、乱世の状況と人物判定が狂ってしまったのでしょう。

 逆に、劉備からすれば、張松と法正の存在がなければ蜀攻略は難しかったでしょう。
このときの劉備は実についていたと思います。
蜀を攻略する大義とタイミングを得たのですから。
このときの劉備としては珍しく「運」が転がり込んできた、という感じでしょうか。

 龐統という稀代の軍師と黄忠、魏延などの武将を得たことで曹操、孫権に十分対抗できる勢力となり得たのです。(人材的にという意味)
その劉備に蜀が転がり込んでこようとしているのですから、「待ってました」という感じでしょう。

 もし、張松と法正の助けがなければ蜀攻略に時間と労力が掛かってしまい、三国が並び立つ歴史は変わっていたかもしれません。

【良薬は口に苦し】

 それにしても、劉璋は愚かですね。
張松と法正が見捨てるのも無理はないです。
劉璋サイドに立てば、主君である劉璋を必死に守ろうとした黄権と王累は実に立派であると言えます。
自分にとって本当に大切な存在が誰なのかを劉璋は見誤ってしまったのです。

「良薬は口に苦し」

甘い言葉ばかり述べる人の言葉は、やがてその人を蝕んでいきます
それに比べて本当にその人を生かす言葉は苦い薬のようなものです。

 人間は、どうしても自分に甘くなり、自分本位に考えてしまうものです。
でも、真に自分を大切にするならば、「苦言」を吐いてくれる人をこそ大切にするべきなのです。

【今回の教訓】

「人は甘い言葉に弱いが、本当に自分を大事にするなら苦言を吐いてくれる人こそ大切にする」

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

『英雄帰天編7 ~真実を見極められない愚か者~』

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