『劉備、蜀を取る』
前回は、忠義な男の生き様の話をしました。
今回は、成都陥落の話をしてみたいと思います。
【劉璋、宿敵張魯を頼る】
ラク城を落した劉備は勢いに乗り、成都と目と鼻の先の綿竹関を攻め取ります。
それを知った劉璋は焦ります。
この危機的状況を打開するために黄権がある提案をします。
それは宿敵である漢中の張魯に加勢を求めるということです。
もともと蜀の劉璋と漢中の張魯とは長年いがみ合ってきました。
その宿敵とでもいう相手に加勢を求めるとは一見突飛もない考えです。
しかし、劉璋としてはこの策に乗るしかなかったのです。
張魯への使者として黄権は漢中に入って援軍の要請をします。
ただ、親の代からの宿敵の劉璋に張魯が簡単に援軍を送るわけがありません。
そこで、加勢してくれるのなら蜀の二十州を張魯に差しだすと提案するのです。
さらに恐怖心をあおります。
このまま劉備が蜀を取ってしまうと漢中にも危機が陥ることになると。
結局、蜀の二十州という領土が手に入ることに眼が眩んだ張魯は黄権の条件をのんで加勢の約束をします。
この話を知った客分の馬超が自ら名乗り出ます。
曹操に敗れて張魯に世話になっていた恩を返そうというのです。
これは張魯としてもありがたいことです。
なぜなら漢中の兵を出さずに済むからです。
こんなうまい話はありません。
自分の兵は失わずに蜀の領地が手に入るのですから。
さっそく張魯は馬超を蜀の援軍に差し向けます。
こうして馬超は、西涼軍二万を率いて劉備から成都を救うために出陣しました。
【馬超、劉備に降る】
漢中を出た馬超は「カ萌関」に迫ります。
猛将馬超に対抗するために孔明は張飛を出陣させます。
馬超を倒せるのは張飛しかいないとふんだからです。
馬超軍に襲い掛かる張飛を迎えたのは馬超の従兄弟馬岱でした。
ですが、さすがの馬岱も張飛には敵わず敗走します。
そこでいよいよ真打の登場です。
張飛を倒すべく馬超が姿を現します。
その姿は凛々しくまさに豪傑にふさわしい姿です。
馬超はきらびやかな鎧をまとって張飛を挑発します。
西涼の馬超はその姿から『錦馬超』と呼ばれていたのです。
馬超を倒そうと勇んで城門を出る張飛。
迎えうつ馬超。
二人の豪傑の決着を両軍とも固唾を呑んで見守りますが、勝敗がつきません。
やがて馬が疲れ果てて倒れると馬を乗り替えて戦闘が続きます。
陽が落ちて松明を燃やしても勝負は終わりません。
決着がつかない二人の戦闘を見ていた劉備が太鼓を鳴らし、一旦戦闘を止めるように説得します。
豪傑張飛をもってしても倒せない馬超を惜しみ、軍師孔明が馬超を劉備陣営に迎い入れようと劉備に提案します。
馬超の雄姿を間近で見ていた劉備にしても、馬超を配下に加えたいと思ったのです。
孔明は、以前から張魯が甘寧王の称号を欲しがっていたことに目をつけます。
そこで、劉備が蜀を手に入れた暁には、張魯を甘寧王に推挙すると話をもちだすことにします。
だから、馬超の軍勢を引き上げさせてくれと張魯にいいだします。
さらにその交渉をさせる相手として張魯の軍師である楊松(ようしょう)に金銀財宝を送り、張魯を説得させます。
つまり、賄賂ですね。
楊松という人物は、金に目がない強欲な人間だったので、そこを突いたのです。
楊松から話を聞いた張魯は、左将軍にしか過ぎない劉備が甘寧王に推挙出来るのか、と不審に思います。
しかし、楊松は「劉備は漢の皇淑です。推挙する人物としてはこの上なき方です」と言って張魯の不安を取り除きます。
甘寧王に眼が眩んだ張魯は、この提案に乗ってしまします。
すぐさま前線にいる馬超に撤退せよと伝令を走らせます。
撤退の指示を受け取った馬超でしたが、なんの手柄も立てていないことで撤退命令に逆らい、劉備を倒すと息巻きます。
楊松は言うことを聞かない馬超に三度伝令を出し、撤退命令を発します。
それでも撤退しない馬超に業を煮やした楊松は、一計を案じます。
主の張魯に、馬超が軍を引き上げないのは密かに劉備と通じて蜀を取るつもりだと言いだしたのです。
さらに蜀を取った後は必ず漢中に攻めてくるというのです。
つまり、馬超は張魯を裏切るつもりなのだと吹き込んだのです。
張魯は側近の楊松の言葉ゆえに信じてしまうのです。
そこで馬超に過酷な条件を付きつけます。
それは、
「戻らなくてもいいが、一ヶ月以内に次のことを成せ」
1 蜀を取る。
2 劉備の首を取る。(劉璋の首を取る、という説もあります)
3 荊州の軍勢を追い返す。
いくら猛将の馬超でも、一ヶ月以内に三つの条件を達成することは至難の業。
馬超は、無理を承知で言っているのだと理解します。
仕方がなく馬超は軍を引き上げようとします。
しかし、撤退する馬超の前に張魯の配下である張衛という武将が立ちはだかります。
これは楊松が仕込んだ策で、馬超が裏切ったと伝令し、国境付近に兵を配置していたためでした。
馬超は、ここで争うのは良くないと考え、戦闘に入ることを兵に禁止します。
しかし、進むも出来ず、戻りもできない進退窮まった状況に頭を抱えます。
そこへ使者が訪れます。
その人物の名は李恢(りかい)。
蜀の賢人と呼ばれた人物でしたが、劉璋の愚かしさに嫌気がさして劉備のもとにやってきた人です。
李恢は馬超と交流があったので馬超を説得するにはもってこいの人物だったのです。
李恢を前にした馬超ははっきりと言います。
「おまえの魂胆はわかっている。わたしを説得にきたのだろう」
「ここに砥いだばかりの剣がある。道理の通らぬことを言ったら叩き斬る」
そういわれて李恢も直球勝負します。
馬超の台詞を大笑いしながら「馬超殿、貴殿には禍が迫っているのですよ。わたしの首を斬るより先に自分の首を刎ねられないように用心しなさい」と挑発的な発言をします。
禍とはなんだ? と馬超は李恢を問いただします。
「貴殿のご尊父はかつて劉備とともに曹操を討たんとして決起したはず。ところが貴殿は曹操に敗れて漢中に身を寄せ張魯の道具となって劉備を討たんとしている」
「よく考えてみろ。劉備を倒して一番喜ぶのは誰だ? それは父親の仇である曹操ではないか」
「自分のなすべきことが見えなくなってしまったとは。父上も墓場の陰でお嘆きだろう」
父親思いの馬超の弱みを突いたのです。
そこまで言われて馬超は目が覚めました。
自分の本当の敵が誰なのかに気がついたのです。
こうして李恢の引き合わせで馬超は劉備と会い、劉備を主君とすることを誓うのでした。
【成都陥落】
こうして馬超は自ら先陣となり成都に攻め寄せます。
味方であると思っていた馬超から張魯の援軍は来ないと聞かされ、劉璋は腰が抜けてしまいました。
完全に戦意を失ってしまったのです。
その劉璋の情けない姿を見た蜀の部下たちはあきれ果て成都城の裏門から逃げ出して、劉備軍に次々と投降して行きました。
配下に見捨てられた劉璋はこれ以上どうすることも出来ずに城を明け渡すことにしました。
214年、成都陥落。
とうとう劉備は念願の「天下三分の計戦略地(蜀)」を手に入れたのです。
ここに三国定立が成り立ったのです。
蜀を手に入れたことで、天下三分の計の半ばまでやってきたのです。
このときの劉備の喜びはまさしく感極まった心境だったでしょう。
いまだ奸賊曹操が中原に覇を唱えていますが、天下統一に向けてようやく魏の曹操、呉の孫権と対等の勢力となり得たのですから。
しかも猛将馬超をはじめ馬一族の兵力、蜀の武将、文官などを併合したのです。
蜀を手に入れたことで劉備の勢力は格段に飛躍したということです。
もともと漢王朝を拓いた漢の高祖劉邦が項羽との天下統一をめぐっての争いの拠点とした地を手に入れたのですから、自らも蜀を足掛かりとして漢王朝を再興できると希望を持ったことでしょう。
おそらく劉備の人生で、このときが最高の瞬間だったでしょう。
長年流浪の身であった劉備が一大勢力となったのです。
ただ一つだけ非常に残念なことがあります。
それは龐統の死です。
蜀と荊州を地盤として中原を制覇しようとする劉備にとって龐統の死は、計り知れないものとなっていくのです。
魏、呉、蜀、三国定立の時代の始まりです。
【今回の教訓】
「右腕(相棒)を過てば、転落が待っている」
「腐った人材を見抜けない者は、リーダー失格」
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。