『三国志のことわざ「破竹の勢い」』
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『三国志のことわざ』

今回の諺(ことわざ)は、『破竹の勢い』です。
 英語では、「The momentum of the broken bamboo」です。

 意味は、「激しく止め難い勢い」(広辞苑)
または、「止めようにも止まらないほどの猛烈な勢い」(大きい活字の故事・ことわざ辞典)

いずれも、竹を割るとき、初めの一節に割れ目を入れれば、あとは一気に最後まで割れてしまうことから。

『ことわざの出典と発言者』

諺の出典は『晋書(杜預伝)』
諺の発言者は、晋の時代の将軍杜預(とよ)

『「破竹の勢い」の類義語は?』

「破竹の勢い」の類義語は以下のとおり。

「飛ぶ鳥を落とす勢い」
「日の出の勢い」
「昇竜の勢い」
「向かうところ敵なし」
「当たるべからざる勢い」

《よくある間違い》

「爆竹の勢い」は誤りです。
「爆」ではなく「破」が正解です。
なぜなら、「竹を割る」ということが諺の由来だからです。

『ことわざの発生故事』

『破竹の勢い』は、三国志の末期であるの時代の将軍杜預(とよ)の言葉です。
(杜預のあざなは元凱)
杜預は名門の知識人として知られていました。
(祖父が魏の尚書僕射、父親が幽州刺史)

杜預の父親(杜恕)は司馬懿(仲達)と相性が良くなかったので罪を着せられて幽閉先で命を落とします。
父親が無実の罪を掛けられて亡くなったため、杜預は不遇の少年時代を過ごします。
しかし、杜預は司馬懿の娘(高陸公主)の婿であったため出世していきます。

杜預は武人としての才能には恵まれていませんでしたが、蜀討伐の際に鎮西長史として従軍します。
鍾会(しょうかい)のクーデターで鄧艾(とうがい)が殺害され、クーデターは鎮圧されます。
杜預の同僚たちには重罰が課せられます。
しかし、杜預はクーデターに加わらなかったので罪を免れました。


そんな不遇の人生でしたが、勤勉ぶりを評価され、呉平定の責任者(都督)として呉討伐に向かいます。
王朝建国草創期の晋では、呉討伐に慎重な意見が多く、逆に呉討伐に賛同していた人は少数で、そのひとりが杜預でした。
杜預が率いる晋の軍勢が呉の都建業の近くまで来たとき、長雨の季節の影響で退却をするべきとの声が多く上がります。
長雨になると疫病が流行るためです。

当時の人たち、特に魏王朝を受け継いだ晋王朝の人たちには、魏の実質上の創業者である曹操が赤壁の戦いで疫病に苦しんで大敗した事例が記憶にあったものと思われます。
そのため退却の声があがったのです。
ですが、杜預はあくまでも呉討伐を主張します。
杜預はこういって軍を鼓舞します。

「楽毅は1回の大会戦で燕を大国にした。今、我らの兵の勢いも奮い立ち、例えれば竹を割くようなものだ。数節刀を入れれば後は手を使えば簡単に割れる」
(楽毅は春秋戦国時代の燕の武将)
(「節」とは当時の時間を表わす表現で1節が15日。竹の節と暦の節をかけたもの)

この杜預の言葉に触発され、晋の軍勢は勢いづき、呉を降伏させます。
これによって呉が滅亡し、晋による天下統一が成就されます。

「破竹の勢い」とは、三国時代の終わりを告げる重要な場面で生まれた杜預の勇気と決断から生まれた故事成語なのです。

余談ですが、杜預の先祖は杜甫だと言われています。

【ことわざからの教訓】

何事にも千載一遇のチャンスを掴むか逃すかは、リーダーの決断しだいです。
リーダーに求められる決断とは、「退くべき時に退却する勇気ある決断」「好機を逃さず果敢に挑む英断」です。

リーダーシップの本質は「決断」にあるのです。

ですから「決断を間違えるリーダー」と「決断をしない(避ける、逃げる)リーダー」は無能なリーダーなのです。

結局、国家でも軍隊でも、企業であっても組織体の命運はリーダーの決断しだいなのです。
集団の命運を決めるのがリーダーの決断なのです。
そうした意味で、杜預は優れたリーダーであると言えます。

三国志を好きな方でも杜預について知っている方は少なく、当然人気もありませんが、三国志の隠れた英雄のひとりが杜預なのです。

『勝利や成功をおさめるには勢いが重要。その勢いを作るのがリーダーの英断にある』

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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