
『三国志のことわざ』
今回の諺(ことわざ)は、『髀肉の嘆』です。
英語では、「Lamentation of flesh」です。
『ことわざの意味』
意味は、「実力を発揮し功名を立てる機会がなくて残念がること」(大きい活字の故事・ことわざ辞典)
または「功名を立てたり力量を発揮したりする機会にめぐまれない無念さ」(広辞苑)
つまり、大志(大きな理想)を持つ人が、何の手柄も立てられず、いたずらに月日を過ごすことを無念(残念)に思って嘆き悲しむことです。

『ことわざの発生故事』
「髀肉の嘆(ひにくのたん)」という諺は、劉備が曹操から逃れて荊州の劉表のもとに身を寄せていた八年間の出来事がもとになっています。
劉備は若くして、義兄弟の関羽、張飛と共に黄巾賊討伐のために義軍として参戦し、各地を転戦、または流浪しながら漢王室の再興を願って戦に明け暮れていました。
そんな劉備でしたが、荊州の新野という場所に落ち着いてからは戦に出ることもないまま時を過ごしていました。
ある日、厠(トイレ)に行ったとき、自分の太ももに贅肉(ぜいにく)がついているのをみて、自分の不甲斐ない姿に嘆いたという故事からきた諺です。
劉備は若い時分に、義勇軍の一員として旗揚げしてから20年近くの歳月を馬にまたがり戦場を駆け抜けてきました。
なのに、安楽な生活のなかで無駄な肉がついてしまったのです。
(このときの劉備の年齢は40代後半です。)
いわゆる、若い時にスポーツなどの運動をして体を鍛えていた人が、中年になってお腹が出て体形が変化したようなものと考えればいいでしょう。
戦に明け暮れていた劉備が、馬に乗らなくなって、三度の食事をしっかりと取って毎日を過ごしていたら、ぜい肉くらいつきますよ。
かくいう私も若い時はスポーツや武道などで身体を鍛えていましたが、年と共に体重が増えていきました。
中年以降の世代には、ある意味宿命ともいうべきことなのかもしれません。
しかし、私は思います。
三国志のエピソードから生まれた諺はいくつもありますが、この「髀肉の嘆」という諺がどうして諺として成立し、後世まで残ったのか?
ということが考えると不思議に思ったのです。
なぜって?
だって、太ももに無駄な肉がついたことを嘆いたなんてことは昔も今もずっと人間の歴史の中で繰り返されてきたことだと思うからです。
どこにもかしこにもある出来事だからです。
なのに、劉備が言うと諺になる。
不思議です。
その理由を少し考えてみました。
「ひ肉の嘆」という諺の中に秘められた意味には、大志(漢王朝の再建)を抱いて義兄弟と共に命を懸けて生きる熱い男の姿があるのではないでしょうか。
しかし、情熱を持ち、世の中を変えていこうとする男が挫折して、休息を余儀なくされ、変わり果てた自分の肉体を見て、初心を改めて思い出した。
いまだに大志が実現されていない自分の不甲斐なさを悲しく思った。
ライバルの曹操は天下を取る勢いなのに、そのライバルの曹操から天下を取り戻そうとしている自分の身の上は、なんたる様(ざま)なのかと!
そして、このままではいけないと、もう一度自分の心に火を点ける。
そんな熱い男の悲哀と情熱の姿がそこにあるのではないでしょうか。
だからこそ、後世の人たちが、逆境に負けずにライバルに圧倒的に差をつけられて、普通の人ならあきらめてしまう境遇にも挫けずに、再度戦いの中に身を投じていこうと決意する。その姿に心打たれるのではないでしょうか。
だから「劉備の嘆き」が「髀肉の嘆」という諺となって後世に伝えられたのではないでかと思うのです。
人生にはどこかで逆境との出会いがあります。
不遇の時代を過ごすこともたくさんあります。
努力してもなかなか結果がでない。芽がでない。
そんなときは誰にもあります。
そのときに諦めてしまうか。
大差をつけられたライバルに対して嫉妬して恨むだけで、戦うことを放棄してしまうのか。
自分の不遇を嘆くだけで、努力することを投げ出してしまうのか。
そこが人生の分かれ道ではないでしょうか。
このときの劉備と曹操とでは比べようもないほどの差が開いていました。
劉備には関羽、張飛、趙雲などの武将たちと少数の仲間たちがいる程度で、宿敵曹操に立ち向うには、あまりにも小さ過ぎる存在でしかありませんでした。
それでも、宿敵に立ち向うのか? 諦めて挫折して終わるのか?
劉備に運命の女神が語り掛けているように思えます。
しかし、劉備はここから「水」を得て、遅ればせながらようやく天に昇って行くのです。
それは、ある人物との出会いによってもたらされるのです。
(その話は本編の記事にて)
要は、単なる肉体の衰えとか、中年太りの話ではないのです。
一度大志を抱いた男が、挫けるのか、執念を燃やして宿敵に立ち向うのか、そういう男の生きざまがこの「髀肉の嘆」という諺には秘められているのです。
わたしはこの記事を劉備の気持ちを想いながら書くだけで、胸が詰まってきます。
大きな夢を持ちながら、20年もの時間を必死に戦ってきたのに、手に入れたものは少なく、年齢だけが増えていく。
それでも「負けない」。
それでも「立ち上がる」。
それでも「宿敵曹操を必ず倒す」。
それでも「理想の実現を目指す」。
だからこそ、ぜい肉のついたいまの自分ではいけない。
そういった劉備の悲しみと情熱が込められた諺なのだと思います。
だからこそ、一見なんでもないエピソードなのに何百年もの間、人々に伝わってきたのだと思います。
「劉備のような男になりたい」
そんな思いにさせてくれる人物、それが劉玄徳なのです。
【ことわざからの教訓】
「逆境にあったときは、初心を思い出そう!」
「誰にだって挫けるときはある。けれど、挫けたことを嘆くよりも、半歩でも一歩でも前に進むことを考る」
「挫けそうなときは、劉備(髀肉の嘆)の故事を思い出そう」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。