『情と理性の狭間で』
あなたは部下の失敗を許せますか?
今回は、曹操と息子たちの話をしてみたいと思います。
【曹操、四人の息子たちを試す】
許都に戻った曹操を息子たちが迎えます。
曹丕、曹植、曹彰(そうしょう)、曹沖(そうちゅう)の四人です。
この四人の息子たちに父である曹操は問題(質問)を出します。
それは「許都に留まっているはずの刺客をどうするべきか?」ということを問うたのです。
曹彰は「城門を封鎖し、隈なく調べ上げ、わたしが成敗してくれます」と言います。
曹植は、「加えて刺客に懸賞金を掛けましょう」と述べます。
長男の曹丕は弟たちの発言を聞いて「弟たちの言う通り」だと答えます。
最期に一番年下の曹沖は「城門を開けて刺客を逃がすべきだと思います」と答えます。
それを聴いて曹操はなぜ賊を逃すのか、と曹沖に問いかけます。
曹沖は「しくじった刺客など成敗しても意味がありません。むしろ父上の帰還を報告させ、馬騰をおののかせるべきです」と答えました。
それを聴いた曹操は曹沖を褒めるのです。
しかし、曹沖の賢さを見て恐れを抱くものがいました。
それは長男の曹丕です。
そこで、曹丕は弟曹沖の暗殺を企みます。
毒蛇を用いて曹沖の命を奪ったのです。
【曹沖と曹丕の災難】
曹沖、危篤の知らせを聞いた曹操は急ぎ駆けつけますが、ほどなくして曹沖は亡くなってしまいます。
参謀の荀彧が曹沖の死を不審に思います。
調べてみると蛇に咬まれた跡があることに気が付きます。
すると曹操が「誰がやったのか」と荀彧に推察を求めます。
しかし、ことがことだけに荀彧は内心を口にすることにためらいます。
それでも曹操の気持ちは収まらずに荀彧の考えを強引に聞き出します。
観念した荀彧がいったことは「あえて申せば、若君たちのおひとりかと。曹沖が死んで、誰が一番特になるのか」ということです。
今後の懸念があるためはっきりと思い当たる名前を口にすることが出来ません。
そこへまた知らせがきます。
今度は長男の曹丕が同じように危篤だというのです。
曹操が駆け付けてみると、腕に咬みあとがあります。
曹沖と同じ症状なのです。
曹操が枕元に来てみると、曹丕は息も絶え絶えにこう言います。
「父上、曹沖は無事ですか? 曹植と曹彰は無事ですか?」と。
曹操は「心配ない。無事だ」と答えます。
曹沖は亡くなってしまいましたが、幸い曹丕は命を取り留めます。
【曹操、真相を知る】
曹沖の葬儀が執り行われたときに、曹操は荀彧と相談して、曹沖を誰が暗殺したのか探ろうとします。
曹沖の葬儀から「三日間御霊を守り、己の罪を反省するのだ」という理由で三人の兄たちに命じたのです。
その意図は、三人の中に犯人が入れば、三日間もずっと棺について供養すれば、罪悪感のない人物ならばつい睡魔に負けて眠ってしまう。しかし、犯人ならばその罪悪感から眠ることが出来ないはずだ。
だから、三日後に眠っていない者が犯人だということです。
三日後の夜、曹操はこっそりと供養を続ける三人の息子の元へ行ってみます。
そっと気配を消して三人の様子を見てみると、曹植、曹彰の二人は居眠りをしていましたが、曹丕だけは脅えた様子で目を覚ましていました。
それを見て悟った曹操は、荀彧のところへやってきてこう言います。
「曹沖の死は毒によってもたらされたものだ。今後このことを口にするものは斬って捨てる」
固い決意を示す曹操の心を理解した荀彧は曹操に従うしかありませんでした。
【曹沖の賢さ】
このエピソードに関してはフィクションである可能性が高いです。
冒頭の四人の息子に質問を投げかけるところは、明らかに曹沖の利発さを示したいがためのものです。
曹操には多くの息子たちがいましたが、一番寵愛していたのが曹沖であったことは事実のようです。
このときの曹沖は十歳くらいの年齢だったと思われます。
(実際は、曹沖は十三歳のときに病気によって亡くなっています。)
曹操が曹沖を寵愛したのは息子たちのなかでも利発であったからです。
曹沖に関しては以下のような逸話があります。
あるとき孫権から贈りものとして象が届けられました。
曹沖は、象の体重が知りたいと曹操にねだりました。
群臣たちがみな困り果てているところに、曹沖は「象を船に乗せ、沈んだところまで線を引き、船が同じ線に沈むまで品物を載せて、あとで品物の重さを計れば象の重さがわかる」と答え周りの大人たちを驚かせたといいます。
曹沖は幼いながら聡明で容貌も美しく、仁愛の情が厚かったと言われています。
父である曹操に寛大な処置を進言して、罰を受けることになった臣下数十人を救ったとも言われています。
ですから曹沖が生きていれば、高い確率で曹操の後継者となったでしょう。
【物語の功罪】
それを曹丕が暗殺したように見せたのは、三国志演義の物語に見られる特徴です。
本来歴史とは見る立場によって善悪が変わります。
ですから、曹操が悪だとか、劉備が善だなどとは簡単には決められません。
でも、物語はそれでは面白くないので、善と悪が分れるように書かれることが大なり小なり出てくるのです。
このエピソードは、三国志後半で蜀(劉備の立てた国)と対立する二代目の曹丕のイメージを悪くする意図が混じっていると思います。
曹操は結局皇帝を名乗りませんでしたが、二代目の曹丕は無理やり皇帝の地位を奪って「魏」の初代皇帝となっています。
劉備、孔明贔屓の物語からすると曹丕は悪者であったほうが都合いいのです。
弟を暗殺してまで後継者の座を欲しがるような人間なんだ。
だから、漢王朝を滅ぼして自分の王朝を築くことなんて当たり前だ、と言いたいのでしょう。
さらに踏み込むと曹操の息子たち(ここでは四人)の中で一番優れていた曹沖が死んでしまったから(曹丕が後継者となったから)、後に司司馬懿の孫によって政権交代が起きたのだという、伏線となっているように見えます。
実際の曹丕は、曹操が築いた「魏」という国をきちんと引き継いでいます。
ただのボンボン息子ではなく、いくつかの良い政策も打ち立てています。
それは司馬懿などの臣下を上手く使ったからでもありましょう。
父親の曹操とは比べようもありませんが、それなりの政治家ではあったようです。
もちろんあまたいる三国志の一流の英雄たちと比べればやはり見劣りはしますが。
歴史ドラマでは、史実と違うことが描かれたり、実際にはなかったエピソードが投入されたりします。
もちろん三国志そのものに小説(三国志演義)というフィクションがありますから、なにをもって史実かというと、難しい問題にあたります。
ただ、フィクションであっても、そこにその人物を理解し、その人物を思わせるようなエピソードならばあっても良いと思います。
【情と理性の狭間で揺れる決断】
今回のエピソードで私が一番注目したのは、曹沖の喪に服した三人の息子たちが三日目にどうなったのかを確かめに行った曹操のことです。
そこで、曹操はひとり目を覚ましている曹丕を見つけて、曹沖を暗殺したのは兄の曹丕であることを知ります。
しかし、荀彧にはそのことを告げずに、ひとり自分の胸の内だけにしまっておきます。
だからこそ、後に曹丕が後継者となることができたのです。
このシーンがフィクションだとしても、曹操という男を上手く描いていると思います。
曹操ならば、きっとこうしたでしょう。
曹操という男はそういう人物です。
つまり、懐が深いのです。
善悪あわせのむ性格をしているのです。
同時に明哲な理性を持っているのです。
曹沖を失い、曹丕を弟の暗殺の罪で処分すれば、息子二人を同時に失うことになります。
残る曹植と曹彰では心もとなかったのでしょう。
つまり、赤壁の大戦で大敗をした曹操は、天下統一に時間がかかると思ったのです。
すると、自分の命あるうちに天下統一が出来ないかもしれない。
そうなると自分の意思を継いでくれる息子が必要だと思ったはずです。
だから、曹丕を罰しなかったのです。
これが曹操という男の特徴です。
(本当にこうしたことが実際あったならば、きっと曹操はそうしたであろうということ)
もし、仮に曹操の立場にいたのが孔明だったならば、たぶん曹丕を処罰したことでしょう。
孔明ならば許さなかったでしょう。
孔明は清廉潔白な男ですから。
日本人は清廉潔白を好む民族ですから、孔明のような男が好きなのです。
逆に曹操のような悪を見逃す人間を好まないのです。
後継者の問題はいつの世でも難しいものです。
一代で大きな事業を築いた英雄であればあるほどその難しさは増してくるのです。
それを考えると、とりあえず曹操は合格点を取ったといえるのではないでしょうか!
部下が大きな失敗をしたときに、理性的に処分するのか、情をかけて許すのか。
これは、失敗した部下の人間性とその失敗の内容によって判断する必要があるのです。
いずれにしてもどちらかに偏り過ぎないで、冷静な中にも温情を持つことが大切です。
そして、最も重要なのは失敗した部下を処分することが組織にとってどんな影響を及ぼすのかということをしっかりと見極めることです。
【今回の教訓】
「ときには、他人の罪に目をつぶる」
「部下の罪に対して、冷静な中にも温情を持つ」
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。