
『忍耐が必要なとき』
今回は、関羽の忠義と忍耐のときという話をしてみたいと思います。

【張遼の説得】
曹操の大軍に攻め込まれた劉備は奇襲作戦に出て大敗しました。
兵法では、劉備は曹操にとても太刀打ち出来ないのです。
激戦の中、劉備と張飛は離散しました。
傷つき疲労困憊の劉備は関羽のいる下ヒ城(かひじょう)に向かおうとしますが、下ヒ城がすでに曹操軍の手に落ちたことを知って、曹操の追手から逃れるために袁紹の領地である冀州(きしゅう)に向かうことにします。
一方、下ヒ城を奪われた関羽は、劉備と張飛を助けようと軍を動かしますが、時すでに遅し、劉備と張飛の行方は分からず仕舞い。
しかも、曹操軍に囲まれて絶体絶命の状態です。
曹操は、敵将の部下であろうと見込んだ人物は、とことん惚れ込み、自らの配下に加えようとする人物です。
曹操という人物は、忠義の士関羽が欲しくて仕方がなかったのです。
そこで配下の張遼を関羽の元へ送ります。
このとき劉備と張飛の行方も生死さえも不明の状況です。
曹操の命を受けてきた張遼は、死ぬ覚悟で戦いを挑もうとしている関羽を諫めます。
それは、いま関羽が死ねば三つの罪を犯すことになると説得するのです。
三つの罪とは、
1.「いま死ねば、劉備ら三兄弟が桃園で誓った、三兄弟が死す時は同年同月同日の誓いに背くことになる」
2.「劉備に託された夫人らを見捨てることになる」
3.「漢の再興を誓ったにも関わらず、いまだにその志を達してしない。冥途で劉備に顔向けが出来なくなる」
さらに張遼は生きれば三つの利があると関羽に説きます。
三つの利とは、
1.「桃園の誓いを破らないですむ」
2.「関羽が曹操に下れば、主君の夫人たちは安泰となる」
3.「将来、漢を助け英雄として名を残せる」
つまり、今は死んでは成らぬ。
曹操に下れと言いたいのです。
この時、義兄弟と離れ離れとなった関羽の心は天地の終わりのような心境だったでしょう。固く結ばれた義兄弟の生死も分からない状態で曹操の軍門に下らなくてはならないのですから。
屈辱と失望が入り混じった複雑な心境だったでしょう。
関羽をなんとしても得たい曹操に参謀たちは入れ知恵をします。
それが、上記に記した三つの罪と三つの利なのです。
【心を攻めるのが最上の兵法】
孫子の兵法には、最上の策とは将の心を攻めることだと書かれています。
戦わずして勝つことが最も上級の勝ち方だと勧める孫子の兵法に沿った見事な作戦です。
忠義に厚い関羽の性格を良く理解したうえで、関羽の忠義心を逆手に取ったのです。
曹操自体は参謀も務められるほどの知恵者ですが、そばに知恵者の参謀を数人も仕えさせているところに曹操の凄さがあるのです。
人材を求める将であるからこそ、天下取りに一早く名乗りをあげられたのです。
【忠義の士、関羽】
張遼の話を聞いた関羽は逆に三つの条件を出します。
その三つの条件が揃わないのなら、曹操には下らずに三つの罪を背負って死ぬと言います。
関羽が出した三つの条件とは、
1.「わたしは曹操に降伏するのではなく、漢の皇帝に降伏するのだ」
2.「主君の夫人たちを手厚く守るよう約束してくれ」
3.「長兄(劉備)の行方が分かり次第辞去することを願い出たい」
この三つの条件の一つでも欠ければ投降はしないというのです。
関羽、まさに英雄です。
劉備の天敵の曹操に下るのではないのだ、というところが主君の気持ちをこれでもかと尊重しつつ、劉備の弟という立場をしっかりと守っています。
二つ目の夫人たちを守ることも劉備との約束を必ず果たさねば成らぬという、義の心が表れています。
三つ目の条件は、仕える主君は劉備だけだという固い意志と厚い忠義の心を示しています。
まさに「忠義の士関羽」です。
関羽が三国志に登場する武将のなかで、一二を争うほど人気があるのも頷けます。
誰でも絶対に裏切らない忠義の部下は欲しいでしょう。
関羽が劉備への忠義を見せれば見せるほど、曹操は逆に、その忠義の士関羽を自分の配下に増々加えたくなるです。
それと、この時期に劉備と曹操のライバル関係が表面化していたので、曹操から見れば風が吹いたら吹き飛んでしまうほどの勢力しか持っていない劉備への嫉妬心があったと思われます。
ですから、劉備に対する忠義を自分への忠義へと変えようとしたのです。
しかし、曹操がどんなに忠義の士を欲しがっても、簡単に変節するようなら、それは本当に忠義の士と呼べるでしょうか?
ここにそういった逆説が生れてきます。
忠義とは、一度した約束をなにがあっても守り通すから「義」なのであって、主君をポイポイ変える臣下を「忠臣=忠義の士」とは呼べないのです。

【曹操の固執、関羽の意地】
張遼から、関羽が投降する三つの条件を聞いた曹操は、一つ目と二つ目は「なるほど」と頷きましたが、三つ目の条件を聞いたとき「それはまずい。助けてやる意味がない」と言いました。
せっかく関羽を自分の部下にしようとしたのに、また劉備の元へ去ってしまうのであればもったいないし、やがて敵として対峙することになるのですからよろしくありません。
そこで張遼が知恵を絞ります。
曹操が劉備以上に厚遇すれば関羽はやがて曹操に帰順するだろうと。
その意見に賛同した曹操は、関羽の出した三つの条件をのむことにします。
曹操は何としても関羽を得たいと思ってのことでしょうが、手厚く待遇すれば落とせるような人物ならば初めから忠義の士と呼ばれないでしょう。
曹操の見立てはこのときに狂っていたのです。
曹操は、下ヒ城を関羽の願いに従って明け渡します。
さらに、関羽を手なずける手始めに皇帝に謁見させました。
そして、曹操の進言で関羽に偏将軍の位を授けたのです。
つまり、関羽に恩を着せたのです。
忠義の関羽に恩を売ることで、曹操を裏切ることがないようにとする曹操の作戦です。
これを手始めに曹操は、事あるたびに関羽に贈り物をします。
しかし、関羽は曹操から送られた金銀財宝をすべて劉備の夫人たちにあげてしまうのです。
それでも曹操は、関羽の着ている服が古くなっていることに気が付き、高価な陣羽織を贈るのです。
ですが、それを受け取った関羽は曹操から贈られた陣羽織の上から今まで来ていた陣羽織を着こむのです。
(そんなに着込んで熱くないのかな~)
曹操が尋ねると、古い陣羽織は主君劉備からもらったものだというのです。
曹操もこれにはやられたことでしょう。
(このときの曹操の顔を見てみたかったです)
曹操の顔も立てるが、なんとしても劉備への忠義心は守るという関羽の気概が感じられます。
曹操はそれでも諦めません。
関羽の乗っている馬が駄馬なのを見て取り、天下の名馬「赤兎馬」を関羽にあげるのです。
赤兎馬とは、豪傑呂布が乗っていた名馬で、一日に千里を走ると言われるほどの駿馬です。
呂布無き後は曹操の持ち物となっていたのです。
受け取った関羽は「これがあれば主君のところに駆けつけられる」と言います。
あ~曹操の片思い。
曹操の片思いは片思いのままで終りそうですね。
どんなにプレゼントを贈ってもなびかない異性みたいですね。
関羽は、金銀財宝から名馬から、ありとあらゆるものを贈られながら、心は常に行方の知れぬ劉備と弟張飛のことを想って心を痛めていたのです。
憎いね~!
それでも曹操の作戦はなかなかのものでは有ります。
普通の豪傑くらいならとっくに曹操になびいていたでしょう。
関羽はなんの功績も出していないのに、曹操から好待遇を受けていることに恩を感じ初めてきたのですから。
恩を受けたら必ず返すのが、忠義の士関羽なのです。
曹操の作戦はこうです。
まずは心を動かし不安を呼び、悩ませ、恩に報いさせる。
そして最後に心を傾かせ従わせる。
という関羽の心を攻める兵法なのです。
【関羽が教える人生の生きざま】
しかし、しかしです。
それが関羽に通用するかどうかです。
関羽の忠義の心は曹操の想像を超えたものだったのです。
一見食うものにも暮らす場所にも困らないでいる関羽。
惨敗の敗北感と一時的でも自分の領地を得たにも関わらずまた袁紹に頼って食客として生きねばならぬ屈辱感を背負った劉備。
二人の置かれた境遇は違えども、逆境であることには変わり有りません。
人生にはときおり逆境が訪れます。

それは、ある日突然にやってきます。
どんなに恵まれた生まれでも、どんなに才能や力があっても、人生のどこかで人は必ず逆境に巡り合います。
その時期に大切なこと。
それは、耐えることです。
誰の人生にも忍耐の時期が必ずあるものなのです。
その時期に逆境に潰されずに、希望を捨てずに耐え忍ぶことが次の道を拓くことに繋がっていきます。
逆境期にバタバタともがかずに、希望を捨てずに、耐えること。
英雄たちの人生には、必ず人生のどこかで逆境が起き、それに耐え忍んだことが起こっています。
逆境や困難の時期を乗り越えて、向こう側の世界にたどり着いています。
努力しつつ、いま自分が出来る最大限のことをしつつ、忍耐していく。
人生には忍耐しなければならない時期があるのです。
その時期にあまりもがいては溺れ死ぬこともあります。
忍耐の時期と長さは人によって違えども、いつかは春の日がくることは間違いないと思っています。
あたながもし今が忍耐の時期だとおっしゃるなら、劉備や関羽のように恥を忍んでも忍耐することで、いつか陽の当たる場所に立つことが出来るでしょう。

【今回の教訓】
『男が惚れる男とは、忠義心のある男。忠義心とは、一度約束したことをなにがあっても守り通すこと。忠義ある男のなかの漢(おとこ)』
『人生の逆境時には、希望を捨てずに、恥を忍んで忍耐する』
『中原逐鹿編6 ~リーダーの資質~』につづく。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。