『赤壁大戦編6 ~赤子の守護神と臣下想いの主君~』
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『赤子の守護神と臣下想いの主君』

 前回は、智謀の諸葛亮と仁義の劉備の話をしました。
今回は、長坂坡の戦いにおける趙雲の活躍と臣下を想う劉備の話をしてみたいと思います。 

【曹操、邪魔者を排除する】

 襄陽を攻略した曹操は劉表の次男である劉ソウを荊州から追い出し、青州の刺史に無理やり命じて赴任させてしまいます。
青州は中原から離れている地方に当たるので、これは明らかに左遷です。
要は目障りな劉ソウを追っ払ったのです。
しかし、それは口実にしか過ぎなくて、劉ソウが青州に向かっている途中で部下の干禁(うきん)に命じて劉ソウ一行を皆殺しにしてしまうのです。

 この辺が曹操の曹操たるゆえんですね。
表面上は左遷という名目を用意して、裏で邪魔な人物を消していく。
現代の倫理からすると相当な悪ですよ。
こういうところがあるために曹操は後世の人たちに人気がないんですね。
でも、そういうことを平気でするからこそ強いんです。

 さらに、曹操は劉氏に仕えていた蔡瑁を水軍の大都督に任じます
曹操の狙いは荊州を攻略し、さらにその先の狙いは江東を取ることであったのです。
江東の地は川が多く中原よりも気候風土が違っています。
水軍なくして江東を攻略することは出来ないことを曹操は理解していたのです。
ですから、蔡瑁に水軍を訓練させて、来るべき周瑜の水軍との決戦に備えようとしていたのです。
江東(後の呉の領土)を攻略するには荊州の水軍が必要であるという戦略に基づいての対処だったのです。
先の先を考えて戦略的に動くことができるのが曹操の強さであり恐ろしいところです。

【劉備、究極の選択を迫られる】

 一方、曹操軍の大軍に攻め込まれた劉備軍は孔明の考えた撤退戦略に従って避難していました。
それは江夏にいる劉表の長男劉キと合流することでした。
江夏の劉キには数万の兵力があり、兵糧も備わっています。
他にも水軍を擁していますから、曹操に対抗することが可能だと孔明は考えたのです。
しかし、劉備を慕ってついてきた民(民間人)数万を引き連れての避難行動となってしまったため、兵馬の行軍とは比較にならないほど遅いものでしかありません。

 そこで孔明は劉備に進言します。

「このままでは曹操軍に追いつかれてしまいます。民を見捨てれば全速力で行軍できます」

と。(劉備についてきた民間人は十万~二十万だと言われています)
これは孔明でなくても理解できるでしょう。
曹操軍に追いつかれてしまっては元も子もありません。
民間人どころか劉備軍全体が曹操に打ち取られて命を失ってしまいます。

 つまりここで劉備は究極の選択を迫られたのです。
自分の志のために民間人を捨てて曹操軍の追撃から逃れて、再起を計って曹操に立ち向うのか?
それとも民間人を捨てられずにこのまま曹操軍に追いつかれて戦闘になり、曹操軍に敗れてしまうのか?
その場合は劉備自身の命がないことが明らかなので、漢王朝の再興という志を失うことになります。

 これはかなり難しい選択ですね!
究極の選択を迫られた劉備が孔明になんといったのか。
どう考えたのかということが次のことでした。

 劉備は天下を治める礎は民(人)だと考えていました
歴史的に見てもこれは非常に珍しく他の英雄たちにはほとんど見られません。
だいたい土地を制することが天下を掌握すること(偉業)だと歴史上の英雄たちは認識していたと見えます。
劉備に言わせれば、

「万民の心があれば必ず土地は手に入る。いま民を見捨てればわたしはすべてを失う」

と。まさに仁義の心の持ち主であります。

【長坂坡の戦い】

 この危機的状況から逃れるために孔明は一手打ちます。
それは赤兎馬に乗る関羽を江夏の劉ソウに援軍要請するように派遣したのです。

 しかし、数万の民を引き連れての劉備軍の行軍は、牛歩の進みでしかありません。
そこへ曹操軍が追い付いてきます。
劉備軍の後方は混乱に陥ります。

 殿(しんがり)を務めていたのは張飛で、劉備の夫人(甘夫人とビ夫人)の護衛をしていたのが趙雲でした。
この二人が追い付く曹操軍と長坂坡(ちょうはんは)という場所で死闘を繰り広げるのです。

 混乱する劉備軍。
やがて趙雲は追い付かれた曹操軍との激戦のなかで劉備の夫人たちを見失います。
敵と戦いながら夫人たちを必死に探す趙雲。
やっと趙雲が夫人たちを見つけたときはすでに敵兵に囲まれていました。
趙雲は敵軍の中へ恐れもせずに突っ込んでいきます。
それを目撃した者が勘違いをします。
趙雲が敵に寝返ったと思ってしまったのです。
その話を聞いた劉備は趙雲が寝返ったということを信じず、強く否定しました。

 裏切るどころか趙雲は劉備の夫人と息子(阿斗)を守るために孤軍奮闘していたのです。
趙雲が赤子を抱くビ夫人を見つけたときは周りを敵兵に囲まれていました。
槍を振り回し必死に戦う趙雲。
趙雲は夫人に馬に乗って逃げるように言います。
その言葉に夫人は趙雲に問いかけます。

「それではあなたはどうするのですか?」

趙雲は「わたしは歩いてついていきます」と答えます。
夫人は、必死に自分と赤子を救いだそうとする趙雲の姿を見て決断します
自分がいては赤子も趙雲も助からないと。
それは劉備の志をつぶしてはならないという夫への深い愛情でもあり、我が子が生きるための最終手段だと考えたのです。
後継者となる子供と忠実な臣下である趙雲を失うことは劉備にとっては大きなダメージとなると考えたのです。
ビ夫人は、赤子を趙雲に託して近くの井戸に身を投げるのです
しかたなく趙雲は赤子を自らの胸に布で抱き抱えて戦います。

 赤子を胸に抱えたままの趙雲の前に曹操自ら率いる大軍が陣を構えて待ち構えていました。
趙雲は迷わず敵陣に真っすぐ突っ込みます。
大軍相手に奮戦する趙雲。
このときの趙雲の強さを間近で目撃していた曹操は、趙雲の強さに驚愕し生け捕りにしろと命じます。
曹操の才能のある人材を欲する“曹操らしさ”がまたでたのです。
それによって矢が放たれなかったのが趙雲にとっては幸いしました。
このとき矢を放って攻撃されたら趙雲であっても命はなかったでしょう。
激戦の末に趙雲は敵陣を破って逃げ延びました。
必死に曹操軍から遠ざかる趙雲の目の前に長坂橋という橋が見えてきます。
そこには馬にまたがり今にも獲物に襲い掛かろうとする猛獣のような張飛がいました。
趙雲は張飛の横をすり抜けて一路主君である劉備のもとへ駆け抜けます。

 ようやく劉備に追いついた趙雲は、抱いていた赤子を劉備に渡します。
趙雲から土まみれとなった赤子を受け取った劉備は、赤子を地面に放り投げてしまいます
そしてこういいます。

「赤ん坊のせいで、かけがえのない将軍を失うところだった。子供はまた作ればいいが、忠臣は得難いものだ」

 これを聞いた趙雲の気持ちを想像してみてください。
命を懸けて救い出した劉備の一人息子を投げたからと言って怒る人がいますか?
逆に一人息子よりも臣下である自分のことをなによりも大切に想ってくれているということに感動しないひとがいるでしょうか?

 趙雲の心は感動で打ち震えたでしょう。
これぞ仁の心。
仁の君主です。

 ここまで部下を愛するひとは歴史上珍しいです。
曹操の場合は、部下の才能を愛するというパターンですが、劉備は人物を丸ごと愛するのです。
これが両者の違いです。

 長坂橋の上で曹操軍を向え打った張飛は単騎です。
そこで張飛は大声で曹操軍を一喝します。
張飛の大声で落馬する兵もいたというのですから、張飛の大声が大地に響いたのでしょう。
ですが、落馬したという事実があるかどうかは疑い深いと思います。
実際は、張飛の後方で土煙が上がっているのを見て伏兵がいると考えて撤退したのです。
敵が撤退したことを見届けた張飛は橋を破壊(燃やしたという説と破壊したという説がある)して劉備と合流します。

 張飛からの報告を受けた孔明はいまだ危機を脱していないことを理解します。
それは、疑い深い曹操は土煙を見て伏兵がいると見て撤退したのであって、橋を破壊したということは、つまり本当は伏兵がいなかったのだと曹操が判断する(見破る)と孔明は推察したのです。
この辺のちょんぼが張飛らしいですね。

 事実、曹操軍が再度襲ってきました。
これで劉備軍も一巻の終わりかとおもいきや、江夏の劉キから一万の兵を借りてきた関羽が助けに入ります。
しかも、劉キ自身が船団を引き連れて劉備軍救済に駆けつけました。
民間人を含む劉備たちは劉キの船で江夏へと向かいました。

 危うし、危うし。

 それにしても、臣下をこれほど大切に扱う君主(上司)がいるでしょうか?
現代においても、こんな上司なら死んでもついていくと誰もが思うでしょうね。

【今回の教訓】

「部下を家族以上に大事にする上司なら、部下は感動し、どこまでもついていく」

「己のために他人を捨てるか、他人のために己を捨てるか。その究極の選択に私心と無心が見えてくる」

『赤壁大戦編7 ~戦うべきか? 降伏すべきか?~』に続く。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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