『荊州争奪編9 ~憎しみと尊敬~』
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『憎しみと尊敬』 

 前回は、長沙における関羽と黄忠との戦いについて話をしました。
 今回は、荊州を巡る交渉戦の話をしてみたいと思います。 

【魯粛、荊州返還交渉に失敗】

 劉備は急ぎ駆けつけますが、すでに劉キは亡くなっていました
(劉キは、荊州刺史劉表の長男)
劉キの存在は劉備にとって大きな意味がありました。
劉キという人物は地味ですが、劉キがいなければ曹操が追撃してきたときに打ち取られていた可能性がありました。
劉キは劉備に何度も援軍をだして劉備を助けています。
劉備にとって劉キは年下の甥ですが、恩人といっていい存在だったのです。
劉備は荊州刺史の立場にふさわしい盛大な葬儀を執り行いました。

 劉キの死によって劉備陣営はまたしても危機的状況に立たされました
それは魯粛との約束で、劉キが亡くなったら荊州を呉に返すと言っていたからです。
もちろん劉キの訃報は呉にも伝わりました

 劉備陣営が江南四郡を攻め取っていたころ、呉では曹操軍と戦闘し破れていました。
豪傑の太史慈が命を失うほどの激戦で呉は手痛いダメージを追っていたのです。
ですから余計に荊州が欲しいのです。

 このチャンスを魯粛、孫権が見逃すはずがありません。
魯粛が襄陽城へやってきます。
名目は弔問ですが、本当は荊州奪還交渉です。
劉備と孔明を前にして、魯粛はさっそく以前の約束を言い出します。
ですが、劉備は劉キの喪に服しているのだからそのような話はするなと釘を刺します。
それで引き下がる魯粛ではありません。
今回は主孫権ともじっくりと打ち合わせをして乗り込んできていたからです。
聞き分けのない魯粛を見て孔明が口をはさみます。

 劉備は漢王室中山靖王の後裔で現皇帝の叔父である。
荊州の主の劉氏とも血縁関係にある。
荊州の劉氏亡き後、漢王室の末裔である劉備が後を受け継いでなんの不思議がある。
そもそも呉の孫権は地方の小役人の子、それなのに漢王室の血を引くわが殿から領土を奪うのか。
そう強く正論のように聞こえる論を吐きます。

 魯粛はそれを聞いてあきれます。
それでは約束が違うではないかと憤慨します。
立場がなくなった魯粛をみて、孔明はある提案をします。
それは別な領地を手に入れたら、そのとき荊州を呉に返すというのです。
それを誓紙にしたためて魯粛は戻っていきました。

【周瑜軍対劉備軍、臨戦態勢】

 魯粛からその話を聞いた周瑜は激怒します。
またしても孔明の口先にしてやられたか、という悔しい思いです。
実はこの時期に周瑜は軍勢を動かして荊州付近に三万の兵を配置していました。
孔明は、それに対していつでも呉軍が攻めてきてもいいように荊州に軍勢を集めていました。
つまり、臨戦態勢を取っていたのです。
もし、本気で周瑜が攻めてきたら周瑜軍(呉)と劉備軍の間で戦闘が起きていたでしょう。
ですが、周瑜が病気であることも影響して慎重に行動したため、最終的には進軍しなかったので両者の間で戦闘は起きなかったのです。

 赤壁の戦いまでは、孫家と劉家は対曹操という目的で利害が一致していたので同盟が成立していましたが、荊州の領土をめぐってその関係にひびが入ってしまったのです。

【魯粛と周瑜の信頼関係】

 襄陽から戻ってきた魯粛と周瑜は酒を酌み交わします
二人は思い出話に花を咲かせます

 天下三分の計を主張する魯粛と、天下二分の計を主張する周瑜とは仲が悪いと思っている人がいるかもしれませんが、実は逆なのです。
相反するような考えを持ったふたりですが、本当は信頼し合っている間柄なのです。

 二人の出会いは周瑜が初めて出陣したときのことです。
若い頃の周瑜が敵に惨敗したときに魯粛の屋敷にたどり着いたことがあったのです。
魯粛の家は裕福な家系で蔵を二つも持っていたのです。
戦に敗れてやってきた周瑜たちに自らの家の蔵のひとつを丸ごと差し出したのです。
その蔵にあった食料で兵を養い周瑜は戦を続けることが出来ました。
周瑜はそのとき魯粛からもらった三千石の恩を忘れていなかったのです。
それ以来二人は親交を結ぶようになったのです。

 ですから、いつも魯粛が周瑜と違う意見を言って周瑜が怒っているように見えますが、内心では魯粛への信頼が強くあったのです。
それは周瑜の悪い性格を知りつつも付き合いを続けている魯粛も同じことでした。

【周瑜の本音】

 酒のせいか周瑜は腹の底の本音を魯粛にさらけ出します。
孔明を天敵だと言って罵ります。

 周瑜にとって一番憎いのは曹操ではなく諸葛亮であり、最も尊敬できるのも曹操ではなく諸葛亮だと。
周瑜に取って憎いと同時に尊敬する相手が孔明だというのです。

 周瑜にとっては孔明と自分は並びたつことはないと思い込んでいるのです。
知恵者を自認する周瑜にとって自分を上回る知恵を持つ孔明の存在が許せないのです。
周瑜の頭には常に孔明の存在があるのです。

自尊心、プライドが高すぎますね。
負けず嫌いもここまでくると手に負えません。

 わたしとすれば、周瑜ほどの軍事的才能の持ち主が劉備(孔明)とタッグを組めば曹操の野望を打ち砕くことは十分可能だったはずです。
非常にもったいないことです。
天の配材とは難しいものですね。

【拡大する荊州統治】

 劉備陣営に話を戻すと、荊州を攻略していたこの時期の劉備陣営はそれ以前と変化したことが挙げられます。
それは、領地支配が拡大しつつあり、ほぼ荊州を支配する形勢にあったのです。
それ以前の劉備陣営は、いつも小さな勢力で主君の劉備、武将の関羽、張飛、趙雲、軍師孔明などがひとつの場所に留まっている。
つまりみんなが同じ場所で同一行動をしていたのです。
それは勢力(人数と領地の数)が少なかった、あるいは無かったからです。
しかし、この時期は領地支配を荊州全土に広げていましたから、あっちの領地に関羽を置き、こっちの領地に張飛を遣わすなどとなっていたので、いつものメンバーが一か所にいられなくなっていたのです。

 これは事業が拡大したということです。
ビジネスにおいても、始め自分の店だけで商売していても、それが成功の軌道に乗って店舗を増やしていくことは王道です。
店舗を増やすということは、トップの代わりの人材(この場合店長など)が必要になってくるのです。

 つまり、事業を拡大するということは人材の拡大を意味するのです。
人材の拡大とは人材の数と質の向上です。
たいてい失敗するのは人材の質のところです

 人材を求めて人を集めても、集めた人材を教育し有能な人材にしなければ見せかけの事業拡大となっていきます。
つまり、張り子のトラ状態です。
すると、売り上げ不振、不祥事、モチベーションの低下などを引き起こして事業は伸びるどころか下降線をたどるのです。

 この時期の劉備陣営にもこうした問題が当然起こっていましたが、実は三国志の物語ではあまり目立ちませんが、孔明の采配によって劉備陣営は勢力拡大を計っていったのです。
孔明は軍事的天才と言われていますが、それよりももっと内政や外交(政治力)のほうが才能は高かったと言われているのです。

 それにしても周瑜の頑固さにはまいりますね。
周瑜が曹操を天敵と思っていれば、孔明の天下三分の計が成立したかもしれないのに。
もったいない。

両雄並び立たず!
周瑜と孔明は宿命のライバル!

 しかし、ライバルこそが実は貴重な存在。
スポーツの世界でもそうですが、ライバルとしのぎを削ることでさらなる努力が求められて実力があがるのです。
競い合うライバルこそが飛躍への力を生み出してくれるのです。
ライバルとは憎らしくもあり、また尊敬したくもなる存在なのです。
ライバルの存在が成長へと導いてくれるのです。

【今回の教訓】

「競い合うライバルがいるからこそ飛躍できる」

「ライバルを憎まず、尊敬することで自分も成長できる」

『荊州争奪編10 ~大局を見る人物と小事に囚われる人~』

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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