『赤壁大戦編10 ~軍師の力量~』
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『軍師の力量』

 前回は、大戦前の火花を散らす頭脳戦の話をしました。
今回は、頭脳戦における軍師の力量についての話をしてみたいと思います。 

【周瑜の兵法】

 周瑜のもとに曹操の軍船が三江口に到着し北岸(烏林)に兵営を築いている報告が入ります。
その報告を聴いて周瑜は自身で出陣すると言い出します。
止めようとする魯粛に周瑜はその理由を説明します。

 その訳は曹操軍の水軍の実力を把握するためです。
曹操軍の軍船の多くは急遽建造されたばかりです。
周瑜はその軍船を実際に見、水兵たちの力量、弓矢火器の使い方など水上戦における実力がどの程度なのかを探ろうというものだったのです。
この辺は周瑜が軍事的才能をいかんなく発揮してるところです。
つまり、孫子の兵法にある「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」ということです。

 周瑜は武将の呂蒙を伴いながら軍船を長江に進めます。
それを見た曹操軍の軍船が迫ってきます。
周瑜は弓隊を揃えて曹操軍の中間に位置する軍船めがけて矢の雨を降らせます。
やがて曹操軍の船は呉軍を追ってきました。
しかし、曹操軍の実力を把握した周瑜は曹操軍の軍船を煙に巻いて引き上げてしまいます。

 曹操に限りませんが中原の兵たちには弱点がありました
それは、

中国の南方の気候風土が合わない。(よって疫病にかかりやすい)
湖でしか訓練していないので、流れが読み難く、川底が複雑で風も変化する川(長江)
での船の操作に不慣れである。
水上戦の技術を習得するには長い時間がかかる。(曹操軍は付け焼刃の訓練しかしていない)

ということが言えます。

【周瑜、反間の計を用いる】

 曹操軍の水軍を率いるのは蔡瑁張允の二人の武将です。
この二人は水上戦に長けた武将です。
周瑜とすればこの二人がいると苦戦をしいられることが予想されます。
ですから、本音を言わせればこの二人の武将をなんらかの方法で取り除きたいと考えていました。二人がだめなら片方だけでも取り除くことができれば水上戦を有利に展開できると考えていたのです。

 そんなときに好機が訪れます。
曹操陣営からある人物が周瑜の元にやってきたのです。
その人物は、蒋幹(字 子翼)という周瑜の幼馴染でした。
周瑜は、蒋幹の顔を見るなり「曹操に寝返るように説得に来たのか」とはっきりと相手の狙いをつきます。
蒋幹はその言葉に怒った振りをして「そんなことをいうなら帰るぞ」と、いかにも憤慨だという態度を見せます。
この辺は腹の探り合いですね。
しかし、周瑜の方が一枚上手でした。
あえて蒋幹に裏切り工作にきたのではないと否定させ、その言葉を自分が(周瑜)信じたように演じたのです。
それは蒋幹を利用する目的があったからです。

 宴会に招かれ、しこたま酒を飲んだ蒋幹は、周瑜の部屋で寝入った振りをしました。
周瑜の裏切り交渉が座礁に乗り上げたと思った蒋幹は狙いを変えます。
周瑜の陣営から秘密情報を盗もうとしたのです。
周瑜が寝ていることを確認した蒋幹は、周瑜の部屋を探ります。
そこで周瑜の机の上にあった書状(この時代は竹簡)を調べます。
やがてある秘密情報を見つけます。
それは曹操陣営の蔡瑁が呉と内通しているという内容の密書です。
蒋幹はその密書をこっそり持ち出します。
しかし、本当に酔った振りと寝た振りをしていたのは周瑜の方だったのです。

 蒋幹は、周瑜にばれないように夜陰に紛れて呉の陣営を抜け出します。
曹操は蒋幹の報告を聴くと、蔡瑁を疑って首を刎ねてしまいます。
曹操対周瑜の騙し合いは周瑜に軍配があがりました
これを「反間の計」と言います。

 曹操が蔡瑁の裏切りを信じたわけは蔡瑁という人物が私欲の強い性格で、荊州攻略のときに主人の劉氏を裏切って曹操に寝返った過去があったからだと思います。
それとこの時期の呉の内部事情は、完全に統率が取れていたわけではなかったのです。
なかにはこっそりと曹操に接近しようとする者もいたようなのです。
そういった呉の内部事情があったことも曹操の判断を狂わせた原因となっていました。

【周瑜、孔明に難題を突きつける】

 この計略を孔明が見抜いていたかどうか気になった周瑜は魯粛に命じて探りに行かせます。
しかし、魯粛がやってくると孔明は開口一番「おめでとうございます」と言い出します。
とぼける魯粛に、計略で蔡瑁を亡き者にしたことを指摘します。
しかも、そのことを孔明が見抜いたかどうかを探りに来たことまで見抜きました。

 すべてを見抜かれていたことを知った周瑜は孔明を生かしておいては成らぬという思いを強くします。
そこで周瑜はまたしても孔明に難題を突き付けます
それは水上戦で必須となる矢を十万本用意してくれと頼むのです。
それも十日のうちに。
それを聴いた孔明は三日で用意するといいだします。
周瑜は、いくらなんでも三日で十万本の矢を用意するのは不可能と思いました。
孔明が三日で十万本の矢を用意出来なかったら軍令違反の罪で処罰(死刑)するぞと腹のなかで決めていました。
呉軍の矢が足りないからというのですが、矢が足りなければ自分たちで作るのが当たり前。
客人の孔明に十万本の矢を作れというのは、パワハラ以外の何ものでもありません。
それほど周瑜は孔明を亡き者にしたかったのです。

 孔明は、約束した三日のうち初日と二日目はなにもしませんでした。
魯粛は孔明のそばではらはらしていました。
孔明が動いたのは三日目でした。
その日は濃い霧が出ていました。
霧の深い夜に孔明は何百体というワラ人形を船に積み込んで出陣しました
みなさんもうお分かりですよね。
あまりにも有名なエピソードですから。
そうです霧が発生している視界の悪い夜に出陣することで、曹操軍は敵が奇襲攻撃を仕掛けてきたと勘違いをして、一斉に矢を打ち込んできたのです。
その矢が船に積んでいたワラ人形に刺さっていくのです。
その持ち帰った矢を数えてみるとみごと十万本以上の矢がありました。
孔明は三日目の夜に濃い霧が発生することを予測していたのです。
それで三日といったのです。
この時代の軍師(兵法)は気象を読むといいうことが必要とされていたのです。

 それにしても孔明の場合は天下一品です。
まるで平安時代の陰陽師のようです。
これはコロンブスの卵のような発想ですね。
孔明がやったことは歴史に刻まれましたから後世の人はこの周瑜の難題を聴いても孔明の策が思い浮かびますが、この時代のこの状況でそれがはたして思いつくでしょうか。
たぶん思いつかないでしょう。
孔明の頭の良さは桁はずれです。
まったく違う角度から物事を見て考える
ときには逆転の発想をする。
まさに奇才の持ち主
(ただし、このエピソードは『三国志演義』によるものなので、史実ではないという説もあります)

【軍師の力量とは?】

 周瑜には、孔明が十万本の矢を三日で用意するといった孔明の策が分らなかったようでしたから、明らかに知略戦は孔明の圧勝、周瑜の完敗でした。

 その後二人は対曹操戦で用いる策を話し合いました。
お互い策は胸に秘めていることを理解したので、周瑜がこう提案します。
「お互い手のひらに書いて見せ合おう」と。
二人はそれぞれ筆を持ち手の平に文字を書きます。
二人同時にその手のひらを見せ合うと、そこには「火」という同じ文字が書かれていました。
周瑜と孔明が考えた対曹操戦の策が見事に一致したのです。
これはお互いにお互いの知恵を認め合った瞬間でした。

 軍師に必要なもの、それは「相手の心を読む」ということです。
さらに「相手の考えを逆手に取る」「相手の心を攻める」ということが頭脳戦であり、軍師の力量が問われるところです。

 自分の相手(敵)が誰で、その相手の性格や置かれている状況をよく理解して、相手の心を読む、ということが軍師の力量を決めるのです。

つまり、どちらがより深く相手の考えを読むか。
どちらがより正確に相手の心を知るか。
 軍師に必要な知恵とはそうした資質と力量なのです

この点において周瑜と孔明では孔明のほうが上なのです。

【今回の教訓】

「頭脳戦は、相手の心を読み、考えを逆手に取る」

「ときには、まったく違う角度から物事を見て考える。(逆転の発想をする)」

『赤壁大戦編11 ~騙し合う英雄たち~』

  最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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