『張飛伝1 ~張飛の人物評~』
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【張飛の個人データ】

生没年・・・?~221年 (関羽より2歳下)
出身地・・・幽州琢郡
字(あざな)・・・「益徳、翼徳」
家系・・・不明
父親・・・不明
妻・・・・夏侯淵の姪
子供・・・張苞(ちょうほう)、張紹(ちょうしょう)
肩書・・・別部司馬、中朗将、車騎将軍、司隷校尉
前職・・・豚肉を扱う商人

《張飛の家族について》

『三国志演義』では、酒や豚肉を扱う商人として登場する張飛だが、正史においては、親兄弟などの家族関係は一切わかっていない。

張飛は、後年になって夏侯淵の姪を略奪婚の形で妻とする。
その子供が張苞、張紹の男子と二人の女子である。
長女と次女ともに、蜀漢2代皇帝劉禅の妻(正室)となっている。
(長女=張皇后、次女=敬哀皇后)
これを見る限り、蜀漢王朝(つまり劉氏)と張家が深い関係にあることが分かる。

【張飛の容貌と性格について】

張飛の容貌と性格に関しては小説『三国志演義』の影響が色濃く出ている。
それは「脚色」という言葉がよく似合う。

張飛の容貌と性格の記述は?

「虎のようなヒゲを顔中に生やした大男で、酒に酔うと手のつけられぬ暴れん坊」という絵に描いたような豪傑像となっている。

三国志の読者が「張飛のイメージ」と言って思い浮かぶのが「酒好き」ではないだろうか?
だが、正史『三国志』では、張飛が酒好きだということと、酒を飲んで暴れたという記述はないのである。

「張飛=酒好き=暴れん坊」は、脚色されたキャラクター像なのだ。

物語を描く時には、特徴のある個性が必要でキャラクターごとの“キャラ”を別の特徴を持たせつつ際立たせる、これが鉄則である。

「仁」を大切にし、情に厚い劉備。
「義」を重んじるが、無骨ものの関羽。
ならば、一番下の弟張飛をどう描くか?
創作論から言えば、「関羽とキャラが被らないようにする」である。
関羽の「義の漢(おとこ)」と張飛は劉備への「義」という点でキャラが被っている。
張飛も関羽に負けず劣らず劉備への「忠義心」を持っている。
武勇も関羽と張飛は甲乙つけ難い。
となると、別の特徴を張飛に持たせる必要がある。
そこで劉備、関羽、張飛の3兄弟をセットでキャラクター設定をするために「三枚目キャラ」を張飛に混ぜたのだ。

つまり、武勇は関羽と同等でめっぽう強い。
劉備に対する忠義も関羽に負けない。
でも、クールな関羽と違って「酒好き」で「暴れん坊」キャラとすることで、3人のキャラクターのバランスを取ったのだ。
そういう意味で張飛は歴史的に損をした人物ということもできる。

ただし、張飛は酒を飲もうが飲まなかろうが、粗暴な面があったことは確かなようだ。
要するに、小説『三国志演義』が面白おかしく張飛というキャラクターを創作したことが事実であったように語り継がれているのだ。
同情の余地あり、といったところだろうか。

ちなみに張飛のようなキャラクターを創作術の表現を使うと「トリックスター」となる。

物語を面白おかしくするためには「トリックスター」が欠かせないのだ。

張飛の「勇猛果敢だが、単細胞の乱暴者」という後世のイメージの半分は作られたものである。
それによって後世の扱いに大きな影響を与えてしまった。
同じように勇猛果敢な武将として歴史に記された兄貴分の関羽は商売の神として“関帝廟”に祀られる存在となったのに、張飛を祭った廟は江蘇省と四川省にあるくらいで、なん百とある関帝廟と比べたらあまりにも少ない。

【張飛の人物評】

《正史『三国志』の評価》

「皆万人之敵と称す」

正史『張飛伝』(蜀書)の記述である。
意味は、「関羽と張飛には、兵1万人を相手にする力がある」

兵1万人に匹敵するとは、すごい!
だが、これはなんでも大げさに言う癖のある中国人の表現だろうと思う日本人もいるだろう。
しかし、この評価は自軍の武将の実力を大げさに宣伝するために劉備や諸葛亮が語った言葉ではない。
関羽と張飛を「兵1万人に匹敵する」と評したのは、曹操の参謀・程昱である。

この正史に残る敵側からの評価は、『三国志演義』で大げさにアレンジされていたとしても、そこに真実があるという証拠である。
つまり、張飛は本当に強かったということである。

また、呉の将軍周瑜も「私が関羽と張飛を手足のように使って戦いを進めれば、天下統一の大業も成せましょう」(正史『周瑜伝』)と語っている。

つまり、周瑜の智謀(軍略)と関羽、張飛の武力があれば天下統一が可能だと言わしめるほどの武勇を持っていたことが敵方から評価されている、ということだ。
これらからも関羽と張飛の武力は三国志に登場する武将たちの中でも群を抜いていいたことは間違いない。

「飛、暴にしてしかも恩なし。短を以て敗を取る。理数の常なり」

正史『張飛伝』のの記述である。
意味は、「張飛は狂暴でしかも部下をかわいがらなかった。結局、その欠点が身の破滅を招いたが、これは理の当然というものだ」である。

「強ければいい」
「強さが男の証明」
「強さこそ偉さ」
と言った思考と呼んでいい。

こうした発想をする人は現代社会にもいる。
「強さ」を「力」と変換してみればいい。
その「力」とは?
「権力」「財力」「有名であること」などがそれに該当する。

人間は結局、人間の中に生きている。
だから、己の成功も失敗も他の人間との関係が重要となる。
そこにある鍵は「人間性」である。
いくら「財」があっても、いくら「偉そうな肩書」があっても、人間性が悪いと必ず悲劇的な結末が待ち受ける、ということである。

張飛伝2に続く。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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