『群雄割拠編8 ~将の器~』
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『将の器』

今回は、組織を率いる将の器を考えます。

【王允の三日天下】

董卓亡き後、王允が漢王朝の実権を握ることとなります。
王允には陳宮という人物が参謀役として仕えていました。
その陳宮が董卓軍の残党(西涼軍)を許して投降させてはどうかと提案します。
陳宮は「一時の義憤は忘れて、大局から判断してください」と進言しますが、王允は董卓への恨み心が激しく、董卓の部下たちや西涼軍を打ち倒すことしか考えていませんでした。

しかし、逆に董卓の残党は都長安に攻め入ります。
呂布が兵を率いて応戦しますが、長安は陥落、王允は漢王室の存続のため命を投げ出します。

明智光秀の三日天下ではないですが、王允の権力もわずかな期間で終りました。
かくして、天子は董卓の部下たちの手に落ちてしまいました。
さらに、黄巾賊が息を吹き返して、各地で略奪をするようになります。

【荀彧と劉備の縁】

ちょっと話はそれます。
反董卓連合軍が崩壊した後、劉備は平原の相となっていましたが、潁川(えいせん)というところに荀彧という名の王佐の才を持った稀代の秀才がいると聞き、関羽を派遣します。

:「王佐の才」 王者の補佐役の才能の持ち主。

関羽は荀彧を必死に探しますが、そのときすでに董卓軍によって潁川の町は襲撃されていて、荀彧の家族は皆殺しにされたと聞き、仕方なしに劉備のもとへもどるのです。
しかし、荀彧は一早く略奪軍から逃げて生き伸びていたのです。

歴史に「もし」はないですが、ここで荀彧が劉備の参謀となっていたら、三国志の展開もだいぶ変わったことでしょう。おそらく劉備の天下取り(漢王室の復興)が近づいたことでしょう。
(残念~!)

荀彧はいったん袁紹の元へ行くのですが、袁紹が名家の出であることばかり気にすることに嫌気がさして、袁紹の元を去り、曹操へ帰順するのです。
その後、荀彧は曹操にとってなくてならない参謀として活躍するのです。

荀彧を逃した袁紹は“アホ”ではないかと思います。
袁紹は家柄とか肩書でしか人物を見ることが出来ません。
その人物の本質や隠れた才能を見ることが出来ないのです。
(それじゃ~だめだよ!)

【将の器とは?】

そんな中、曹操に漢の朝廷から黄巾賊討伐の命令が届きます。
ですが、曹操は動きません。
軍を動かせば勝っても兵は傷つきます。
つまらぬ盗賊征伐に大事な兵を使うことなどできないと考えます。
曹操は兵を無駄に疲弊させることがないのです。
これは、人材を大事に扱ったということでしょう。
現代に置き換えれば、会社の社員を大切に扱うことと同じです。
曹操の特徴と賢さはこの辺にあると感じます。

しかし、ここで荀彧が意見を述べます。
「兵法に捕虜にした敵兵は手厚くもてなして、味方にすべしという言葉があります。黄巾賊を撃ち破りこれを配下にすれば、殿の兵力は一挙に増大します」と。
そう言われ、曹操は荀彧の意見を受け入れます。
ここが王允と曹操の違いです。

自分の考えと違うことを部下に言われても、その意見を咀嚼して、なるほどと思えばその意見に従うのです。
これこそが将の器です。

曹操は投降してきた黄巾賊を自軍の先鋒として使い、さらに残りの黄巾賊を攻めるという戦い方をするのです。
曹操は兵法に長けているのです。
これによって曹操は30万という強大な兵力を手に入れることが出来ました。

曹操はさらに考えます。
得た兵の中から、さらに選りすぐった精鋭部隊を組織して青州軍と名付けました。
これ以後、この青州軍が曹操の最も重要な軍団として活躍することになるのです。
曹操は黄巾賊討伐の勲功によって、鎮東将軍に任じられ、その名声を聞いて各地から続々と人材が集まってくるのです。

ここです。

やはり将たる者、私憤に縛られ大局を見失ってはならないのです。
曹操と王允では、あまりにも将の器が違いすぎます。

そもそも王允は今でいえば優秀な官僚。
でも、賢くて勉強ができるだけでは大きな仕事は出来ません。
大局から物事を見て、才能ある人材を集めて、その人材を生かすことが出来なければ、大業は果たせないのです。

王允は、董卓への恨みの感情で心の中をいっぱいにしてしまったため、陳宮の意見に耳をかすことができませんでした。
そもそも人物としての器が小さかったのです。
つまり、将に仕える立場なら有能な仕事が出来たのに、自らが将になってしまうと途端に仕事が出来なくなってしまったのです。

これは立場が変わったということです。
人間には立場相応に求められる役割と才能があります。

王允には土台無理な話だったのです。
王允の仕事は、董卓を亡き者にしたことで、その役割は終わっていたのです。
それに比べて曹操は、自分が考えていたことと違う意見を聞いて軍を動かし、一気に勢力を拡大しました。
その度量が将の器なのです。

時代が変わっても組織があり、その組織に目標があり、上司と部下がいる限り、こうした問題はずっとついてきます。
私憤や私欲に駆られず、大局を見て人材を求め、その才能を生かしきるところに大いなる目標は達せられるのです。

リーダーには、耳に痛いことを受け入れる度量と判断力が必要なのです。

逆にいうと、そうしたことが出来ないのなら、既に組織にとって老害となっている可能性が高いということにもなります。
そうであるならばさっさと引退したほうが組織にとっては良いのですが、そうした人物に限って己の実力を見誤り、地位=実力と勘違いしてしまうのです。

【ビジネスは人と人との縁】

それにしても劉備はもったいない。
荀彧との縁がなかったのかな?

人と人は縁によって結ばれるという話もあるから、荀彧との縁は曹操のほうにあったということでしょうか。
ただ、ここで荀彧という参謀を受け入れていたら、もしかしたら孔明を求めることもなく、孔明と劉備の関係は存在しなかった可能性もゼロではないと思います。
(劉備と孔明が出会わなくては三国志じゃないじゃないか~、と思います)

そう考えると荀彧との縁がなくて良かった、なんてことも言えるのかな~と思います。
結局、人と人の縁というものを大事にすることが、ビジネスにおいても重要なことであると思います。

【今回の教訓】

「耳に痛い意見でも受け入れるのが将の器」

「人を見た目だけで判断せずに、その人の長所を見つけ出し活用する」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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