『三国志のことわざ』
今回の諺(ことわざ)は、『断金の交わり』です。
英語では「Fellowship」。
《ことわざの意味》
意味は、「極めて親密な、かたい友情」(ことわざ辞典)
または「金属をも切断するほど友情が極めて堅いこと」(広辞苑)
「断金」の意味は、硬い金属をも断ち切ってしまうほど、強固に結ばれた友情のこと。
(間違った解釈は、金属の結びつきが堅くて断ち切れないというもの)
《ことわざの補足説明》
三国志のなかでいくつかのエピソードが諺として現代まで残っていますが、この「断金の交わり」というものの素晴らしいことだと思っています。
一見同じように聞こえる「水魚の交わり」とどこが違うのかというと、「水魚の交わり」は君臣との関係において語られるもの。
つまり基本的に、上下関係において用いられる諺であるということです。
または、異質な者同士が結びつくことによって、片方がもう片方の力となる(生かす)ことを意味しています。
それに比べて「断金の交わり」のほうは、同じ身分や同年齢の者同士が堅い友情によって結ばれる様を表したものです。
つまり、基本的に同等の立場の者同士の友情において用いられる諺であるのです。
こちらは君臣関係において語られる諺ではないということです。
《ことわざのエピソード》
この「断金の交わり」とは、呉の孫策と周瑜の二人の友情を表しています。
孫策という人物は、陽気で会話を楽しむ闊達な性格であったと言われています。
英雄気質を持ち、勇猛で行動力がある人物です。
かつての英雄「項羽」に似ていると言われていたようです。
項羽のようなたくましく突き進むことを恐れない男なのです。
周瑜という人物は、盧江の周氏として知られた揚州の名家の出身です。
名門の一族として生まれ、容姿端麗であった周瑜は「美周郎」と呼ばれていました。
彼は音楽の才能にも恵まれていて、「曲に間違いがあれば周郎が振り返るぞ」言われるほどでした。
二人がそもそも出会ったのは、父孫堅の董卓討伐の挙兵に伴って、息子の孫策が周瑜の住んでいたジョ県に移住してきたときです。
二人は同い年でこのとき十五歳。
同い年ということもあってか、二人はすぐに意気投合しました。
周瑜は自宅の南側にある大きな屋敷を孫策たちに譲って住まわせ、必要なものはすべて分け与えたといいます。
またそこには孫氏と周氏の微妙な関係も絡んでいました。
周氏は名門の家柄ではありましたが、乱世において一族を守るだけの武力が欠けていました。
反対に孫氏(孫堅)は低い身分からのし上がってきた軍閥でした。
そんな二つの家が結びつくことで、周氏は武力の保護を得ることが出来、孫氏は周氏の名声によって揚州一帯の地方名士を味方につけることが出来るというように、どちらにも利がある関係だったのです。
後に二人の関係は主君と臣下となりましたが、それは名目上のことで実際はお互いに親友として接していました。
やがて孫策は江東平定に乗り出します。
周瑜はそれに対して惜しみない援助をしていきます。
さらにこの二人のエピソードでよく知られていることは、「大喬と小喬」という美人姉妹をお互いの妻としたことでしょう。
これって、どんだけ仲がいいんだ! と、つい言ってしまいたくなりますよね。
つまり、姉妹をお互いの妻としたのですから義理の兄弟でもあるのです。
義理の兄弟というと、劉備、関羽、張飛をすぐ思い浮かべますが、彼らは兄と弟という意識が強く、上下の感覚がきちっとしています。
でも、孫策と周瑜には上下の感覚は無かったことでしょう。
立場上、主と臣下となったけれど大の親友という意識でいたようです。
この二人の関係が崩れるのは、かつて孫策が殺した許貢(きょこう)という部下に襲われ、そのときの傷がもとで亡くなるまで続きました。
【独自見解】
孫策と周瑜はいわゆる竹馬の友で大親友。
いいですね!
昨今に限りませんが、ときおり学生の人がイジメにあって自殺することが起きています。
そういうときによく思うのが、孫策と周瑜、または劉備と孔明のことです。
もし、たった一人でも自分(その人の)の味方になってくれる人がいたら、どれだけ生きる力が湧いてくるでしょうか。
大げさな言い方ですが、世界中のすべてが敵となっても、たった一人でも友が自分の気持ちを理解してくれ、そばにいてくれたなら生きる勇気がわいてくるでしょう。
そうした存在に出会うかどうかは、もしかしたら個人の力ではどうしようもないことで、運命と呼べるものの仕業なのかもしれません。
それでもそうした大親友という存在を求めることは大切だと思います。
また、大親友となると、孫策と周瑜のように初めて会った時からぱっと感じるものがあって黙っていても勝手にくっ付いてしまうものなのかもしれません。
だとすると、人間の努力で簡単に大親友と呼べる存在を作り出すのは難しいのかもしれません。
でも、大親友とまでは呼べなくても親友を作ることは努力すれば出来るように思います。
断金の交わりまで行かなくても、共に語り合い、共に支え合う親友がいれば辛い人生も乗り切っていけるのではないでしょうか。
逆に、親友もいない、支えてくれる人がいないということは、人としてとても寂しくて悲しいことのように思えます。
独りぼっちは辛いものです。
もし、あなたが、独りぼっちが嫌ならば、あなたが誰かのためになにかを進んでやることです。
人として大切なことは、身近な人を裏切らないことです。
人が人としてあるために必要な条件は、受けた恩を決して忘れないことです。
大切な人を裏切り、受けた恩を忘れるならば、もはや人の心を持つとは呼べません。
三国志がなぜ現代でも読まれ続けているのかというと、そうした人と人の友情や恩義、仁義がそこにあるからです。
それが後世の人たちを引きつけて止まないのです。
「断金の交わり」、そう呼べる親友がいたらどんなに人生は楽しいでしょうか!
【ことわざから学ぶ教訓】
「人生を彩るのは、友だちの数ではなく質である。親友と呼べる人がひとりでもいれば、人生は華やかになる」
「親友を作るコツは自分から“与える”こと」
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。