『運も実力の内』
今回は、西涼の馬騰と曹操の駆け引きについて話します。
【馬騰、曹操討伐に動く】
赤壁で大敗した曹操は、南下攻略に慎重に成らざるを得ませんでした。
しかも、劉備が荊州を支配して地盤を築いてしまったのですからなおさらです。
荊州の劉備と呉の孫権が組んでいては、曹操も簡単には手がだせないのです。
それでも天下統一のためには、荊州を奪還し、呉を滅ぼさなければなりません。
そのために憂いの種を取り除かねばなりません。
憂いの種とは、西涼の馬一族です。
族長の馬騰(ばとう)は曹操と同年代で、黄巾賊討伐の軍を旗揚げしたときに志を同じくした武将のひとりです。
(西涼とは中原(中国の中心)からみると西北に位置する場所)
馬騰は西涼の太守を務めていて大柄な体躯と温厚な性格を持ち、民の尊敬を集めている人物でした。
それと馬騰は漢王室への忠義心が厚く、献帝をないがしろにしている曹操を憎んでいました。
つまり、曹操にとって馬騰は目障りな存在であり、馬騰にとって曹操は許しがたい存在なのです。
そんな両者がぶつかることは宿命と言っていいでしょう。
そこで曹操は、馬騰を亡き者にする計略を考えるのです。
それは、馬騰を征南将軍に任命し、孫権討伐に行けと命じて、都の許都に呼び出し、暗殺してしまおうというものです。
そうすることで北方からの脅威を取り除こうと計ったのです。
知らせを受けた馬騰は、曹操の計略に乗ったように見せかけて、逆に曹操を討伐しようと画策するのです。
そもそも、漢王室の丞相である曹操は、皇帝の名で命を発しているので、曹操の命に背くということは漢王朝への反逆となるのです。
漢王室への忠義心を持つ馬騰が断ることが出来ないことを曹操は読んでいたのです。
馬騰の策略はこうです。
黄奎(こうけい)という曹操を快く思っていない人物と手を結びます。
黄奎の義理の弟(嫁の弟)の苗沢(びょうたく)に計画を打ち明け、夜陰に城門を開けて馬騰率いる西涼軍を城内に引き入れる役割をさせます。
城門が開いたら、馬騰率いる精兵軍が一気に曹操の屋敷を襲う、というものです。
馬騰は、長男の馬超を西涼に残して、次男馬休、三男馬鉄、甥の馬岱を連れて許都の近くに野営していました。
しかし、この計画は、意外なところから崩れていきました。
城門を開ける役割を与えられた苗拓が裏切ったのです。
そこには実にプライベートな理由があったのです。
苗拓は、黄奎の妾と密通していて、黄奎がいなくなれば、その妾と結ばれることが出来ると考えて義兄の黄奎を裏切ってしまったのです。
苗拓は、黄奎から聞いた曹操討伐の作戦を曹操に伝えてしまったのです。
そのことを黄奎と馬騰はまったく気がつかなかったのです。
計画がばれていたので、曹操軍は万全の準備を整え馬騰をむかえ打つことが出来たのです。
馬騰軍は、さんざん打ち倒され馬騰、馬休、馬鉄の親子は囚われてしまいます。
そして曹操の前に引き出され首を刎ねられました。
裏切り者の黄奎も捕らえられ、同じように首を刎ねられました。
(酷い)
では、密告して曹操をある意味助けた苗拓はどうなったかというと、
女のために義兄を売るような義理知らずの人間を生かしてはおけぬと言って、やはり首を斬ってしましました。
【乱世の生き方】
乱世の世でも、不条理な裏切りというものは認められないのです。
乱世では裏切ったり、主君を変えたりすることはよくありますが、その理由にも一応大義が必要なのです。
単なる私利私欲のために主君や身内を裏切るということは、戦国の世でも許されることではないのです。
これにはもう一つ意味があり、私利私欲(個人的な理由)で主君や身内を裏切るような人間はまた同じように裏切り行為をするだろうという見解が成り立つからです。
苗拓の生き方は、人として一番情けない生き方です。
たとえ計画を見抜かれ失敗に終わって処刑されたとしても、馬騰には漢王室への忠義の心と逆賊曹操を倒して天下を安んじるという理想があります。
刑場の露と消えたとしても馬騰の生き方のほうが比べようもないほど立派です。
やはり、人間の生き様は結果だけではないように思えます。
結果だけでは、その人間の魅力や素晴らしさを真に理解することは出来ないように思えます。
別な言い方をすると、「如何に死ぬか」が男としての生き方だと言えるのではないでしょうか。
【運を味方につけるも実力のうち】
馬騰では曹操を倒すには無理だったかな~!
と思います。
曹操の恐ろしさ(凄さ)は、曹操自身、参謀(軍師)が務まるほどの知力を持っているところです。
曹操がもし誰かに軍師とし仕えたとしても、一流の軍師となったことでしょう。
臥龍、鳳雛に匹敵するか、下手をするとそれ以上の軍師として歴史に名を残したかもしれません。
そんな天才軍師の才能を持つと同時に大将としての器と野望を持ち合わせているという、世界史上稀に見る人物なのです。
一方、馬騰は武力一辺倒の武将です。
生半可な作戦では倒せません。
馬騰は少し焦り過ぎたかな。
荊州の劉備と結託してことを進めれば良かったと思います。
それと、曹操という男は「運」にも恵まれています。
苗拓の密告がなければ、許都は混乱に陥り、曹操も命を落とした可能性もないとはいえません。
偶然というか、強運というか、なにかが曹操にはあるのです。
しかし、父と兄弟を殺された馬超は、激しい怒りと共に弔い合戦を固く誓うのでした。
以外に地味なエピソードですが、苗拓の裏切りがなかったら歴史が変わっていたかもしれません。
歩いていたら突然落とし穴(比喩です)に落ちることもあれば、暗い穴の底で打ちのめされていると頭上から一本のロープが降りてくることもあります。
人生って、なにが起きるか分かりませんよね!
【今回の教訓】
「天下を取るような人物は、運も味方につける」
「男の価値は二つ。如何に生きたか、と如何に死ぬか」
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。