『赤子の守護神と臣下想いの主君』 前回は、智謀の諸葛亮と仁義の劉備の話をしました。今回は、長坂坡の戦いにおける趙雲の活躍と臣下を想う劉備の話をしてみたいと思います。 【曹操、邪魔者を排除する】 襄陽を攻略した曹操は劉表の次男である劉ソウを荊州から追い出し、青州の刺史に無理やり命じて赴任させてしまいます。青州は中原から離れている地方に当たるので、これは明らかに左遷です。要は目障りな劉ソウを追っ払ったのです。しかし、それは口実にしか過ぎなくて、劉ソウが青州に向かっている途中で部下の干禁(うき...
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- 2021 11月
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『智謀と仁義が合わさったとき(諸葛亮と劉備)【後編】』 前回は、十万の曹操軍を軍師孔明が迎え撃った話をしました。 今回は、孔明の智謀と劉備の仁義の話をします。 【敗軍の将は敗戦に学ぶ】 十万の大軍を持って新野の劉備軍を攻めたにも関わらず大敗をした夏侯惇は曹操の前に自らの身を縄で縛った状態で晒します。曹操は、夏侯惇に敗戦の理由を聞きます。軍師孔明の火計にやられたと報告する夏侯惇は、敗戦の責任を取って斬られる覚悟をしていました。ですが意外なことを曹操は十万の大軍を失わせた夏侯惇を許します。「...
『智謀と仁義が合わさったとき(諸葛亮と劉備)【前編】』 前回は、孫家に起きた家督継承問題の話をしました。 今回は、智謀の諸葛亮と仁義の劉備が合わさったときという話をしてみたいと思います。 【曹操、新野の劉備を攻める】 諸葛亮と云えば智謀の才、劉備と云えば仁義の人。 劉備の「三顧の礼」によって諸葛亮を軍師に迎い入れたことで、二人はタッグを組むように活躍していくことになります。その始まりが「博望ハ」という場所で行われた戦いです。(博望ハの「ハ」がワードで表示されないためカタカナ表記とします)...
『三国志のことわざ』 今回の諺(ことわざ)は、『三顧の礼』です。英語では「showing special confidence and courtesy」など。 《ことわざの意味》 意味は、「地位の高い人や目上の人が、人に仕事を引き受けてもらうために、何度も足を運び、礼を尽くして頼み込むこと」(大きい活字の故事・ことわざ辞典) または「目上の人が礼を厚くして、人を仕事に引き受けてくれるように頼むこと。優秀な人材を迎えるときに取る手厚い礼儀」(広辞苑) です。 《意味の補足》 本来「三顧の礼」...
『覇業を継ぐ者(孫策と孫権)』 前回は、劉備が孔明という軍師を得た話をしました。今回は、時間を少し戻して江東の地に勢力を持つ孫家(孫氏)に起きた家督継承問題にタイムスリップしてみます。 【孫策、呉の地盤を築く】 三国志というのは、『魏の曹操』『蜀の劉備』そして『呉の孫権』の三者、三勢力が揃ってこその歴史であり、物語なのです。三国志をみると、曹操と劉備のことばかりに気がいってしまいがちですが、呉という勢力、孫権という人物抜きには三国志は成立しないのです。 これは、西暦200年の出来事...
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