三国志の雑学2『関羽の青龍偃月刀』
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関羽という英雄の姿

三国志の登場人物の中でも関羽は人気があります。
中国においては、日本よりも絶大な人気を誇っています。
人気があるというよりも、「神様として崇められている」というほうが正確です。

中国人は民族性として商売が上手です。
特に華僑といわれる外国に渡って商売する人たちの間では、関羽は信仰の対象となっているのです。
それは、商売をするとライバル(敵)が現れます。
その敵から自分の商売を守ってくれる守り神として関羽が信仰されているのです。
ですから横浜の中華街に行けば関帝廟(関羽を祭る神社のような所)がちゃんとあります。

そして関羽の人気の秘密が「義」を守り通す男気の部分です。
決して裏切らない、しかも武神として守ってくれる。
そんな男が友人や部下であったらいいと思わせる人物なのですね。

そんな関羽の代名詞が赤兎馬青龍偃月刀です。
赤兎馬(せきとば)は,一日に千里を駆けると言われた名馬で、初めは豪傑呂布の愛馬でした。
呂布が曹操によって打ち取られてからは曹操の愛馬となっていましたが、関羽が曹操にくだったときに、関羽を手なずけようとした曹操が関羽の気を引くために贈り物として譲ったのです。
それ以降、赤兎馬は関羽の愛馬となりました。

そして赤兎馬とともにいつも関羽の手元にあったのが青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)です。
数多の戦場を駆け抜ける関羽の手にはいつも青龍偃月刀が握られており、その名刀で数多の強者を倒してきたといわれています。
青龍偃月刀は、いわゆる大刀で三日月のように反った片刃と刃の背にトゲのような小さな刃がついている武器です。
大刀といっても日本刀のような短いものではなく、槍のように長い棒の先に大刀がついているものです。

広大な中国大陸で戦をするには馬に乗って戦場をかけます。
ですから騎乗したままで敵と戦うには槍や長刀のように長い武器が有利となります。
日本刀のような短い刀では騎乗した戦いにはあまり向かないのです。
ですから多くは槍が使用されます。
そんな中で関羽だけは特別な大刀を使用していたと言われています。

それはあたかもフィクションの世界でヒーローが使うアイテムのような感じです。
ヒーローが特別な武器を所持して敵と戦うという物語の世界でよく見られる光景です。

青龍偃月刀の真実

青龍偃月刀は、関羽が劉備、張飛とともに桃園で義兄弟の契りを結び黄巾賊打倒を目指して旗揚げしたときに、村の鍛冶屋に特別に作らせたものと言われています。
関羽は青龍偃月刀を終生手放しませんでしたが、関羽の死後、関羽を捕らえた潘璋(はんしょう)に与えられます。
潘璋は関羽の息子である関興に斬られ、関興は父の形見の青龍偃月刀を取り戻します。

こうした関羽のトレードマークともいえる青龍偃月刀ですが、実は三国志の時代には存在していなかったのです。
後世に伝わる青龍偃月刀が登場するのは、宗代以降なのです。
この時代には青龍偃月刀と呼ばれる大刀は存在していなかったということです。

正史では関羽の使用武器については触れていません
小説である三国志演義に出てくるのが青龍偃月刀なのです。

歴史好きの人にがっかりさせてしまうかもしれませんが、関羽の武器は青龍偃月刀ではなかったということです。
現実的には、矛(ほこ)などの武器であったと思われます。
ただ、青龍偃月刀ではなかったとしても、普通の矛や長刀などは違う大刀であったり、特別に作らせた大刀であった可能性はあるのではないかと、個人的には思います。

それでも現代のわれわれが知っている青龍偃月刀ではなかったということが歴史の真実なのです。
たとえ関羽の武器が青龍偃月刀ではなかったとしても、それが関羽の功績や強さを貶めることにはならないと思います。
たとえ関羽のアイテムが青龍偃月刀でなかったとしても、関羽は関羽であって、比類なき強さと厚い義の心を持った男であることには変わりありません。

ちなみに、関羽の故郷とされている山西省運城市(関帝廟)には、青龍偃月刀が飾られています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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