『赤壁大戦編8 ~いざ、決断!~』
Pocket

『いざ、決断!』

 前回は、危機的状況の中でトップとその臣下がどう対処するのかという話をしました。 今回は、分裂の危機の中で孫権が決断する話をしてみたいと思います。 

【孫家、分裂の危機】

 孔明の挑発的な言葉によって孫権は曹操と交戦をすると告げました。
その発言に降伏論の幕僚たちは蜂の巣を突いたように騒ぎ出します。
それに対して交戦派は、負けじと徹底抗戦を主張します。
江東の陣営はひび割れて壊れる寸前となっていました。

 分裂の危機を迎えた江東陣営。
悩む孫権
そこへ国母と呼ばれていた孫権の母(呉夫人)がやってきて、兄孫策の遺言を忘れたのかと助言します。

孫策の遺言とは、
決断できないことが起きたとき、

  1. 国内のことは張昭に相談する。
  2. 国外のことは周瑜に相談する。

というものでした。

 周瑜(字 公瑾(こうきん))はこのとき大都督の地位にあり日夜水軍の修練に勤しんでいました。
以前にも周瑜はこのブログでも少しだけ登場しましたが、孫権の兄孫策と「断金の交わり」と呼ばれるほどの固い友情で結ばれていた人物です。
三国志を読んだことがある人ならよくご存じの軍事的才能を持った人物です。
彼は紅顔の美形であったことから「美周郎」と呼ばれていました。
周瑜の妻は喬公の二名花と呼ばれた美人姉妹の妹で、姉が孫策の妻でした。
揚州の名家の出自で、容姿端麗、音楽にも精通する才能を持ち合わせていました。
また周瑜を評して、「周瑜との交際は、芳醇な美酒を飲むかのようだ」と言わしめるほどの人物でした。

【将を射んと欲すれば先ず馬を射よ】

 孫権は、母に言われて周瑜を呼び戻すことにします。
急ぎ戻った周瑜は主の孫権に会う前に孔明と会うことにします。
周瑜邸にて魯粛同席の上で孔明は周瑜と会談します。
そこで周瑜は自分の考えを述べます。
周瑜は、「曹操は百万の大軍を有し、天子の御名をいただいている。歯向かうことは出来ぬ。降参した方が得策であろう」と酒瓶を傾けながら語ります。

 その発言に驚いたのは孔明ではなく、魯粛の方でした。
「今こそ挙兵するときなのだ」と周瑜に強く求める魯粛を見ていた孔明は笑い出します

 孔明は「魯粛殿があまりにも時勢にうといもので・・・」と無礼な態度を改めません。
孔明は周瑜が述べた考えをそっくりそのまま肯定し、周瑜の考えが道理であると言い切ります。
魯粛はそれに驚きます。
魯粛とすれば孔明は自分と同じ考えであろうとずっと考えていたからです。
それなのに孔明の口からでた発言はすべてをぶち壊すものだったからです。

 さらに孔明は「ご安心ください。わたしに一計があります」と言い出します。
そのとき孔明が示した計略は、曹操が狙っている二人を差し出せばいいというものでした。
その二人の人物の名を聴いた周瑜と魯粛の顔色が変わります。
孔明が曹操に差し出せといった二人とは、大喬と小喬の美人姉妹だったのです。
大喬とは孫策の妻小喬とは周瑜の妻

 周瑜はここで小喬が自分の妻だとは言わずに、曹操が大喬小喬の姉妹を欲しがっている証拠があるのかと問いただします。
すると、孔明は曹操の好み(女性の)の話をします。
「曹操は生娘よりも人妻を好むのです」と言って実際に曹操が手に入れた側室の女性の名をあげていきます。

 とうとう周瑜は盃を叩き割り怒りを表します
見かねた魯粛から事の実情を聴いた孔明は周瑜に謝ります。

 事ここに到って初めて周瑜は本音を晒しだします。
「すべては貴殿の本心を探ろうとして言ったまでのこと。もともと決戦の覚悟はついていたのだ!」と。

 もちろん大喬小喬が孫策と周瑜の妻であることを孔明が知らなかったはずがありません。
孔明の腹を探ろうとして本心と逆のことを言った周瑜に対して、逆に周瑜の本心を引き出すために孔明はあえて知らない振りを装って周瑜を焚きつけたのです。
孔明、恐るべし。

 周瑜と孔明の会談で学ぶべきことがあります。
孔明の目的(使命)は、孫権に交戦の決断をさせる、というものです。
そのために孔明がしたことは?
まず、降伏論の臣下たちを論破して押さえ込む。
次に交戦派の周瑜と会談し、焚きつける。
それは孫権に交戦を主張するであろうと仕向けるということでもあります。
つまり、孔明は江東の勢力(孫家)を説得するにあたって「将を射る前にまず馬を射た」ということです。
これは現代にも通じる交渉術です。

【孫権の組織掌握術とは?】

 翌日、周瑜は孫権に会って曹操と戦うことが江東(呉)を守る唯一の道であることを力説します。
それを聴いた孫権は自らの所持する剣を抜き、自身の机を切って決戦の決意を幕僚たちに示したのです。

「これよりのち、曹操に降参を唱える者がいれば誰であろうとこの机同然に斬る」

そしてその剣を周瑜に手渡します。

「この剣を授ける。軍令に背くものがいればただちに斬って棄てよ」

主君から剣を正式に与えられたということは、軍事権のすべてを預かるということを意味しています。
軍事権を預かるということは、軍事に関してトップ(主君)の権限と同じであることを意味します。
(古来、主(主君)が将軍に軍事権を授けるときに剣または斧などの武器などを渡すことで軍事権を託すのです)

 孫権が机を斬るといった行動をしたことは、大げさのように見えますが、これには大きな意味があります。
おそらく幕僚たちが喧々諤々協議をしているのを横目で見ながら、独り考えていたはずです。
孫権は深く考えながら、この状況を乗り切るには決戦しかないだろうと思っていたはずです。しかし、勢いに乗り、大軍を有する曹操軍にはたして勝てるかどうかの自信が持てなかったのでしょう。

孫権が一番悩んだポイントは江東の勢力の分裂だったのです。

 先代からの忠臣がたくさんいて、創業者でもなくまだ若年の自分が、年上ばかりの臣下をどう説得し、率いていくのかという難しい問題に直面していたのです。
孫権が危惧していたことは、曹操と戦う前に江東の勢力が分裂してその力を十分に発揮できなくなること。
さらに、分裂状態のままで、陣営がひとつにまとまっていない状態で交戦し、裏切りなどがでることを恐れていたのです。
孫権の心は、どうすれば江東の勢力をひとつにまとめ上げられるのか、ということを必死に考えていたのです。

これはトップ独特の悩みであり、トップだけが味わう苦悩なのです
どんな組織の集団においてもトップは常に孤独なのです

 最後に江東(呉)の勢力に大きな影響力を持つ周瑜が決戦への強い意志を示したことで、
反対意見を封じ込めたのです。
それには周瑜への固い信頼があったのです。

 孫権、実に分別のある人物です
孫権は、危機的状況と分裂しそうな集団をみごとにひとつの目的にまとめ上げたのです。

 孫権の長所は、人を信じて、信じた人材をたくみに使うところです。
 独断で反対意見を抑えるようなリーダーもいますが、そうしたことでは集団内部に亀裂が残ります。(不平、不満などが)
たとえトップの考えと違う意見を部下が示しても、その意見に耳を傾けることは非常に大切なことです。
耳も貸さないならば次に起きることは、誰もトップが判断を間違えたときに意見を言わなくなるのです。
そうして間違った判断に気が付かずに突き進んで裸の王様とたったトップが率いる集団はやがて滅びへの道に入っていくのです。

 孫権はそうした道に入ることなく、集団をまとめ上げたのです。
集団の命運を握っているトップの判断、決断とは組織を生かしもすれば殺しもするのだ、ということを固く肝に命じなくてはならないのです。

【今回の教訓】

「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」

「集団の命運を握るのはトップの判断であり、その判断の最も重要なものが、誰に何をさせるのか、ということである」

「人を使うなら、とことん信じて使うのが上司の心得である」

『赤壁大戦編9 ~才能を蝕む害虫~』

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

おすすめの記事