『渭水の戦い』
『渭水の戦いにおける曹操と馬超の違い』
【渭水の戦い勃発】
復讐の怒りに燃えた馬超率いる西涼軍は勢いにのって長安を攻め落とします。
さらに曹洪が守る城を落して勢いを増します。
西涼軍はそのまま許都へ進軍して行きました。
曹操は劣勢を挽回すべく自ら軍勢を率いて出陣。
ついに西涼軍20万対曹操軍30万の大軍が対決することになったのです。
西暦211年「渭水の戦い」
初戦では西涼軍が曹操軍を圧倒し、馬超はあと少しで曹操を倒すところまで迫りました。
ですが、あと少しと言うところで曹操を取り逃がしてしまいます。
曹操は、命からがら逃亡します。
このときの曹操の様子は、日本の戦国時代における浅井朝倉連合軍に挟み撃ちにされそうになって一目散に逃げ去った織田信長の姿に重なります。
両軍は渭水を挟んで対峙しますが双方打つ手が見つからずに長期戦となりました。
曹操は西涼軍に対抗するために砦を築こうとします。
しかし、戦場は砂地であったため土塁が積みあがらずに崩れてしまいます。
困った曹操でしたが、程昱(ていいく)がつぶやいた言葉にピンときます。
その言葉とは「丞相、水も氷る寒さですから、中へお入りください」
曹操は、兵に命じて川から水を運ばせて夜半のうちに土塁に水をかけろと命じます。
すると水分を含んだ土塁は固まったのです。
それによって砦は完成しました。
さらに曹操は砦の前面に西涼軍の注意を引きつけておいて、二万の兵を西涼軍の背後から奇襲させます。
挟み撃ちになった西涼軍は多くの損害をだして、兵を前線から撤退させました。
【曹操、謀略を持って戦いを制す】
西涼軍の総大将は馬超ですが、父親の馬騰の義兄弟である韓遂(かんすい)という参謀役を務める武将がいました。
戦局が不利とみた韓遂は馬超に和睦を進めます。
馬超としても攻めあぐねていたこともあり、これ以上の損害をださないために承知せざるを得ませんでした。
曹操は、その状況を利用しようと企みます。
馬超と韓遂の間を引き裂く「離間の計」を仕掛けるのです。
曹操は、韓遂に使者を出し、和睦の返事と偽って手紙を渡します。
その手紙はなぜか墨で文字が塗りつぶされていて部分的に読めなくなっていたのです。
わけが分からない韓遂に対して、馬超は韓遂が曹操と通じているのではないかと疑いを抱きます。
曹操は何度か韓遂に手紙を送って馬超の疑念を刺激しました。
とうとう馬超は韓遂が裏切ったと誤解してしまいます。
馬超に疑われて身の危険を感じた韓遂は曹操のもとに降ることにします。
曹操は西涼軍の混乱を見逃さずに火攻めを行います。
馬超は混戦の中で韓遂を見つけ出し左腕を叩き斬りました。
しかし、それ以上の戦闘は無理と判断し、撤退します。
曹操は、西涼軍に賞金を懸けていたので、兵士たちは賞金欲しさに逃げる西涼軍を執拗に追いかけます。
背後から襲い掛かる曹操軍に徐々に兵士たちが打ち取られていきます。
とうとう馬超の周りにはわずか20騎となってしまい、隴西へと落ち延びたのです。
結局、渭水の戦いは西涼軍の大敗に終わりました。
(なお、正史では馬超が曹操に牙をむいたことで、父親の馬騰、兄弟の馬休、馬鉄が殺されたということになっています)
【馬超の限界】
大戦果を挙げた曹操は許都へ凱旋します。
このとき漢の献帝が城外で曹操を迎えました。
曹操は、このとき以来献帝に謁見するときにも名を名乗らず剣を腰につけたまま、靴を履いたままでいることを許されるようになりました。
これは、漢の皇帝である献帝が完全に曹操の支配に屈したことを意味します。
本来、皇帝に謁見するときは、まず名を名乗り跪きます。
剣を持って謁見するなど許されることではありません。
実権のない献帝とすればどうすることも出来ません。
ただ、曹操の操り人形になるしか、自らの命を長らえる方法はないのですから。
とうとう漢の皇帝の権威は落ちるところまで落ちてしまいました。
曹操に負けはしましたが、西涼軍の馬氏はもともと後漢の初代皇帝光武帝に仕えた名将馬援の末裔なのです。
ですから、漢王室への忠義に厚い家柄がゆえに、曹操の権力の簒奪が許せなかったのです。
ですが、武力頼みでは戦に勝利することは出来ないのです。
西涼軍の強みは騎馬隊にあります。
兵士も中原の兵に比べると勇猛です。
馬超自身も武力に秀でていて、しかも名門の出自。
きっと武力で曹操を倒せると思ったのでしょう。
そこが馬超の限界です。
馬超は後に蜀の劉備に仕えるのですが、関羽、張飛らと並び立つ将軍として扱われます。
それほど猛将だということです。
しかし、父親の義兄弟を簡単に疑ってしまうようでは、大軍を率いるトップとしては失格です。
馬超の心は、曹操への恨みでいっぱいとなっていたことでしょう。
人は「恨み」や「怒り」の感情で心をいっぱいにしてしまうと冷静な判断が出来なくなります。
戦で勝利するためには、味方の信頼を勝ち取り、敵を騙してその戦力を削ぐことが大切です。
それが出来るリーダーのいる側が勝利するのです。
【今回の教訓】
「大軍を率いるリーダー(将)は、仲間を‟簡単に”疑ってはいけない」
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。