
『甘い誘惑』
前回は、政略結婚の続きについて話をしました。
今回は、劉備に迫る甘い誘惑の話してみたいと思います。
【劉備に迫る暗殺の危機】
劉備は甘露寺で花嫁の母(呉国太)と会い、みごとに心を掴みました。
呉国太は、夫の孫堅、息子の孫策などの英雄たちを間近で見てきたので英雄を見抜く眼力が備わっていたのでしょう。
問題は、新婦の孫小妹です。
母の呉国太は娘の小妹に笛と剣を渡します。
小妹は柱の陰からばれないようにこっそりと劉備という男を見定めることにするのです。
もし劉備を気に入ったときは笛を吹きなさいと、呉国太は小妹に言い渡します。
呉国太が劉備を気に入ったことで縁談は進むように思われましたが、寺の内部に伏兵が潜んでいました。
孫権と周瑜が劉備暗殺を企んだのです。

護衛についていた趙雲は不穏な動きを察知します。
剣を抜き劉備の背後の障子を叩き斬ります。
するとそこに剣を抜いた兵士たちが潜んでいました。
「誰がやったのか」
と孫権はしらばっくれて言います。
空気を読んだ呂蒙が「わたしです」と名乗り出ます。
孫権は、「首を刎ねよ」と命じます。
すると、それを劉備が止めます。
劉備は、青年の頃に挙兵した思いや荊州に進軍して荊州を治めている胸の内を訴えるように言葉を紡いでいきます。
実は、荊州の支配を巡って呉の武将たちには劉備への不満があったのです。
ですから、呂蒙以下呉の武将たちは劉備へ激しい怒りをぶつけます。
いまにも劉備に襲い掛かろうとする殺気を込めながら。
劉備は、呉の人たちの不満を痛いほど感じ取っていたので、必死に自分がなしてきたことの正当性を訴えたのです。
それを聞いた呉国太は「立派な志です」と、劉備の人柄を誉めます。
そこへ笛の音が聞えてきました。
それで一同は冷静な心を取り戻すのでした。
【甘露寺の試剣石】
寺を出て石の階段を下りきったところに大きな岩がありました。
劉備は岩を前にして剣を鞘から抜きます。
剣を天にかざして心の中でこう思います。
「もしわたしが荊州に戻り、覇業成し遂げられるものなら、一太刀にて岩よ斬れよ」
「ここで命を落とすなら、刃が砕けよ」
そう祈りを込めて岩めがけて剣を振り下ろします。
すると岩は真っ二つに裂けたのです。
その様子を後から退出してきた孫権が見ていました。
孫権はその岩に恨みでもあるのかと問いただします。
劉備は本心を隠して孫権にこう言い訳します。
「実はこの度の結婚を機に、貴殿と力を合わせて曹操を討つことができれば岩が斬れよと天に念じて斬ったのです」
苦し~い、言い訳ですね!
劉備の言葉を聞いて今度は孫権が剣を抜きます。
内心で思ったのは、「荊州を取り戻すことが出来るならば岩よ一太刀にて砕けろ」、そう念じて斬りつけます。
すると劉備と同じように岩は見事に裂けてしまいました。
この岩は甘露寺の十字紋石(または試剣石)と呼ばれて後世の人々に語り伝えられたと言われています。
ですが、
ですがです。
本当に剣で大きな岩が斬れたと思いますか?
わたしは、あり得ないと思います。
このエピソードは正史ではなく、小説の『三国志演義』にある話です。
実はこの劉備が呉国太たちと対面したと言われている甘露寺が創建されたのが265年なので、このエピソードは史実ではありません。
劉備が孫権の妹(小妹)を娶ったのは赤壁の戦いの後の209年ですから、甘露寺で体面したということは辻褄が合いません。
実際は別の場所だったのです。
岩を切り裂くエピソードは、イングランドのアーサー王のエピソードを中国風にアレンジして、劉備と孫権という三国志の英雄を際立たせたのだと思います。
ただ、現在の甘露寺はこのときの試剣石と言われているいくつかに砕かれた岩が存在しているそうです。
他にも魯粛と太史慈の墓があり、観光地として有名なようです。
剣で大岩を切り裂くことなど無理でしょう。
いくら小説でもちょっと行き過ぎかな~と思います。
【甘い誘惑】
とにかく小妹は劉備の誠実な姿を見て婿として受け入れるのでした。
それを聞いた周瑜は、またしても怒りに震えます。
劉備と小妹との結婚話はあくまでも劉備を暗殺する、もしくは呉に留めて荊州を奪うための似せの政略結婚に過ぎないと考えていたからです。
偽の結婚が本当のことになってしまったからです。
悔しがる周瑜は、次なる策略を考えます。
劉備は、婚礼をあげたのち荊州に帰ろうとします。
その劉備を呉に足止めしてしまおうというのです。
そのために孫権と周瑜は示し合わせて東府という場所に劉備たち夫婦の暮らす豪華な館を築き上げます。
劉備の館には高価な家具、贅沢品、宝石がたちどころに並びました。
すべて孫権からの贈り物です。
孫権と周瑜の仕掛けた罠は、美女(小妹)や贈り物を与えて耳目を楽しませ、いつまでも呉に留めることで堕落させ、関羽、張飛らとの仲を裂こうという策略なのです。
周瑜がなぜそう考えたのかというと、劉備が漢室の末裔だと名乗っていても所詮は貧しい庶民の出。
数々の戦をしてきて贅沢な生活を味わったことがないはず。
酒と女、贅沢三昧の生活を送れば堕落すると考えたのです。
劉玄徳、数々の苦難を乗り越えてやっと自らの領地を手に入れた。
しかも、自分の子供ほど歳の離れた若い妻を娶った。
この時期から、劉備の人生に陰がひたひたと迫っているように見えます。
人間には苦難に強い人と弱い人がいます。
乱世の英雄たちのほとんどが苦難には強いタイプです。
劉備は普通の人ならあきらめてしまうだろうという苦難を乗り越えてきました。
でも、逆に成功の状態や有頂天の時に転落する人と、さらに階段を上っていく人がいます。
劉備は、享楽な生活に弱いようです。
(ただ、多くの人がそうだとは思いますが)
「天国への道は険しく、地獄への道のりは楽である」と言います。
成功や向上への道は上り坂で、堕落への道は下り坂でもあります。
人は人生の何処かで「甘い誘惑」に遭遇します。
そのときに誘惑を払いのけるか、それとも誘惑に負けてしまうのか、その選択が迫られます。
これは英雄に限らずどんな人でも人生のどこかで遭遇することです。
甘い誘惑は堕落へ通じる道であると、自らを戒めることが大切なのです。

【今回の教訓】
「人を穴に落とそうとすると、逆に自分が穴に落ちる」
「甘い誘惑に負けてしまうと、後で痛い目にあう」
「楽な道は、堕落への道へ通じやすい」
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。