『荊州争奪編8 ~義には義を。不忠には罰を~』
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『義には義を。不忠には罰を』 

今回は、長沙における関羽と黄忠との戦いについて話をしてみたいと思います。 

【長沙攻略に関羽を選抜】

 江南四郡のうち残るは武陵と長沙の二か所
武陵へは張飛を送り込みます。

 江南四郡の最期は長沙。
その長沙を最後にしたのは、馬良の進言に従ったからでもありますが、そこには理由があります。
簡単に言ってしまうと、長沙は他の三郡と比べて落としにくいのです。
ですから江南四郡攻略の要ともいう大事な場所なのです。

 長沙へどの武将を送り出すかを検討した劉備と孔明は関羽を呼び戻します。
逸ってやってきた関羽は興奮気味で劉備と孔明に迫ります。
零陵と桂陽での張飛、趙雲の活躍を耳にしていた関羽の心は落ち着かなくなっていたのです。

 武将という人たちは戦場に出て戦果を挙げるのが役割なのですから、ただ軍事訓練や武器の製造だけで時間を過ごすことには退屈してしまうものなのです。
(ただし、これは乱世の武将ということ)
関羽は、自分も張飛、趙雲に負けない手柄を立てたいと焦っていたのです。

「長沙攻略にはぜひわたしを。一万の兵を鍛え上げてきました」

少しは休めという孔明に休みなどいらないと言います。
結局、劉備は関羽に長沙攻略を命じます

 軍師孔明は関羽に六千の兵を与えるといいますが、関羽は五百の兵で十分だと突っぱねます
劉備も見かねて「雲長よ、軍師の言う通り六千の兵でいくのだ」と言いつけますが、関羽は劉備の言葉さえもはねつけます。
頑なに五百の兵で十分だと主張するのです。
自信満々の関羽の言葉を聞いた孔明は心配したふりをします。
そこで関羽は長沙を落せなかったら軍法の裁きを受けると言い出します。
孔明が心配していた理由は、長沙にいる強い武将の存在でした。

 関羽とすれば、華容道で曹操を取り逃がした雪辱を張らしたかったのです。
あれ以来雪辱を晴らすチャンスを待っていた関羽とすれば、「いまだ」という感じなのでしょう。
心配する劉備に孔明は「必ずや関羽は雪辱を晴らすでしょう」と自信あり気にいうのでした。

【関羽対黄忠】

 勇んで長沙攻略に乗り出した関羽ですが、その関羽を迎えたのは長沙太守の韓玄と武将の黄忠(字 漢升(かんしょう))魏延(字 文長)だったのです。
そうです、このふたりは後に劉備に仕えて蜀攻略などに貢献する武将たちなのです。
しかし、このときは関羽(劉備軍)の敵として現れました。
単騎関羽に挑みかかろうとした黄忠を見て関羽は失礼なことを言います。

「戻られよ。そなたはご老体。老人や童は斬らない」

関羽の失礼なセリフを一笑にふすと黄忠は関羽に襲い掛かります。
関羽の青龍偃月刀と黄忠の長刀が空中で何度もぶつかって火花を散らします。

 関羽が攻めればそれを黄忠が守り、黄忠が攻めれば関羽が防ぐ。
激しい攻防戦が繰り広げられます。
ふたりの激闘に観戦していた両軍の兵士たちは興奮して関羽と黄忠にエールを送ります。

 乾いた晴天の空に、二人の刃が交わる高い音が響きます。
歴戦の武将たちを一撃で倒してきた関羽の攻撃をここまで防ぎきり激しい攻防をする武将は非常に珍しいのです。
関羽とすれば、恐らく呂布以来の激戦となったでしょう。

 膠着状態をなんとかしようと動いたのは関羽でした。
関羽は突然走りだします。
黄忠がそれを追います。
それを見ていた魏延は関羽の思惑を見抜きます
関羽の乗っている馬は赤兎馬。千里を駆けると言われている名馬です。
わざと走らせて黄忠の油断を誘う作戦にでたのです。

 追ってきた黄忠に、関羽は突然向きを変えて青龍偃月刀を上段から叩きつけます。
間一髪のところで黄忠は避けます。
瞬時に関羽は青龍偃月刀を下段から燕返しのように切りかかります。
黄忠はそれでバランスを崩して落馬してしまいます。
黄忠の首に青龍偃月刀が向けられます。
「お前の勝ちだ。斬れ」そういう黄忠に「いったはずだ、老人と童は斬らぬと」
そういうと関羽は黄忠に背を向けて何処かへ行ってしまいました。

 黄忠は、韓玄のところに戻ります。
韓玄は黄忠にこう言います

「弓矢の名人のそなたがなぜ矢を放たなかったのだ」

その言葉には直接答えることなく黄忠は「明日は必ず関羽を倒します」と意気込みを語ります。
しかし、韓玄の腹心は関羽が黄忠を殺さずにその場を去ったことに疑問を持ちます。
つまり、黄忠の裏切りを疑ったのです。
腹心の言葉を聞いても韓玄は半信半疑でした。
黄忠が忠義心の厚い人物だと知っていたからです。

【魏延の寝返り】

 次の日も関羽はやってきました。
関羽を迎えうったのはやはり黄忠です。

 前日と同じように関羽と黄忠の戦闘は勝敗の見えぬものとなりました。
今回は黄忠の方が戦いに変化を持たせました。
韓玄から言われていた弓矢を取り出したのです。
しかし、一度目は矢を持たず弓を絞っただけの脅しでした。
そこで関羽は黄忠との距離を詰めようとします。
黄忠にはこのとき迷いの心が生れていました。
それは前日の戦闘で関羽が黄忠を斬らなかったことです。

 そのことに恩義を感じていたのです。
その迷いの中で黄忠は二度目の弓を引き絞ります。
今度は矢を関羽に向けます。
黄忠の放った矢は関羽に当たらずにおわりました。
その黄忠の行動を見て関羽は黄忠の気持ちを読み取ります
そのことで黄忠は主の韓玄の怒りをかってしまいます。
韓玄は黄忠の首を刎ねて見せしめにしろと語気を強めて部下に命じます。
黄忠が処刑台に連れていかれて斬首されそうになったとき、魏延が兵を引き連れて割って入ります。
魏延は韓玄を見限り、兵たちに蜂起することを呼びかけます
それに兵たちも応えるのでした。

 黄忠は魏延の無謀な行動を止めようとしますが、主の韓玄を殺してしまいます。
魏延は黄忠に「城門を開いて劉備殿を迎えましょう」と言います。
しかし、「主を裏切り殺す卑しい者とするのか」と言って魏延に同調しませんでした。
それどころか魏延の無謀さにあきれたように笑いながら姿を消してしまいました。
はからずも魏延の寝返りによって長沙城は関羽の手に落ちました
その報を聞いて劉備と孔明がやってきます。

【劉備、黄忠を説得する】

 黄忠は病と称して自宅に籠っていました。
劉備とすれば、黄忠の心を掴まなければ長沙の民の心を掴むのは難しいと考え、黄忠の屋敷を訪ねるのです。
劉備は黄忠と語り合うことにします。
劉備は黄忠に力を貸してくれと懇願するのです。
黄忠は劉備の要請に対して、老いたから大業に関心はないと言います。

 それでも膝を屈して礼儀を尽くす劉備に黄忠の心は揺れます
そこで劉備にひとつ頼み事をします。
それは主であった韓玄の亡骸を手厚く葬ってくれと頼むのです。
遺体は南山に葬ってほしいと劉備に要求するのです。
劉備は、必ず供養すると約束します。
それを聞いた黄忠の頬が緩みます。

【孔明、魏延の不義を問う】

 一方、魏延は劉備と孔明のもとへやってきます。
すると孔明は立ち上がり、韓玄を手打ちにしたのはそなたか? と問いただします。
魏延がそうだと答えると、兵に命じて魏延を斬れと命じます。
魏延は思ってもみない言葉に驚きます。
むしろ劉備たちのために手柄を立てたくらいの気持ちでいたからです。

 孔明の意図が分からない劉備は孔明に理由を聞きます。
禄をもらい主を殺すは不忠なり己の国を人に献ずるは不義なり。かように卑しき小人は殺すが必定」と正論を吐きます。
じっと考える劉備。
劉備は重い口を開いて魏延の取りなしをするのです。

 魏延は土下座したまま沙汰をまっています。
そこへ孔明はこう切り出します。

「わたしはこの世の善と悪を見極められる。そなたが隠し持った企みもな!」
「今回は主君に免じて許してやる。今後は主君に尽くし二心を抱くな!」
「もし二心を抱いたなら、わたしが斬る」

そういって魏延を震え上がらせたのです。
そして、魏延に金を与え副将の地位を与えることを劉備に提案するのでした。
劉備は孔明の提案を受け入れて、命を発しました。

 魏延が去ってから劉備は孔明にその本心を聞き出します。
「本気で殺すつもりだったのか。それともただの脅しだったのか?」と。
すると孔明は殺すつもりだったと言います。
孔明は魏延の性格が日和見で生来残忍であると見て取ったのです。
魏延をとどめておけばいずれ災いとなるとまでいいます。

「ならばなぜ。褒美をやり昇進させたのか?」

劉備ならずとも疑問を持ちます。

「脅しで迷いは消えたはず。善人ではないけれど、魏延の度胸は並外れています」

つまり、留めるのは不安でも殺すには惜しい。

 孔明は魏延という人間の悪い性分を見抜いた上で、その悪い性分を閉じ込め、魏延の長所を生かそうとしたのです。

 後のことですが、劉備亡きあと孔明が魏に打ってでたときに魏延と争いが起きます。
それは魏延にこのときの恨み心がもしかしたら残っていたのかもしれません。
それはまたあとの話で。

 黄忠のほうは、忠義に厚い人物で、ある意味関羽と似たような人物といえるでしょう。
「正史三国志」の著者陳寿は黄忠を称して「勇猛さは全軍で筆頭だった」と絶賛しています

 ようやく江南四郡を手に入れた劉備のもとへ訃報が届きます。
劉キが危篤だというのです。
劉備と孔明は急ぎ劉キのもとへ駆けつけるのです。
劉備に取って劉キは恩人なのです。

 乱世であっても恩を忘れ裏切るということは許されないという価値観があることに、どこか救われる思いがします。

 魅力的な男というのは、黄忠のように恩を忘れず、義を貫く人物だと思います。
一方、魏延のようにいくら勇ましくても度胸が良くても、仕えていた主を簡単に殺してしまうような男には魅力を感じません。

【今回の教訓】

「義理堅い男は、男が惚れる男」

「不忠、不義は卑しい小人の証」

『荊州争奪編9 ~憎しみと尊敬~』

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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