『群雄割拠編2 ~曹操という男~』
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『曹操という男』

【曹操という男を示す2つのエピソード】

三国志のなかで抜きんでた人物といえば、やはり曹操です。
乱世の奸雄と言われた曹操という男について今回は語ります。

前回の記事で黄巾賊の討伐のために劉備たち三兄弟たちが立ち上がったと述べましたが、立ち上がったのはもちろん劉備たちだけではなく各地の諸侯たち(漢の臣下たち)も同じでした。
中国全土から各地の英雄たちが立ち上がったので最終的に黄巾賊は打ち滅ぼされました。
英雄たちが黄巾賊を打ち倒して、めでたしめでたしとならなかったのがなんともドラマチックなのです。
(三国志全体からすれば始まりの始まりにしかすぎないのです)

その後、西暦189年に霊帝(第12代皇帝)が没し、董卓が洛陽(首都)に入り、幼い献帝を擁立して朝廷の実権を掌握します。この悪役の権化ともいうべき私利私欲の塊の董卓が丞相(いまでいう総理大臣のような立場)になって幼い皇帝を操り、権力を握って、やりたい放題をするのです。
その董卓に曹操は本心を隠して仕えるのです。(なぜ?)

曹操は、もともと先祖が代々漢王室に仕えてきた家柄で、曹操は漢王室の再興のため董卓を暗殺しようと企んでいたのです。
そのため董卓の信頼を得ようと本心を隠していたのです。
そして、信頼を得られたと思った頃に、同じように漢王室を董卓の手から取り戻そうとする忠臣の王允(おういん)と企んで、王允の家に代々伝わる宝剣の七聖剣を授かり、董卓の暗殺を謀るのですが失敗します。

董卓が寝入っているとき七聖剣で刺し殺そうとするのですが、そばに置いてあった鏡に剣が反射して、その光で董卓は目を覚ましてしまいます。
とっさに曹操は七聖剣を董卓に捧げてその場を凌ぐのです。

ここでまず言えることは、本心(志)を隠して悪の権化の董卓に仕えたことです。
それもこれも天下平定のためであるとはいえ、傍若無人な人間(上司)に仕えることはなかなか難しいことです。ふつう誰もが嫌がりますよね。
なのに、曹操は董卓を亡き者にするために本心を隠して仕え、信頼を得て暗殺のチャンスを見つけて、たった一人で董卓暗殺を実行したのです。
(未遂に終わりましたが)

実は董卓には義理の息子がいて、三国志きっての豪傑呂布がついているのですから、なおさら怖いはず。
もちろん暗殺しようとしたときは呂布のいない時でしたが。
これってスゲー度胸が必要で、本気で世の中のことを考えていなければできないことだと思います。

例えば、自分の所属する会社や上司が不正をしていて、それを知っていたらあなたはどうしますか?
不正を見逃さずに勇気を出して告発したり、上司を止めたりすることが出来ますか?
出来る人は非常に少ないのではないでしょうか?

人を人とも思っていない傲慢なトップだと左遷されたり追い出されたりパワハラをして解雇に追い込むのではないでしょうか。
(そんな会社や経営者や幹部はあちらこちらにいるのでは?)

曹操という男はそうした不正の温床の董卓にたった一人で立ち向かったのです。
これを英雄的行為と言わずしてなんというのでしょうか。
この時点での曹操の行動は理想の英雄像に見えます。

三国志のなかで起きたことは別の国、別の時代でも起きていると考えるほうが自然です。
そうです、他人事ではないのです。

曹操は暗殺の発覚を恐れてすぐに逃走しますが、曹操の意図を察した董卓は曹操に追手を差し向けます。必死に追手から逃げていた曹操でしたが、知り合いの陳宮という男に囚われてしまうのです。
しかし、陳宮は本心では曹操と同じことを考えていたため、曹操を逃がし、行動を共にするのです。そのとき曹操は陳宮にこんなことを言うのです。

「安直に剣一本で董卓を殺そうとした。仮にわたしが董卓を殺したとしても代わりの存在が現れる。それゆえ匹夫の勇、愚鈍の極みだった。これからは天子の勅旨を発し、董卓討伐をかかげ、諸侯を集め挙兵する。山河を整え、世を平定する」

曹操は暗殺失敗から一回りも二回りも大きな男になったのです。
自分の過ちとこれから進むべき道を見つけたのです。
この変わり身の早さ悟ることの速さは驚くことであると思います。

人間は自分の失敗をなかなか認めたくないものですし、その失敗から進むべき道を見つけられるのは困難なことです。でも、曹操にはそれが出来てしまうのです。ここが曹操の才能あふれたところでしょう。

そして、一先ず父親の友人であった呂伯奢(りょ・はくしゃ)の元に隠れることにします。ところが、家のものたちが曹操たちをもてなすため、飼っていた豚をつぶすため包丁を研いでいたのです。曹操と陳宮はその包丁を研いでいることが自分たちを殺そうとしているのだと勘違いして、逆に家のもの全員を刀で刺し殺してしまうのです。
皆殺しにしてから曹操たちは真実を知ります。

あなたが曹操ならこの後どうしますか?
現代ではもちろん殺人犯として警察に捕まり有罪でしょう。
自分たちをもてなそうとしている人たちを勘違いで殺したら、自首するとか、罪を償うとかするのが普通ですよね。曹操はそんなことはしませんでした。
ふつう、自分たちが殺されそうだと思った瞬間に逃げだす算段をするのでは?

一家を惨殺した曹操と陳宮は馬で逃げるのですが、その途中で買い出しに出ていた呂伯奢とばったり出くわすのです。なんと曹操は事件が発覚し家族を殺された恨みから居所を董卓に通報されることを恐れて、呂伯奢を刺し殺します。
これは勘違いではなく、意図的に自己保身のために殺害したのですから殺人罪です。

このとき陳宮から「受けた恩を、仇で返すとは人の心をもっていないのですか」と罪を問われるのですが、そのとき曹操が陳宮に返した言葉が「われ人に背くとも、人われに背かせし」「たとえ人に背くとも、天下のひと我に背かせじ」というなんとも傲慢な自分勝手な言い分です。
まさに絶句ものです。

:曹操が呂伯奢の家で起こした殺害事件が、歴史書『魏書』に記載されていることから、まったくのフィクションではなく、なんらかの事件があったことが事実であるようです。

ここから曹操という男は自分が天下無双の英雄だと自己認識している姿が浮かんできます。自信過剰なのかと思えるほどの溢れる自己信頼があるようです。それと同時に自分の行く手を阻むものは容赦しないという冷酷さです。なにがなんでも天下を取るのだという強い気概を感じます。

程度の差はあれ、こうした実力があり自信満々の人物は、いつの時代にもいると思います。こうした強気で賢く仕事ができるタイプに憧れたり付いていこうとしたりする人もいるでしょう。曹操のようなタイプは出世するから、そういった人物についていくと出世の機会が与えられるからです。
逆にこうした傲慢で自信家を毛嫌いするひとも多いでしょう。

つまり、傲慢なところが人気のない原因でありながら、同時にそれこそが曹操の魅力でもあるということです。
この二つのケースが曹操の曹操たる所以(ゆえん)だと思います。

天下平定を目指すために一時期ゲスな上司にも仕えて、漢王室最高のために暗殺まで企む一方、自分の身の上に降りかかる火の粉はなにがなんでも、他人を犠牲にしても身を守る。
(仕事はできるが、自己保存欲のやたら強い人、いますよね!)

三国志の中で曹操は劉備と対比されて悪役を演じさせられているように見えますが、この非道なところがあることで、ぐっと人気が下がっていることも事実でしょう。
ただ、董卓が災いをもたらすと初めから見破っていたのは曹操なのです。

曹操はずば抜けて「人間を見抜く力」が優れているのです。
やはり現代においても組織を率いる人やリーダーには、人物を見抜く力が必要です。

愚かな者を引き上げ、賢人、人格者を遠ざけるようでは曹操ではなく董卓になってしまうということです。
理想は高く英雄気質だが、手段において正義とはずれたことをすることもある。それが曹操なのです。

三国志とはまるで関係もなくフィクションでありますが、『北斗の拳』でいえば曹操はラオウで、劉備はケンシロウのようにも見えます。(どうでしょう?)
曹操という男は英雄的でありながら恐ろしい男です。(それがラオウのように魅力的に見えるのかもしれません)

曹操は結局、故郷に帰り、そこで再起を計るのです。
三国志の主役曹操については、まだまだ語ることが尽きませんが、またの機会に!

【曹操が中原を制覇し、天下統一に一番乗りした理由】

それは曹操の言葉で示されています。

「天子の勅旨を発し、董卓討伐をかかげ、諸侯を集め挙兵する。山河を整え、世を平定する」

つまり、漢王朝の中心部に入り込み、正当な権力を手に入れることで天下に号令することができることに他の誰よりも早く気がついて実行したのです。

【曹操の魅力】

「曹操の魅力は、度胸と変わり身の早さ、そして人物を見抜く才能」

【今回の教訓】

「英雄の英雄たるゆえんは、誰かのために、世のために、何かを成そうと立ち上がること」

「自らの過ちを素直に認め、何がいけなかったのか、どうすべきだったのかを、理解することで進むべき道が見えてくる」

『群雄割拠編3 ~乱世の人物評価~』に続く。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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