
『リーダーの資質』
今回は、組織を率いるリーダーの資質(袁紹と曹操の比較)について話をしてみたいと思います。

【リーダーの資質とは?】
まず結論から述べたいと思います。
組織を率いるリーダーに必要な資質(能力)とは、いつくか考えられますが、そのなかでも乱世や非常時に特に必要とされるのが、「判断力」です。
リーダーは、現場の状況に通じていなくても、部下より専門知識に抜きんでていなくても、どうしても避けて通れないことがあります。
それは最終的に判断(決断)を下さなければならないということです。
最終的に判断するという責任から逃げることは出来ないのです。
リーダーの存在とは、結局「判断する」ということなのです。
そしてもう一つ大切なことは、「部下を使いこなす」ということです。
これを袁紹と曹操が対峙した合戦を例に話をしていきましょう。
【リーダーの迷い=組織の迷走】
曹操が許都を留守にしているときに、参謀から許都(漢の都)を攻めろと進言された袁紹は、子供の病気を理由に兵を進めませんでした。
一方、徐州を落とした曹操は許都に帰還します。
なのに、袁紹は参謀の許攸(きょゆう)の進言に従い曹操が許都(都であり本拠地)に戻ってから軍を動かしたのです。
これによって曹操軍と袁紹軍は対峙し、両者のにらみ合いが数か月続き、戦は膠着状態となりました。
ここで袁紹配下の二人の参謀の意見が分かれます。
許攸は、曹操軍に疫病が発生しているから軍を進めて曹操を攻めろと言います。
もう一人の参謀である田豊は、徐州を得て勢いに乗っている曹操を今は攻めるときではないと進言します。
ふたりの信頼する参謀の相反する意見を聞いて袁紹は迷います。
許攸の話を聞けば、「なるほど、許都を攻める」と言い。
田豊の話を聞けば「そうか、今は攻めずにいよう」と、考えをコロコロ変えます。
そのたびに伝令を呼び戻す始末です。
迷った袁紹は、食客である劉備に意見を求めます。
食客であるがゆえに袁紹側のものの見方に縛られないで客観的に物事を見られると思ったからでしょう。
劉備は「袁紹は曹操より有利である。もし、袁紹がここで軍を引けば曹操は逆に攻めてくるだろう。もし、わたしが袁紹の立場なら、袁紹ほどの1/3の兵力でも逆賊曹操を打つでしょう」
と、袁紹を焚きつけます。
それもそのはず。
劉備は曹操によって徐州を奪われ、三兄弟と離散する始末。
漢王室のために曹操を倒さなければならないという使命感に燃えていますから。
もし、他人に意見を求めるならば、その人の立場をよく理解した上でその人の話を聞かなければなりません。
結局、袁紹の欠点は、この「優柔不断さ」なのです。

【自助努力なくして、人は人の上に立つこと能(あた)わず】
なぜ優柔不断なのかというと、自分で考えることが出来ないからです。
現場の最新状況や専門知識では現場の担当者には勝てないとしても、担当者や部下の報告を聞いて最終的な判断をしなくてはならないのがリーダーという立場なのです。
ですから、判断するために必要な情報を普段から集め、自分ならどうするのかという問答をして、事前にある程度の答えを用意しておくことが優秀なリーダーが取っている行動なのです。
あるいはどちらかが迷うような事柄に対して、どちらを選べば組織の目的に合っているのかということを思案し判断しなければならないのです。
そのときに正しい判断できるように、判断するための指針や理念などを学んで自分の胸に秘めていなければならないのです。
それは三国志の時代も今の日本の優秀な経済人や指導者たちも同じことです。
リーダーは、担当者、現場の人間よりも詳しくないとしても、報告を受けて判断できるだけの「思考力」を普段から養っておく必要があるのです。
自己鍛錬、自己学習をしないリーダーが率いる組織・集団は必ず下降線をたどることになるのです。
【組織内における部下の主導権争いを把握する】
この時期の三国志の勢力図は二つです。
ひとつは漢王朝を牛耳る曹操と東北地方に大きな勢力を持つ袁紹です。
この両者の対決の行方が、時代の大きな流れを変えてしまうのです。
曹操にとっても袁紹にとっても一大事のはずです。
人生を掛けた大戦(おおいくさ)であり、組織の命運を握る一大事なのです。
組織の命運を握るということは、組織に属する多くの人たちの生死、幸不幸をリーダーが握っている、ということです。
ここでどう判断し、どう行動するかが、組織の命運を決めてしまいます。
参謀二人から相反する進言を聞いて、最終的に袁紹は許攸の意見を聞き入れて軍を進めることにします。
そして、そのことに食い下がって反論する田豊を袁紹は叱りつけ罰として牢屋に入れてしまうのです。
これはどう見ても許攸と田豊の二人の参謀としての競い合いを袁紹が読み取れなかったのでしょう。
同じ組織に属して同じような地位にある者は、必ずお互いを意識しあい、競争するのが人の世の常なのです。
そして性格が陰湿であれば相手を陥れようとするでしょう。
許攸と田豊の二人も参謀としての職をめぐっての主導権争いがあったと言えます。
袁紹はその参謀ふたりの心の内を読めずに、参謀ふたりを使いこなせなかったのです。
曹操ならば、もし間違った進言をしたとしても牢屋に入れるなどの扱いはしません。
曹操は知恵者の参謀たちの意見を聞くときも、必ず自分の考えを内心では用意しています。
それを外に出すか出さぬかはそのとき次第ですが。
【部下を信用して任せるのか?疑って使うのか?】
袁紹が軍を進めたため曹操軍との合戦の火蓋が切られました。
袁紹配下の武将の顔良が曹操軍の武将たちを次々と打ち倒していきます。
宋憲、魏続を打ち取り、徐晃を撃退します。
これによって曹操軍は総崩れとなります。
こまった曹操に参謀の程昱(ていいく)が進言します。
「猛将顔良を倒せるのは関羽しかいません」と。
曹操としてみれば、手柄を立てさせてしまったら関羽が曹操の元から去ってしまうので、手柄を立てさせたくはないというのが本音でしょう。
ですが、曹操は、程昱の意見を取り上げて関羽を戦場に送り込みます。
おそらく、これが袁紹ならば関羽を使わなかったでしょう。
なぜなら袁紹は「疑り深い」というもう一つの欠点を持っていたからです。

曹操は、私的には関羽を自らの配下に引き留めたいと思いつつ、公的な立場から合戦に勝利するためには関羽という力がいま必要なのだと判断します。
そして、もう一つ関羽を戦場に送り出したのには理由がありました。
それは劉備が袁紹軍にいるという情報を掴んだのです。
関羽が曹操軍配下として袁紹配下の武将を打ち取れば、袁紹軍に身を寄せている劉備が袁紹に疑われて殺されるだろうと、予想したのです。
そうすれば関羽は曹操の部下になってくれるだろうという期待を込めたのも事実でしょう。
どっちにしても両者には判断力の違いがあると思います。
関羽は曹操の期待通りに顔良を討ち取ります。
猛将顔良を打ったのが劉備の弟分の関羽だと聞いた袁紹は劉備を疑って罰しようとしますが、劉備の言い分を聴いてそれも取りやめます。
劉備は「それこそ曹操の罠だ。わたしを打てば曹操の思うつぼとなる」
と、袁紹を説得します。
(危なかった~!)
もしかしたらここで劉備の命が失われた可能性もありましたから、後の三国志はなかったでしょう。
曹操が袁紹を一掃し、チンギスハンのように中国大陸を支配したことでしょう。
(あ~良かった!)
顔良を打たれた袁紹軍では、弟分の文醜が曹操軍に襲い掛かります。
しかし、それも関羽の前では敵ではありませんでした。
文醜という武将もけっこう強いのですが関羽には敵いませんでした。
(関羽、どれだけ強いんだ!)
これによって劉備は再度、袁紹に疑われ、罰として殺されるところでしたが劉備がある提案をします。
「曹操軍にいる関羽に密書を送って関羽をこちらに呼び寄せる。さすれば顔良、文醜以上に袁紹にとって役に立つだろう」と。
それを聞いた袁紹は、劉備を許すのです。
【組織力の差とは、リーダーの部下を使いこなす力の差】
やはり、曹操と袁紹では部下を使いこなすリーダーとしての能力に違いがあります。
曹操には複数の参謀がいますし、強者の武将もたくさんいます。
でも、それらがいがみ合い、組織にとって害とならないように統率しています。
袁紹にもそれなりの知恵者である参謀と、強い武将がいましたが、「優柔不断さ」と「疑り深い性格」が災いしています。
組織として同じような勢力があったとしたら、そのライバル同士の組織の勝敗は、なにによって決まるのか?
それはリーダーの資質によってです。
組織を率いるリーダーの判断力と部下を使いこなす能力の差が拮抗する勢力の勝敗を決めていきます。

ですから、組織を率いるリーダーは常日頃から研鑽を積んで判断力を磨かねばならないのです。
それがリーダーとしての仕事であり責任でもあります。
歴史を学ぶことは、判断力を磨くためのひとつの手立てなのです。
【今回の教訓】
『「優柔不断」と「疑い深い性格」はリーダーにとって致命傷。この2つをあわせ持った者が組織を率いて成功することはない!』
『優柔不断なリーダーは組織を混乱させるだけ』
『組織力の差とは、結局、リーダーの判断力の差であり、部下を使いこなす差である』
『リーダーの本質は判断力にあり。普段から見識を身につける努力をして判断力を磨くことが肝心』
『中原逐鹿編7 ~千里独行~』につづく。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。