『荊州争奪編5 ~劉備の憂いと喜び~』
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『劉備の憂いと喜び』 

あなたは自分の利益を最優先していますか?
それとも相手を尊重することを忘れないようにしていますか?
今回は、領地を手にした劉備について話をしてみたいと思います。

 【周瑜、死を偽装する】

 周瑜が南城攻略戦の中で矢を受けたことで呉軍は一度撤退します。
命の助かった周瑜はそのことを逆手に取って敵を騙そうと策略を考えます。
それは周瑜が矢で射られて命を落としたというものです。

 劉備陣営に知らせが届きます。
それを聞いた劉備は、すぐに出陣したほうがいいのではないかと孔明に言います。
孔明は慌てずに答えます。
周瑜が死んだというのは周瑜の謀なので、もう数日待ったほうがいいでしょうと。
孔明は周瑜が死を装って計略を企んでいることを見抜いていたのです。
同じように周瑜の知らせを聞いた曹仁は、これをチャンスと見て取って、呉軍に夜襲攻撃を仕掛けます。
これが曹仁と孔明の違いです。
曹仁が呉の陣営に行ってみると、そこはもぬけの殻でした。
静まりかえり、ただ軍旗がはためいているだけでした。

 困惑する曹仁の目の前に、死んだはずの周瑜が軍勢を引き連れて現われます
曹仁は腰を抜かしそうになるほど驚きました。
そこへ周瑜の軍勢が襲い掛かります。
両軍は激しくぶつかり合い、激戦の末に、曹仁の軍はほぼ全滅となります。

 大勝利を収めた周瑜は、曹操軍がいなくなったはずの南城に凱旋します。
意気揚々と城に近づくと、城壁に旗がなびいています。
城壁に近づいて周瑜を上から見下ろす男に「誰だお前は」と訊ねます。
名乗ったのは、劉備陣営の武将趙雲でした。
しかも、孔明軍師の命を受け南城をいただきに来たというではないですか。

 度肝を抜かれたのは周瑜です。
まったく予想していない展開だったからです。

 趙雲が南城に入ったのは勿論孔明の策によります。
この孔明の策を聞かされたときに劉備は戸惑いました。
両者が凌ぎを削って戦っている隙に城を乗っ取るとは仁義に劣ると考えたからです。
しかし、孔明はいま自分たちに必要なのは領地であることを強く主張します
さらに劉備の気持ちを動かすために時勢を説きます。
孔明の主張はこうです。
われわれが勢力を拡大し、領地を増やせば呉はわれわれを尊重するはず。
逆に孤立し弱小である限り一目置かれることなどないのです。
いずれ見捨てられるか、滅ぼされることになってしまいます。
つまり、劉備の目指す漢王朝の復興という夢を本気で叶えますか?
それとも仁義を大事にして、弱小勢力のままで悔しい境遇のままで我慢しますか?
そう劉備に厳しい選択を迫ったのです。
以前であれば劉備の仁義を取るという態度に孔明は従ってしまったかもしれませんが、今回は違いました。
この頃になると劉備と孔明はしっかりと深い絆を結んでいたこと。
それと荊州という天下三分の計にとっての要の地が目の前にぶら下がっているのですから、それをみすみす逃すのは軍師としては納得いかなかったのでしょう。
劉備は孔明に諭されて作戦を許可したのです。
このへんは孔明軍師の苦労するところでもありますね。
劉備以外の武将たちなら、喜んで賛成するでしょうけど、孔明が仕えた主の劉備という男は仁義をなにより先に考える人物だからです。

【軍師孔明の乗っ取り作戦】

 話を戦場に戻すと、
怒りを露わにする周瑜に趙雲はこう言います。
「大都督が戦死されたとの報告が届きました。」
周瑜は言い返します。
「小細工をして、我が領地を奪うのか」
趙雲も負けじと言い返します。
「お言葉が過ぎる。南郡を取りそこなった折にはわが主君の好きにしてよいといったはず」
それをいわれては周瑜もぐうの音も出ません。
あのとき劉備と約束した自分の言葉を恨むしかありませんでした。

 撤退した周瑜のもとにさらなる悪い知らせが届きます。
それは、荊州城が張飛に奪われ襄陽城が関羽に奪われた、というものです。

 その方法は、曹仁が持っていた兵符(南城にあったもの)を趙雲に奪わせて利用したのです。(兵符とは軍事権を預かる意味を持つもの)
その兵符を曹操軍にだして、城内を守る曹操軍に呉軍と対峙する味方の応援に行かせる。
それによって城を守る城兵を空にして、その隙に城を乗っ取ったのです。
軍師孔明の策略見事です!
これには周瑜も精神的なダメージが大きかったようです。

 孔明がとった方法は同じ土俵で戦わないということです。
または劣勢のものが優勢のものと同じ条件で戦わないということです。

 つまり、兵力そのものでは、曹仁の兵力と周瑜が率いる呉軍の兵力には遠く及ばない。
ひいき目に見ても劣勢でしかない。
だから、兵を持って戦うことは避ける
その代わり知略を持って戦う
実際の戦闘によって領地を取ることは劉備陣営には無理である。
戦闘力でなく、知略を尽くして相手の隙をつくことで目的を果たす。
それが孔明の取った戦略です。
それは孫子の兵法そのものです。

 こうして劉備は自らの領地を手に入れることが出来たのです。
しかし、劉備の気持ちは晴れません。
相手の隙をついて領地をとったことで、周瑜は屈辱感を味わっているはずだと思ったからです。
そうしたことを考えるのが劉備という男なのです。
乱世の世には非常に珍しい英雄です。
乱世には劉備のようにここまで仁義を大事に考える人物はあまり見あたりません
そんな劉備の姿を見ていると、「この人は本当に天下を治めようと思っているのか」と考えてしまいます。

 このとき憂いている劉備を見て孔明はフォローの言葉を吐きます。
「周瑜はこの孔明を恨んでいるのであって、主君を恨んではいません。もしものときはこの孔明を差し出せば周瑜の怒りは収まるでしょう」と。
もちろん劉備が孔明を差し出すわけはありません。
孔明は劉備の憂いている気持ちを少しでも取り除こうと配慮したのです。
孔明はただ鬼神のごとく知恵が働くだけではなく、人の心を配慮することも出来る人物なのです。

 さらに孔明は曹操の思惑まで見破ります。
それは本当に曹操が荊州を死守しようとするならば曹仁に二万の兵力しか与えないはずがない。
つまり、呉軍と劉備軍を目の前にして、最終的には荊州を守り切れないと考えたはず。
だとすると、曹操の狙いは呉軍と劉備軍が争い、その兵力を削ってしまうことにある。
その曹操の計略に嵌らないためには、呉と劉備陣営が争わないことが重要である。
だから、争わないで領地を手に入れたことは良かったのだと、孔明は劉備に話すのでした。

 しかし、このへんのところが後世の人間から見ると難しいな~と思うところです。
兵力に劣る劉備陣営がこのタイミングで領地を得るには、孔明が取った策略で手にいれるしかありません。
でも、そうすると必ず奪われた側に恨みやシコリが残ります
そうしたものが後々災いとなることが多いのです。
これは難しい問題ですね。

【乱世に稀な英雄、劉備】

 実は孔明が主張している孫劉同盟によって曹操に対抗しながら天下を平定するという戦略構想の難しさがここにあります。
この戦略の体勢が安定することは難しく、むしろ不安定であることの方が当たり前であるという命題を抱えているのです。

 周瑜は、この事態を収拾するために魯粛を交渉役として劉備陣営に派遣するのです。

 

領地が手に入ることよりも、仁義を守ることを大切にする
自分の利益よりも、他人から何かを奪うことを気にしてしまう
自分だけが得することを良しとしない
他人の恨みを買うことをなによりも嫌がる
劉備とは稀有な英雄です

だから、わたしは劉備が好きです!

【今回の教訓】

「何を大事とし、何を選択するのか、ということが成功のカギを握ることになる」

「劣勢のものが優勢のものと同じ条件で戦わない」

『荊州争奪編6 ~如何にして飛び立つのか~』

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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