『赤壁大戦【前編】(打ち砕かれた野望)』
前回は、赤壁大戦前の騙し合いについての話をしました。
今回は、赤壁の戦いについての話をしてみたいと思います。
【孔明の采配に意義を唱える関羽】
周瑜の殺意から逃れて劉備陣営に戻った孔明は、矢継ぎ早に武将たちに作戦指示を与えます。
趙雲には、長江を渡り烏林からの間道に出て葦の茂みに潜み、落ち延びてきた曹操の軍勢の半ばをやり過ごしてから火攻めを掛けることを指示。
張飛には、コ盧谷に兵を潜ませ、北へ向かう曹操軍が雨上がりに食事を取るはずだから、炊煙があがったら辺り一帯に火をかけて攻撃しろと指示。
他にも麋竺、劉キなどの武将たちにも作戦指示を与えます。
しかし、ひとりだけ孔明が作戦指示を与えなかった人物がいました。
それは関羽です。
疑問に思った関羽がなにゆえに命令をくれぬのかと、軍師孔明に訊ねます。
孔明は、「用いたいのはやまやまなれど障りがあるために用いることは出来ぬ」と言います。
関羽は「障りとはなんでしょう?」
と孔明に問いただします。
孔明「それは関羽殿が以前曹操に恩義を受けたこと」だと答えます。
つまり、義理堅い関羽のことだから、曹操から受けた恩を思い出して、討ち取るどころか逆に曹操を逃がしてしまうだろうと孔明は言っているのです。
それでも関羽は食い下がります。
もし、曹操を私的な理由によって逃がしたら、軍令によって処分してくれと言って怒りを押さえながら誓紙を提出します。
仕方がないといった素振りで孔明は関羽に指示を与えます。
曹操は必ず華容道を通るはずだから、煙をあげて曹操が来るのを待てと指示します。
関羽がその場から去ると、心配した劉備が孔明に訊ねます。
すると孔明は内情を吐露します。
孔明が天文を見たところ、曹操の命運はまだ尽きないことが分ったので、この際に長年関羽の心に重しとなっていたものを取り去ってやろうと考えたのです。
つまり、曹操から受けた恩を、関羽が敗走する曹操を逃がすことで以前の恩を返し、それによって胸のつかえを取ってやろうということなのです。
【赤壁、火の海と化す】
天下統一を目前にしている曹操の元に黄蓋からの密書が届きます。
それは周瑜の監視の目をやっと逃れることが出来たから、兵糧を奪って今宵投降する。
目印は青龍の旗である、という内容です。
曹操が長江に浮かぶ月影を見ていると、暗闇の中から青龍旗を掲げる船団がやってきました。
それを曹操の傍らで見ていた軍師の程昱(ていいく)が異変に気がつきます。
兵糧を積んでいる船ならば、その船足は重いものとなるはずなのに、黄蓋の船団は軽々と進んでいたからです。
曹操もそのことに気がつき、船を止めさせるように指示しますが、時すでに遅し。
黄蓋の「火矢を射てぇ!」の合図とともに、曹操軍の陣営に雨のように火矢が降りそそぎます。
さらに先頭の燃え上がった小船は、曹操軍の船団にまるで特攻機のように火だるまになって突撃してきます。
それによって鉄の鎖で連結されていた曹操軍の船団は一気に火の海になっていきました。
東南の風がそれを後押しします。
その様はまるで火焔地獄のようです。
長江も陸地も空も赤く染まりました。
老将黄蓋は、この機に乗じて曹操の陣営に上陸し、曹操めがけて攻めこんでいきました。
あと少しのところまで黄蓋が曹操を追い詰めましたが、そこへ張遼が曹操救援に割って入ります。
その激戦の中で黄蓋は敵の矢を受けて負傷してしまいます。
呉軍の攻撃は激しさを増していきます。
火矢を浴びせながら、投石機を使って火の玉を曹操の陣に投げ込みます。
曹操軍の方は火矢を使えません。
もし、使ったら東南の風が吹いているので、自陣営に火が迫ってきてしまうからです。
相手は火攻めをしながら攻撃してくるのに、曹操軍は盾で火攻めを防ぎながら剣や槍などの武器で応戦するしかなかったのです。
これではたまったものではありません。
曹操軍は奮戦しますが、東南の風を味方につけた呉軍の勢いを止めることが出来ません。
火の海と化した赤壁。
曹操軍八十万の大軍は総崩れとなりました。
ここに天下統一をあと一歩まで迫った曹操の野望は砕け散ったのです。
こうして曹操軍八十万の大軍は、周瑜軍のわずか五万の兵力に敗れたのです。
(周瑜の兵力はこのとき二万という説もある)
赤壁の戦いは、孫劉同盟軍の圧勝に終わりました。
【追撃戦1、趙雲】
曹操は、軍師の程昱と敗残兵を伴って必死に逃亡しました。
曹操はじめ全員が火攻めの煙によって全身真っ黒となりながらです。
烏林の西に来た時に、曹操は突然笑いだします。
地形を見まわした曹操はこう言います。
「ここは奇襲をかけるには絶好の地形だ。わたしならここに伏兵を配置しておき、落ち延びてきた敵軍を全滅させる。」
「周瑜も孔明もまだ青二才だ! この曹操の敵ではない!」
そばで心配する程昱を無視して笑っています。
しかし、そのとき馬の掛ける音が響き渡りました。
さっと身構える曹操たち。
軍師孔明の指示通りに待ち伏せしていた趙雲が襲い掛かってきたのです。
疲れ切った敗残兵たちでは、とても趙雲隊の相手にはなりません。
曹操たちは急ぎ逃げ出します。
【追撃戦2、張飛】
死に物狂いで逃げる曹操たちをあざ笑うかのようにぽつぽつと雨が降り始めました。
疲れ切った曹操軍の兵たちは冷たい雨に打たれて骨の髄まで凍りつきます。
追手に追われ飢えと寒さが曹操たちを苦しめます。
やがて曹操軍は民家を見つけ、食料を奪って自分たちのものにしてしまいます。
(関係ない民間人を襲って大切な食料を奪うとは、やはり曹操らしい一面です)
曹操たちがコ盧谷に差し掛かったときに雨が止みました。
疲労の極限にきていた曹操たちは食事を取り休息することにします。
奪ってきた食料だけでは足りなかったので、疲れて死んだ馬の肉も食べたといいます。
その立ち上る炊煙を見つけた張飛は、待っていましたとばかりに出撃します。
腹を満たしやっと一息ついた曹操はまた笑い出します。
「やはり周瑜も孔明も青二才の能無しだったということだ。わたしならこの谷に伏兵を潜ませ疲れ果てて落ち延びた敵軍を打ち倒す」と。
そこへ張飛が疾風のごとく攻めてきました。
曹操を守ろうと、張遼、徐晃らが必死に応戦します。
それでようやく曹操は逃げ延びました。
(ただし、このエピソードは『三国志演義』が土台なので、史実ではない可能性があります)
どんなときも相手を見くびってはならないのです。
赤壁での曹操の敗因は慢心からくる油断が一因なのです。
後編に続く。
【今回の教訓】
「慢心、傲慢は失敗の種」
「相手の得意な土俵で勝負しない」
『赤壁大戦編13 ~赤壁大戦【後編】(打ち砕かれた野望)~』に続く。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。