『赤壁大戦編2 ~至誠、人を動かす(後編)~』
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『至誠、人を動かす(後編)』

 前回は、劉備が隆中の諸葛亮(臥龍)を二度訪れた話をしました。
今回は、劉備が眠れる龍を呼び覚ました話の続きをしてみたいと思います。

【劉備、臥龍を想う】

 二度も臥龍に会うために山深き隆中を訪れた劉備でしたが、二度とも会えぬままに終わってしまいました。

 新野城に戻った劉備には荊州の劉表が病気にかかっていること、兵糧をこちらに送ってこないことなどの状況報告がもたらされます。
さらに曹操の荊州攻略の動きの気配が漂ってきていました。
荊州九郡の中でも曹操の拠点に近い新野は、曹操が荊州攻略に真っ先に狙われる場所です。
そんな状況の中でも、劉備の心は隆中の臥龍こと諸葛亮のことでいっぱいでした。
そんな劉備の心を見透かした関羽が、苦言を吐きます。
「兄上、一介の素浪人のために城を失うもりですか? 忘れたほうがいい」
しかし、劉備は、「会わぬうちは新野を離れぬぞ」と関羽の発言をはねつけます。

どうしても諦めきれない劉備は占いをして吉凶を占います。
すると大吉の相が出たことを理由に三度目の訪問をすることにします。
急いで出かけると言い出す劉備に関羽が食いつきます。
「二度も兄者が訪ねたのにも関わらず、兄者を避けるように会おうとしない。礼儀があれば向こうから会いに来るはずだ」
それに対して劉備は、その昔周王朝を建国した文王が、建国の礎を築いた太公望という人物を迎え入れた故事(注)を引き合いにだして、関羽を諫めます。

注)漢王朝の2つ前の王朝が周王朝で、文王という人物が賢者と噂の高い太公望という人物に教えを請い、軍師として招き入れるために太公望が釣りをしている間中ずっと傍らで待っていた故事のこと。

【劉備、仁義を貫く】

 三度目に隆中を訪れた劉備を弟の均が出迎えます。
そして、今度は在宅だと告げられます。
劉備は喜び勇んで、関羽と張飛を外で待たせて一人で諸葛亮に会うことにします。
ところが室内に案内されると臥龍こと諸葛亮は昼寝をしていました。
起こそうとするのを劉備が止めます。
諸葛亮が自然と起きるまで待つというのです。

劉備がじっと立ったままで待っている姿を見て関羽と張飛は怒り出します。
このとき、張飛が隆中に火を点けて諸葛亮を起こそうとしたという話もありますが、実際に付けたのか、つけようとしてやめたのかは定かではありません。
これは、それだけ関羽と張飛が怒っていたことを示しているのです。

じっと待つ劉備

諸葛亮という大賢者に出会うためなら何度でも訪ねる。
どんなことをしてでも必ず会ってみせるという強い決意を持ってきている劉備としてみれば、昼寝を待つくらいなんでもないのでしょう。
だって、目の前に逢いたくて、出会いを待ち焦がれていた諸葛亮がいるのですから。
そんな兄貴の気持ちも知らずに、関羽と張飛は不満タラタラです。

このひたむきな姿に劉備の仁義を貫く漢(おとこ)の信念が見えます。
劉備の魅力、劉備のすごさはこの「直向き(ひたむき)さ」なのだと思います。

【臥龍、劉備の仁義にうたれ、天下三分の計を授ける】

そうこうしているうちに臥龍が昼寝から目覚めます。
訪問を知った諸葛亮は劉備を礼儀正しく迎い入れます。

劉備は、従者のアナンが入れてくれた茶を飲みながら、諸葛亮に積もりに積もった思いをぶちまけるのでした。

「民を救いたいのです。だが、わたしは知が足りません。何度も破れて流浪する始末です。臥龍先生を三度も訪ねたのは、天下を安んずる策をご教示願いたいのです」

劉備の志に打たれた諸葛亮は、ここで劉備が今後取るべき方針、戦略を教示するのでした。

それが、有名な「天下三分の計」です。

「天下三分の計」とは、次のような戦略です。

中原はすでに曹操がその手中に治めてしまっている。
いまの劉備の勢力ではとうてい中原に覇をとなえる曹操に対抗することは不可能である。
さらに江東の地(おもに揚州)は代々孫家が治めていて、すでに地盤を固めてしまっている。
そうなると、劉備としては、この荊州をまず手中に治め荊州を本拠地として西に向かい益州を獲得し、江東の孫家と同盟を結んだ後に、荊州と益州から中原の曹操を攻める、という大戦略です。

諸葛亮の大戦略を聞いた劉備は目から鱗が落ちたような気持になったと同時に未来が大きく切り開かれたような明るい気持ちになったことでしょう。

劉備は、「どうかわたしの軍師となってください」と頭を下げるのですが、諸葛亮は非才のわたしでは役に立ちませんと劉備の誘いを断ります。
劉備は、流れる涙を止めることなく跪いて嘆きます。
失望を抱き、諦めるしかないのかと思った矢先。

その純粋すぎるほどの真心を見て、諸葛亮の心が動きます

「諸葛亮、天地に誓い、劉備どののために全智全霊を賭けてお仕えします」

劉備は、自らの志に共鳴してくれた諸葛亮の手を取り、お互いの心を一つにするのでした。
劉備の真心が眠れる稀代の戦略家を池の淵から大空に飛び立たせた瞬間でした。
こうして臥龍こと諸葛亮(孔明)は劉備の参謀(軍師)として迎え入れられたのです。

【劉備、飛翔の翼を得る】

幕末に吉田松陰という人が「至誠はひとを動かす」と言っていましたが、まさに純粋な真心が生んだエピソードと言えるでしょう。

司馬徽一門の諸葛亮は、さまざまな地を渡り歩いて見分を広めたりしていたので、当然のことながら劉備の現状も把握していたでしょう。
ただ、人の噂や評判は耳にしても、劉備という人物の本当の人格(性格)を見てみたかったのでしょう。
劉備という人物を自分の目で確かめてみたい気持ちがあったことが推測されます。

あまり知られてはいない話があります。
荊州の地が一代学問の地であり、そこに名士たちが集まっていることは曹操が知らないはずがありません。
実は、曹操は諸葛亮を自らの陣営に招こうとしたことがあるようなのです。
当然でしょうね。
しかし、諸葛亮とすれば、曹操との相性が悪いと考えたようです。
うまく曹操に捕まらないように逃げたようです。
それは、諸葛亮は性格が清廉な性格であるため、曹操のようなときに非道なことをする性格を受け入れることが出来なかったのでしょう。
要するに自分が仕える人物に値しないと考えたようです。

いずれ天下に出ると内心では志を立てていた諸葛亮でしたから、自らが仕えるに値する人物との出会いを待っていたのです。
そうです、稀代の戦略家諸葛孔明は劉玄徳を選んだのです。

そして、この諸葛亮という参謀(軍師)を得ることで、劉備は曹操と対抗する力を得ることになり、天下三分の計の実現に向かって突き進むことになります。
そして、蜀漢の皇帝となり漢王室の再建という夢に迫るのです。

この二人の出会いがなければ、魏、呉、蜀という三つの国が並立する「三国志」という歴史は成立しなかったのです。
(おそらくやがて曹操が荊州を攻略して、江東の地をのみ込み、曹操が統一国家を作り上げたでしょう)
この二人の出会いなくしては三国志の物語はないのです。
または、劉備と諸葛亮が出会わなかったなら、三国志という物語(歴史)は、これほどまでに後世に影響を持つようなものにはならなかったかもしれません。

 劉備は三度目の訪問で諸葛亮に出会えましたが、おそらく四度でも五度でも会えなければ何度でも会いに訪ねたことでしょう。
劉備という男はそういう男です。
そこが劉備の魅力であり、多くの人たちに愛される理由でもあります。

劉備と諸葛亮との出会いは、三国志の中でも極めて重要なエピソードでもあり、歴史のターニングポイントでもありました。

これが「三顧の礼」の故事です。

【今回の教訓】

「誠実な人間を動かすのは、純粋すぎるほど誠実な人間のみである」

「天に昇りたければ、常に牙(世を渡っていくための武器)を磨き続けろ!」

『赤壁大戦編3 ~覇業を継ぐ者(孫策と孫権)~』に続く。

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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