【張飛の欠点】 《張飛の欠点1》 219年、劉備は曹操との漢中争奪戦に勝利して漢中王となる。劉備は、政庁を成都に移し、漢中には有力な将軍を守備に就かせることにする。劉備陣営では、張飛が任用されるというのが衆目の一致するところであったが、意外なことに魏延が督漢中・鎮遠将軍に抜擢され、張飛は右将軍・仮節に任じられた。将軍としての官位は張飛のほうが上だが、「漢中を督する」政治的・軍事的な意味では魏延に分が上がった。 『三国志集解』の著者である盧弼(ろひつ)は、この人事の理由を張飛の兵士たちからの人望...
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- 2020 12月
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【張飛の魅力】 粗暴な漢(おとこ)張飛。だが、中国でも日本でも意外に人気がある。なぜか? それは関羽が民衆に慕われる理由と同じである。張飛は“義兄弟の契り”を結んだ兄貴分の劉備に対して“報いられることを期待しない忠誠”を貫き通したからである。 関羽のようなスカウト話はないものの、関羽と同等の忠誠心を持っていた。日本人は「忠義」が好きである。 張飛の生き様は「見返りを求めず」「約束をたがえず」「命を顧みず」、そして、どこまでも「忠義を貫く」である。 粗暴な面はあるものの、その愚かな粗暴さを覆い尽...
【張飛の豪傑ぶり】 《長坂ハの戦い》 張飛と言えば長坂ハ、長坂ハといえば張飛であろう。長坂ハの戦いにおいて、わずか20騎で曹操の大軍を撤退させたことは正史に記述がある。つまり、実話である。ただし、どのようにして撤退させたのか? 曹操が撤退した心境の本当のところはなぞである。 『三国志演義』では、趙雲が赤子(阿斗)を救出し、主君劉備のもとへ戻ることを援護し、橋の真ん中で怒号を上げると曹操旗下の武将が腰を抜かして落馬したことになっている。だが、現実にはあり得ないだろう。事実は、張飛のあまりにも激し...
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