
【張飛の豪傑ぶり】
《長坂ハの戦い》
張飛と言えば長坂ハ、長坂ハといえば張飛であろう。
長坂ハの戦いにおいて、わずか20騎で曹操の大軍を撤退させたことは正史に記述がある。つまり、実話である。
ただし、どのようにして撤退させたのか?
曹操が撤退した心境の本当のところはなぞである。
『三国志演義』では、趙雲が赤子(阿斗)を救出し、主君劉備のもとへ戻ることを援護し、橋の真ん中で怒号を上げると曹操旗下の武将が腰を抜かして落馬したことになっている。
だが、現実にはあり得ないだろう。
事実は、張飛のあまりにも激しい闘気に怖気づいたというところであろう。
張飛は逃げ落ちる劉備を守護するために全身全霊で闘気を発したのだ。
張飛は長坂橋を盾にとり、矛をしごきながら「われこそは音に聞こえた張益徳なるぞ。命の惜しくない者は、いざ、尋常に勝負せい!」と豪語した。
その闘気を凶器と感じた曹操軍の兵士たちが襲い掛かることができなかったのだろう。
また、疑り深い曹操のことだから、“罠”を警戒したものと思われる。
「武術」を修めたものには「闘気」が宿る。
まして戦乱の時代、血で血を洗う世に固い絆で結ばれた兄貴(劉備)の命を救うためとあれば、張飛は自分の命と引き換えにして曹操の大軍を相手にしただろう。
劉備への「愛」ゆえに、張飛の闘気は最高潮に達していたと思われる。
こういう表現は歴史家や学者が言うことの無い表現だが、武道を習得した人間なら理解出来るはず。
正史『張飛伝』の記述には、
「飛、水によりて橋を断ち、目を瞋らせ(いからせ)、矛を横たえて曰く、“身はこれ張飛益徳なり。来りて共に死を決すべし”。敵みな敢て近づく者無し。ゆえについに免るを得たり」
とある。
たが、『三国志演義』では、
「我こそは燕人張飛なり。命の惜しくないやつは出て参れ!」
「やい、てめえら、勝負をするのか、それとも逃げるのか、はっきりせい!」
と大音声で魏の武将たちに迫ったとなっている。
さらに、「橋を落としたことで伏兵を置いていないことが見破られる」との劉備の指摘を受けるというオチが付いている。
この“オチ”をつけるところが、小説で張飛のキャラクターを作る上で大きな影響を与えている。
「豪傑だが、抜けたところがある」というキャラクターが関羽、趙雲などと違うタイプになって、物語の人物像が多様になり、面白みがでる。
そう言う意味では、三国志の中で脚色が多い人物が張飛だろう。

【三国志のトリックスター“張飛”】
《張飛がトリックスターとなった事例》
〈事例1〉
劉備がまだ義勇軍を立ち上げて間もない頃の話である。
劉備は、面会を断られた腹いせに監察官の督郵(とくゆう)という人物を縛りつけ、杖で200回も叩いて逃げたことがある。(正史「先主伝」)
史実のなかの劉備にはそんな短気な面もある人間なのだが、劉備を高潔な人物として描く『三国志演義』では督郵(とくゆう)を叩くのは張飛の仕業にされている。
なんと、劉備はそれを止めに入って捨て台詞を吐くだけの役回りにされている。
また、講談をまとめた『三国志平話』では、督郵を叩くどころか八つ裂きにしている(張飛が)。
どんどんキャラクターが独り歩きしている感がある。
この「張飛=酒好き=暴れん坊」というキャラはどこから発生したのか?
正史『張飛伝』にはこう言った記述がある。
「お前は刑罰に厳しく、あまりに人を殺し過ぎ、毎日のように兵を鞭で叩いている。これは災いを招く行為だぞ」と劉備が諭している。
この記述から「張飛=粗暴」ということが読み取れるが、単なる粗暴(暴れん坊)では面白くない。
そこで「酒好きの暴れん坊」とされたのだろう。
〈事例2〉
正史『夏侯淵伝』の注に引く『魏略』によると、ちょうど官渡の戦いのころ、夏侯覇(夏侯淵の次男)の従妹で13~14歳になる少女が薪を取りに出かけた折、張飛に捕まってしまう。
張飛は少女が良家の娘であることを知ると、そのまま自分の妻にしてしまったという。
人さらい、誘拐?
野獣かな?
まさに略奪婚である。
〈事例3〉
曹操の大軍が徐州に現れたとき劉備軍は総崩れとなり、劉備たち3兄弟は散り散りになってしまう。
劉備は命からがら袁紹を頼り、関羽は劉備の妻子を護衛していたため曹操の捕虜となる。
だが、張飛のこのときの動向はよく分かっていない。
『三国志演義』では、古城の県の長官を追い出して居座っていたところに、曹操と袂(たもと)を分かった関羽が現れ再会を果たすことになっている。
しかし、張飛は関羽が裏切ったと勘違いして、関羽に矛(ほこ)を向ける。
誤解を解くために関羽が曹操の将蔡陽(さいよう)を斬ってみせたために、ようやく張飛は納得する。
このように張飛は短絡的な思考の持ち主で無知な乱暴者として描かれている。
ただし、『三国志演義』はフィクションが豊富に挿入された小説である。
小説としての宿命ゆえ、張飛はトリックスターというキャラクターを与えられた側面があることは否定できない。
では、正史の張飛は、というと、張飛に関する記述は意外と少ない。
それでも随所に荒武者の風貌を伝えているので、あながちすべてが小説の創作というものではなさそうである。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。