『世間知らずな言動は身を滅ぼす』 今回は、不遜な言動は身を滅ぼすという話をしてみたいと思います。 【張魯、「蜀」侵略を企む】 曹操に敗れた馬超は、漢中の太守張魯を頼ります。漢中、そこはその昔漢王朝を築いた高祖劉邦が天下統一の足がかりとした地。漢民族の中心である中原から見れば僻地です。僻地であるがゆえに30年もの間、朝廷からの征伐も各地の諸侯からの攻撃にもあわずに平安を維持してきた土地だったのです。 しかし、西涼軍の馬騰、馬超が破れ曹操によって西涼が支配されたいまとなっては曹操の手が伸びて...
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- 2022 8月
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『渭水の戦い』 『渭水の戦いにおける曹操と馬超の違い』 【渭水の戦い勃発】 復讐の怒りに燃えた馬超率いる西涼軍は勢いにのって長安を攻め落とします。さらに曹洪が守る城を落して勢いを増します。西涼軍はそのまま許都へ進軍して行きました。 曹操は劣勢を挽回すべく自ら軍勢を率いて出陣。ついに西涼軍20万対曹操軍30万の大軍が対決することになったのです。 西暦211年「渭水の戦い」 初戦では西涼軍が曹操軍を圧倒し、馬超はあと少しで曹操を倒すところまで迫りました。ですが、あと少しと言うところで曹操を...
『運も実力の内』 今回は、西涼の馬騰と曹操の駆け引きについて話します。 【馬騰、曹操討伐に動く】 赤壁で大敗した曹操は、南下攻略に慎重に成らざるを得ませんでした。しかも、劉備が荊州を支配して地盤を築いてしまったのですからなおさらです。荊州の劉備と呉の孫権が組んでいては、曹操も簡単には手がだせないのです。 それでも天下統一のためには、荊州を奪還し、呉を滅ぼさなければなりません。そのために憂いの種を取り除かねばなりません。憂いの種とは、西涼の馬一族です。族長の馬騰(ばとう)は曹操と同年代で、...
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