『リーダーの冷酷な判断』
今回は、曹操の冷酷な判断について論じます。
【三国志に、もうひとつ国家があった?】
三国志といえば、三つの国が乱立した時代と思っているでしょう。
三つの国が建国されたのは三国志の後半ですが、実は前半において別の王朝(国)が一時期ではありますが存在していたのです。
ただし、その王朝の正当性はありません。
勝手に皇帝を名乗っただけ。
勝手に国家と主張しただけです。
三国志といえば、曹操(曹仁)の『魏』、孫権の『呉』、劉備の『蜀漢』ということは、ほとんどの方が知っていることでしょう。
実は、孫堅から『伝国璽』を譲り受けた袁術は、周囲の反対を押し切って皇帝を名乗ります。
国名は『仲』
(皇帝用の印綬を手に入れたからと言って皇帝を名乗るなんて、なんて野心家で傍若無人なのでしょう)
三国志に出てくる袁術、袁紹は漢に代々仕える名門の家柄です。
しかも、袁氏の家系からすると正当な袁氏の直系は袁紹ではなくて袁術のほうなのです。
袁紹は妾(側室)の子で、袁術は正妻の子なので本来袁氏の名門権力は袁術が持っていてもいいはずなのです。
(兄弟ではなく、従兄弟だという説もあるが、どちらにしても袁術のほうに正当性がある出自だったようです)
【袁術はダメリーダーの見本】
袁術はリーダーとしては不適格、資質としては不才能です。
しかも、理性などどこにあるかと思うくらい自らの欲望を抑えきれないタイプだったのです。
『正史「袁術伝」』には、袁術の酒池肉林がすごくて、士卒は飢え、人々が互いに食い合うさまだったとの記述があります。
他人のことなどお構いなしで、自分の欲望を満たすことを最優先したのです。
『後漢書』には、袁紹のもとにたくさんの人材があつまるのを見て嫉妬したと記述されています。
孫策のこともそうですが、袁術は有能な人材と見て取ったら強引にその人物を自分のものにしようとするのです。
(袁術のそれは、ほとんどストーカー的資質です)
欲しい人物の子供を人質にしてみたり、自分に仕えるというまで牢屋などに監禁したりします。
名門の御曹司などの恵まれた家に生まれると、他人の痛みや苦しみが理解できずに冷血な人物になることがありますが、まさに袁術がその代表でしょう。
(名門の家庭、裕福な家庭に生まれても人情に篤い方はたくさんいます)
袁術とすれば、妾の子である袁紹が反討伐軍の盟主に選ばれたことが許せなかったのでしょう。
異常なまでに袁紹へのライバル意識があったのです。
だからこそ『伝国璽』を手にしたことをいいことに、皇帝を名乗ったのです。
【曹操、自らを罰する?】
曹操は袁術の愚行を漢王朝に歯向かう謀反だとして兵を向けることになります。
(このときまだ漢王朝は滅んでいません)
しかしです。
各地の諸侯たちは、漢の献帝の名で勅書が届いても、実質的には曹操の命令だということを知っていますから、表では命令に従うと返事をしても、実際兵を出すことはしませんでした。
曹操は漢帝国に弓引くものとして袁術討伐のため単独で軍を動かしますが、その道中で曹操という人物をよりよく理解できるエピソードが起きます。
曹操は四頭だての馬車に乗っていましたが、その馬が急に暴れて、あろうことか麦畑に入ってしまいました。
曹操は軍を出すときにある軍令を出していました。
それは「収穫期の畑を害するのは厳禁である。畑を荒らせば切る」というもの。
あらあら、曹操自らが畑を荒らしてしまいました。
さあ、曹操はどうするでしょう。
曹操は部下に命じます。
「大将自らが軍法を犯しては示しがつかぬ。この刀で自分を切って軍の見せしめにしろ」と。
もちろん、荀彧などの部下が止めに入ります。
部下たちの願いを聞き入れるかたちを取り、しぶしぶ斬首は取りやめることにします。
その代わりに自らの髷を切って罰としました。ちゃんちゃん!
(おい! 曹操、くさい芝居じゃね~か! と言わざるを得ません)
このエピソードが史実かどうかはわかりませんが実に曹操たる人物の性格を如実に表していると思います。
これがもし劉備なら本気で自らに罰を与えようとしたでしょう。
曹操は自らが発した軍令が崩れるのを防ぎながらも、組織の体制を保つ機転を利かせたのです。
これこそ知恵者の姿といえるでしょう。
(悪知恵かな?)
【劉備参戦、悩む曹操】
各地の諸侯は曹操の呼びかけに応じませんでしたが、たったひとりだけ曹操の呼びかけに応じてはせ参じた人物がいました。
劉備玄徳です。
曹操は悩みます。
まさか劉備がやってくるとは思わなかったからです。
そこで参謀に意見を求めます。
まずは荀彧。
「劉備は将来の禍根となるから殺せ」といいます。
次に郭嘉。
「劉備を殺すと民心が得られないから生かせ」といいます。
最後に程昱。
「いまは生かしておいて後に殺せ」といいます。
程昱は前者二人の意見を否定せず取り入れて、なおかつ曹操の気持ちを推し量ったうえで意見したのです。
三人の参謀の意見を聞いた曹操は、結局すぐに殺すことをやめて一旦劉備を受け入れることにします。
(このとき荀彧の意見が通っていたら、その後の三国志の物語はなくなり、曹操が天下を取ったという歴史が残ったことでしょう。荀彧、恐るべし)
曹操は疑り深い性格です。
疑り深いということは、物事を深く考える、あるいは探求心が強いということの裏返しでもあります。
やはり、リーダーと名の付く人であるならば、判断を間違うことは許されません。
そのためには、物事を深く考え、なおかつ他人の意見をよく聞き、そのうえで最良の判断を下さなければなりません。
そういう意味では曹操は優れたリーダーであると言えます。
【曹操の冷酷な判断】
袁術を攻めた曹操でしたが、袁術は臣下の意見を聞き入れて籠城作戦にでます。
曹操軍の兵糧(食料)が尽きるのを待って攻撃しようという作戦です。
袁術の企み通り曹操軍の兵糧は減っていき、部下から兵糧があと三日分しかないと報告されます。
すると曹操は三日の食料を十日持たせろと無茶な話をします。
小さなマスで配れというのです。
(そんなバカな!)
部下が本当に小さなマスで食料を出すと当然兵士たちから不平不満が続出します。
それを見た曹操がしたことは、これまた驚くべき判断でした。
それは、兵糧の管理担当者を打ち首にして、兵士の前に晒すということです。
そう、すべては兵糧の管理をしていた者の責任にして兵士たちの不満をそらしたのです。
(そりゃないぜ、べいべ~♪)
そうしておいて、兵士たちに食料を余すことなく与えるからたっぷりと食べて三日で城を落とせと命じるのです。
兵たちは曹操の思惑にまんまと嵌って死力を尽くして城を落とします。
ただし、曹操軍の損害も大きかったようです。
劉備なら絶対しないことです。
それにしても恐ろしい男ですね。
それにしても、冷酷。
【火花散る、劉備と曹操のバトル】
ですが、歴史を見てみると、こうした冷酷なことをする人物こそが天下取りに一番乗りすることがちょくちょく起きています。
劉備のように、仁の心を持ち、義理人情を大切にするタイプは天下取りに遅れをとる傾向があります。
けれど、冷酷なタイプの人物は最終的に身内の謀反にあったり非業の死を遂げたりします。
それを考えるとなかなか難しいところです。
しかし、ひとつ言えることは冷酷に判断するタイプの人物のほうが改革や革命をすることに向いている。
というか、そういう人物こそが世の中の常識をひっくり返して新しい世の中を創っていくのです。
ですから、非常なタイプの人物も、大きく考えてみれば人類にとっては必要だと言えるのではないでしょうか。
(日本の幕末期に例えるなら、大久保利通などがこのタイプです)
結局、曹操は二万もの兵を失い苦戦しながらも袁術に勝利することが出来ました。
ここで曹操は劉備に言います。
「劉備殿行くな。ここに残ってわしと共に大業を成そう」と。
劉備は「徐州にいる家族が帰りを待ち望んでいる」と、曹操に感謝の礼を述べたうえで遠回しに断ります。
すると曹操はズバッと劉備の心に切り込みます。
「劉備は天下を狙っているから曹操に仕える気はない。という話は本当らしいな」と。
劉備は内心焦りましたが、へり下りつつも考えを変えません。
さらに、曹操は呂布がいる徐州に戻るのは狼のいる巣穴に戻るに等しいと言います。
それに答えて劉備がなんと答えたかが、秀逸です。
それは「呂布は狼と言いましたが、曹公(曹操)は虎です。わたしは狼のそばにいたほうが虎のそばにいるよりも安全です」
(なんと挑発的なセリフでしょう。ほとんど喧嘩ですな!)
曹操は最後にドスを聞かせて劉備を脅します。
「いずれ徐州には攻め入る。父親の仇の陶謙の息子がいるからな」と。
(いつまで恨んでんだ~!)
劉備は「殺す気がないのなら、帰ります」と曹操の脅しに屈しません。
ここのところ大事です。
劉備は普段ものすごく謙虚で控えめな人物ですが、けんか腰、脅し口調の曹操に屈せず平然と批判し自己の主張を通します。
やはり、リーダーは不当な圧力にあったときは闘わなくてはなりません。
普段優しくても、ここぞというときには不動明王のように猛々しく立ち向わねばなりません。
曹仁は「このまま帰してしまうのですか」と剣に手を掛けながら曹操に詰め寄りますが、曹操は「直接手を下さなくても呂布に打たせればよい」と答えて許都に帰還します。
曹操と劉備。
宿命の対決じゃないですか~!
【ときに必要なリーダーの資質とは?】
リーダーには、時に冷徹な判断を求められるときがあります。
それは大事なものを守り、目的を達成するためであって、リーダーの個人的な欲望であってはなりません。
他を生かすために、冷徹な判断をするのであって、リーダー自身の欲得でしてはいけないのです。
大事なことは冷酷な判断ではなく、冷徹な判断をすることです。
【今回の教訓】
「部下が失敗したら罰せられるのに、上司が間違いを犯しても罰せられないのは不条理である」
「無実の人間に罪を着せて罰してはいけない」
「以外にも冷酷に組織を率いるタイプが新しい世の中を切り開いていくことがある」
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。