
『大業を成すのに必要なもの』
あなたには信頼できる相棒がいますか?
今回は、女房役の大切さという話をしてみたいと思います。
【曹操、再起を計る】
赤壁で大敗をした曹操は、勢いに乗って荊州を攻略する呉軍と劉備軍から逃れ、再起を計るために本拠地である許都に戻ることにします。
その際、一族で信頼の厚い腹心の曹仁に、もしもの時の秘策を与えて南城(南群)を必ず守るように命じました。
曹操は許都に戻ったら援軍を送るから必ず南群を死守せよと重ねて曹仁に念を押すのでした。
それでも不安だったのか、さらに張遼に命じて楽進、李典を副将として合ヒを守らせ、襄陽には夏侯惇(かこうとん)に守らせるように指示しました。
曹操は、赤壁での屈辱を必ずそそいでやるという復讐心に燃えていたのです。
急いで許都に戻ろうとする曹操の元に、許都を守っている参謀の荀彧から早馬(密書)が届きます。
荀彧の密書を読んだ曹操は、頭痛をうったえて倒れます。
曹操には、頭痛という持病があるのですが、ときおりその頭痛が出てくるのです。
現代でもそうですが、強いストレスを受けると病気などに罹ったり体調を崩したりします。
曹操の場合も同じでしょう。
荀彧が知らせてきた内容は、西涼の馬騰(西域の武将)が八万の軍勢で攻めてこようとしているという情報だったのです。
曹操が赤壁で惨敗して、許都を留守にしていることをチャンスと見て許都を攻め落そうという動きをみせたのです。
これは兵法的にみれば、まさにその通りです。
西涼の勢力は、厳密にいうと漢民族とは違って、騎馬術を駆使する人たちで、持っている文化も中原の漢民族とは異なります。
西涼の馬騰(ばとう)は、曹操が中原を手中に治め、やがて西涼までその支配を伸ばしてくることを恐れていたのです。
ですから、赤壁で大敗して曹操が留守のいまが攻めるチャンスと見て取ったのです。
南からは呉軍と劉備軍が勢いにのり、西からは西涼の軍勢が襲い掛かろうとしている。
この危機的状況を前にしたら、いかに曹操といえども頭痛くらいでるでしょう。
頭が痛い状況とはまさにこうしたことです。
そこで曹操は、許ちょにいますぐ許都に行けと言い出します。
急ぎ戻って荀彧に伝令せよと命じます。
「わしは九日の朝、許都に着く。皆でわしの帰りを盛大に迎えよ」
その曹操の言葉にはとても重要な意味が含まれていました。
許ちょには理解できなくとも、信頼する荀彧ならば、必ずその意図を読み取ってくれると信じたのです。
ここで一番曹操が恐れたこと、それは曹操が馬騰の動きを察知して急ぎ許都に戻ろうとすることを馬騰に知られないことです。
なぜ知られてはいけないのかというと、曹操が急ぎ戻ろうとするということは馬騰が許都に攻めてくることを知っていることになるからです。
すると、馬騰は曹操が許都に戻る前に軍勢を進め許都を攻め落そうとするからです。
ですから、曹操は馬騰を騙さなければならないのです。
馬に乗って急ぎ許都へ向かうと、曹操の意図がばれてしまうので、籠を用意させて戻ることにします。

【荀彧の心理戦】
一方、許都の留守を預かっていた参謀の荀彧も手を打ちます。
漢王朝の首都であり、曹操の本拠地でもある大切な拠点である許都を守っていた荀彧には大きな重責がのしかかりました。
三国志の中で曹操の軍師(参謀)というと、誰もが荀彧を思い出すことでしょう。
しかし、多くの場合荀彧は出陣する曹操と共に行軍するのではなく、留守役を命じられることがほとんどです。
留守役は戦場に出て華々しい戦果を挙げることは出来ません。
それは荀彧を軽く見ていたのではなく、むしろその逆なのです。
つまり、自身の本拠地を任せるということは、よほど信頼の厚い部下にしか任せらえないのです。
もし、留守役を任せた人物に二心(裏切り)があれば、本拠地を乗っ取られてしまいます。
それに今回のように遠征中に他の勢力が本拠地を攻めてきたときに、無能な部下であれば本拠地を奪われてしまいます。
ですから、遠征が長引けば長引くほど、本拠地の留守役というものは重要な役割となるのです。
厚い信頼と実力を兼ね備えた人物にしか任せられないのです。
曹操が、常に荀彧を留守役にしていたことから、荀彧への厚い信頼が見て取れます。
荀彧は伝えられてくる西涼軍の動きから、馬騰の心を読んでいきます。
勢いに乗り攻めて来るように見えて、実は曹操に恐れを抱いていることを見抜きます。
曹操側の間者の報告からすると数日で許都に大軍が攻めてくることが予想されていました。
それに伴って許都には曹操軍の内情を探るべくスパイが城内に忍び込んでいることを荀彧は知っていました。
そこで荀彧が指示したことは「城門を閉ざすな」ということです。
普通は敵が攻めてくるのが分ったら城門を閉ざして守りを固くしますよね。
なのに、荀彧は逆をやったのです。
なぜかというと固く城門を閉ざすということは、城の守りが手薄だと敵に知らせることになるからです。
城の守りに自信がないから、城門を閉ざして守ろうとするからです。
さらに守備隊や民にも普段と変わらずに過ごすように伝えさせます。
慌てた様子や敵を警戒している素振りを見せれば、西涼軍が攻めてくるに違いないとふんでのことです。
これは敵との心理戦です。
荀彧は、曹操が伝えてきた九日に南門を開けて盛大に丞相(曹操)を迎えよと指示します。
文官、武官、すべての臣下が並び曹操の帰還を迎えろと命じました。
門を開けておくというのは臨戦態勢ではありません。
つまり、普段通りであり、戦闘状態を取っていないということです。
これを西涼軍から見れば“なぞに見える”はずです。
自分たちが八万の軍勢で攻めて来ているのに、城門を開けて普段通りの様子だというのは、西涼軍をまったく恐れていないのか、西涼軍を打ち破る何らかの作戦(奇策)があるに違いないと考えるはずです。
荀彧はそこをついたのです。
つまり、荀彧が考えたことは、
- 西涼軍を騙し、進軍の歩みを遅くすること。
- 許都の兵と民が不安と恐怖に陥らないようにすること。
なのです。
荀彧はさらに手を打ちます。
城門の旗を増やすこと、二千の兵を城門の十里先まで曹操を迎えに行かせること。
荀彧は持てる知恵の限りを尽くして策を用います。
荀彧は、曹操が伝えてきた九日には戻らないことを汲み取っていたのです。
曹操からの伝言を聴いて、暗号を解読するかのように、曹操の意図を読み取ったのです。
これは曹操と荀彧だからこそ出来たことです。
曹操が戻るにはまだ数日の時間が必要だと洞察して、曹操が戻るまで西涼軍の足を止めようとしたのです。
結局、戻るといった九日から三日後になってようやく曹操は許都に帰還しました。
その際に、文官、武官が勢ぞろいしている南門ではなく、西涼軍が攻めて来るであろう西門からこっそり帰還しました。
これは城内に潜んでいると思われるスパイの暗殺の魔の手から逃れることと、西門の守りを確認するためでもありました。
曹操の慎重さには舌を巻きます。
それにしても、見事です。

【兵法において勝利する】
後の話ですが、孔明が司馬仲達と戦ったときに、ほとんど城内に兵が残っていない孔明に仲達率いる魏軍が攻めかかってきたことが起きます。
いわゆる「空城の計」です。
今回の荀彧が取った策は、ほぼ「空城の計」と同じです。
三国志を好きな方も、意外にこの事例はあまり印象にないようですが、この荀彧と曹操のコンビネーションは絶品です!
これこそ真の「空城の計」と言えるものです。
注) 孔明が仲達に取った「空城の計」は史実ではないという説が強い。
孫子の兵法に「兵は詭道なり」という言葉があります。
これは「戦とは騙し合いだよ」という意味です。
戦とは敵の心(考え)を読むこと。
これが何よりも重要なのです。
これがビジネスにおいても重要であることは同じです。
ライバルの取る作戦や戦略を知ること。
顧客のニーズ(気持ち)を理解すること。
現代におけるビジネス戦争においても、兵法は有効なのです。
知ってか知らずかは別にして、兵法に勝ったほうが勝利するのです。
《ポイント》
今回のエピソードで大切なポイントは
「大事業を成すには、女房役が重要」
ということです。
要するに、
「実力のある相棒が絶対的に必要で、その相棒との相性と信頼がとても大切」なのです。
荀彧という絶対的な女房役(相棒)を持った曹操はやがて再起するのです。

【今回の教訓】
「勝利と成功のためには、お互いの考えの分かる女房役が必要」
「優秀な相棒なくして天下は取れぬ!」
『荊州争奪編3 ~情と理性の狭間で~』
最後まで読みいただき、誠にありがとうございました。