『荊州争奪編13 ~享楽からの脱出~』
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『享楽からの脱出』 

みなさんは楽しい時間が永遠に続けばいいなと思ったことはありませんか?
今回は楽しい時間を過ごしてきた劉備のその後を見ていきます。

【享楽の日々】

 劉備は、若い新妻を娶り、美女たちの踊りを眺め、酒浸りの日々を送っていました。
しかも、孫権から支給されている手当では足りぬと、金額の増額を要求する始末。
劉備に仕えている孫乾は、そのあまりの変貌ぶりに驚きます。
それは護衛の任について片時も劉備のそばから離れない趙雲とて同じ気持ちでした。

 劉備が婚礼のために呉に来て早くも数ケ月の歳月がたってしまいました。
いつの間にか年の瀬が近づいていたことに趙雲ははっとしてあることを思い出します。
それは、荊州を出発するときに孔明から授かった三つ袋(策)のことです。
すでに一つ目の袋は呉に到着するときに開けています。
それによって、劉備と孫小妹との婚礼が上手く運んだのでした。
孔明は趙雲に「年の瀬が近づいても殿(劉備)が荊州に戻らなかったら二つ目の袋を開けろ」と指示していたのです。
趙雲は、そのことを思い出して、しまっておいた白色の袋を開けてみるのです。

【孔明の策とは?】

 趙雲は、享楽の日々を過ごす劉備のもとへやってきて悪態をつきます。
踊り子を蹴散らし、笛を投げ捨て、劉備に迫ります。

「主君は変わりました。享楽に耽り、虚しくときを過ごす毎日。志を忘れました」

劉備は起き上がり「なんたることを申すのか!」と怒ります。

「もはや主君ではありません」

趙雲は劉備を諫めます。

「説教など聞きたくない」

そういって劉備は、食事の皿を投げつけるのです。
劉備に出ていけと言われた趙雲は、仕方なしに荊州に戻るのです。
荊州に戻った趙雲は、孔明から主君を見捨てて帰還した罪で棒叩きの刑に処せられます。

 関羽と張飛は、孔明に劉備を迎えに行くと迫ります。
しかし孔明はじっと押し黙って命をだしません。
それを見た関羽と張飛は、孔明が劉備を見殺しにして、荊州を乗っ取るのではないかと疑いの心を持ちます。
関羽と張飛にしてみれば、いつまでたっても劉備が戻ってこないので、劉備の身を案じていたのです。
趙雲から呉にいる劉備の様子を聞かされて、さらに心配な気持ちは増していきます。
なんども関羽と張飛は兵を引き連れて劉備を救いに行くと主張しますが、軍権を預かっている孔明はそれを止めます。
それは周瑜の策に嵌ることになるからです。

 趙雲は、痛む体(懲罰を受けて)で呉に戻ることにします。
それを知った周瑜は趙雲の忠義心を誉めながら、密かに自分の策が成功しつつあると思い、荊州攻略のためにさらなる策を立てるのです。
それは荊州で周瑜と孔明が、劉備から荊州を乗っ取ることを企んでいると噂を立てさせることです。
そうした噂を耳にした関羽と張飛は孔明に疑いの気持ちを強くします。

疑いの心は人と人の絆を断ち切ります

 関羽と張飛に疑いを持たれた孔明は胸を傷めます。
あるとき酒を浴びるほど飲んで酔っ払った張飛が孔明の執務室にやってきて、机をひっくり返して「なぜ、兄者を救いにいかないのだ」と罵倒します。
孔明は、それをじっと耐えるのですが、心の中では感情が乱れます。
それを側で見守っていた馬謖が孔明をなだめます。
実は、孔明も劉備のことを誰よりも心配していたのです、ですが孔明にはやるべきことがあったのです。
それは荊州で人材を集め、兵を訓練し、兵糧と馬を集めて兵力を強くするという役割なのです。
この役割は他の人では出来ないのです。
それはきたるべき曹操との戦、及び呉との戦に備えてのことなのです。
事実、この時期に荊州にいる名士や武将たちが劉備陣営に加わっています。
この時期は劉備陣営に変化がみられるようになっていたのです。
以前の劉備陣営は、挙兵依頼の仲間である関羽、張飛を中心にやってきましたが、いまは軍師孔明をはじめ、黄忠、魏延、馬良、馬謖などの新勢力が加わっていたのです。

 関羽と張飛にはそうしたことへの不満が内心ではくすぶっていたように思えます。
それは会社組織においても創業者の側近として長年活躍してきた古株の幹部が途中から入ってきた新しい幹部や後輩たちから突き上げられる事情と似ています。

 一方、享楽の日々を過ごしていた劉備は、趙雲から「曹操の大軍が荊州に攻め込んできた」と聞かされて荊州に戻る決意をします。
趙雲が、主君である劉備を諫めたのも、荊州に一旦帰還したのも、棒叩きの刑も実は孔明と趙雲の演技だったのです。
そうすることで堕落した劉備の目を覚まさせるためだったのです。
これが二つ目の策です。

劉備は新妻の小妹に荊州に帰ると告げます。
すると小妹は、自分も一緒に荊州に行くと言い出します。

【劉備、呉脱出】

 生れ故郷を離れることを決めた小妹は、母の呉国太にお別れを言いに行きます。
呉国太は娘のようすからすべてを察します。
娘と離れる寂しさをそっと胸にしまって、小妹を送り出すことにするのです。
小妹は髪を切って母の呉国太に餞別として贈ります。

 呉国太は娘と婿の劉備を荊州に送り出すために一計を立てます
孫権はじめ呉の重臣たちを呼び寄せ酒宴を開きます
そこで酒の弱い孫権にしこたま飲ませて酔い潰してしまいます。
その隙に劉備たちは南徐(呉)を脱出するのです。
しかし、監視の兵たちに見つかり呂蒙が兵を差し向けます。

さぁ~劉備は無事に呉を脱出できるのか?

 この話とは別の説があります。
それは、趙雲が孔明から授かった二つ目の袋を開けた後の行動が違うのです。
趙雲は袋を開けてすぐに劉備のもとへ行って「曹操が大軍を率いて荊州に攻めてきた」と告げることで、享楽の日々を過ごしていた劉備の目を覚まさせた、というものです。
さらに、南徐脱出のタイミングは歳が明けた元旦、呉で恒例の酒宴が開かれているときを狙って逃げ出した、というものです。

 荊州に戻ろうとする劉備と小妹を追ってきた武将も違っています。
丁奉、徐盛という説があります。
劉備たちに追いついた呉の武将丁奉、徐盛に対して、小妹が叱咤して追い払ったということになっています。
わたしはこちらの話のほうが史実に近いのではないかと考えています。

【真の‟喜び”とは?】

人は享楽の日々の中で大切なことを見失ってしまうときがあります。
享楽、娯楽などは一時の喜びをもたらしますが、それは塩水を飲むが如くで、飲んでも飲んでも満たされることはありません。
ですから、その喜びに浸るためには享楽の時間をいつまでも続けなくてはならないのです。
そうすると人間は下り坂へ転げ落ちることになります。

でも、心の底から満たされる喜び、長く続く喜びとはたいてい「努力」を伴うのです。
努力の果てに得た喜びはずっとずっと長く心の中に残ってくれるのです。
簡単に得られる喜びとは、泡のように消えてしまうものなのです。

 ですから、昔から「美女の計」や「享楽の計」に嵌ってしまって転落する男たちがいるのです。
少し意味が違いますが、麻薬などに嵌ってしまうのも同じパターンです。
人間誰しも苦労や努力をせずに、楽して簡単に成功や喜びを手に入れたいと思うものです。
そうした心は誰の心の中にもあるはずです。
劉備とて同じなのです。

 ですが、そのときに立ち止まり「初心を思い出す」「自らを振り返り反省する」などをして方向修正が出来るかどうかが大切なことなのです。

 そのポイント切り替えが出来ないと堕落の世界へまっしぐらとなるのです。
簡単なことですが、「やるべきことはやる」「自分を甘やかさない」「臭いものにふたをしない」といった習慣が大切だと思います。
享楽の時間はときに必要ですが、その泡のような楽しみに浸り過ぎると、心にひたひたとサビが発生し、いずれ腐植していきます。

「真なる喜びは努力を伴う」ということを忘れてはなりません。

【今回の教訓】

「努力の果てに得た喜びは、長く心の中に残る」

「簡単に手に入る喜びは、泡のように簡単に消えていく」

『荊州争奪編14 ~心のイノベーション~』

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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