
『負けても立ち上がる力』
あなたは何度失敗や負けを経験しましたか?

人生には手痛い負けや失敗することがありますよね!
今回は惨敗した曹操の話です。
【孔明の叱責】
赤壁での大勝によって、夏口(劉備陣営)では湧き上がっていました。
武将たちは大量の戦利品などを持ち帰ってきたからです。
しかし、その中で一人だけ戻らぬ武将がいました。
それは関羽でした。
遅れて、捕虜も戦利品もましてや曹操の首もなにひとつ持ち帰ることなく関羽一行が夏口にトボトボと戻ってきました。
関羽が、曹操を取り逃がしたことを告げると、劉備や張飛などがみな一様に驚きました。
それはそのはず、関羽が配置された華容道は、逃げ延びてきた曹操を討つ最後のチャンスであり、疲労しきった敗残兵しか伴わない曹操を討つことは簡単なことだからです。
劉備は「曹操が華容道を通らずに他の道を行ったのだな」と、関羽を庇うような問いかけをします。
その劉備の優しさに関羽は観念したかのように口を開きます。
「いいえ。確かに華容道を通ったのですが、わたしの力が至らず仕損じてしまいました」
そして、じっと目を閉じて俯き、死ぬ覚悟で戻ってきたので、いかようにも裁きをしてくださいと言います。
孔明が進み出て「まさか見逃したわけでは?」と、劉備たちが怖くて聴けないことをズバット訊きます。
孔明は状況を察して関羽を叱責します。
「曹操は赤壁で奇襲を受けて大敗し、逃げに逃げて華容道までやっと逃げていったのです。先回りして待ち伏せていた関羽殿の兵が疲れ切った曹操たちをひとりも打ち取ることが出来なかったというのですか?」
それは普段の清廉で温厚な孔明とはまるで別人の鬼となったようでした。
さらに孔明は関羽に追い打ちを掛けます。
「関羽殿は昔の恩義でわざと曹操を見逃したのです」
そういって孔明は出陣前に関羽と取り交わした誓紙を差し出すのです。
まともに顔も上げられない関羽に孔明の最期通告が響きます。
「これは死罪に値する重罪です。関羽の首を討て!」
激しい口調で部下に命じます。
劉備も張飛も眼球を落としそうに見開いて慌てます。
劉備は「関羽とは兄弟の契りを結んで死ぬときは一緒と誓ったのだ。軍法を破ったことは許されることではないが、死罪となっては契りを守れない」
そういって必死にとりなそうとします。
この劉備に免じて罪を許してくれというのでした。
関羽の罪は罪として、兄であり、主である劉備に関羽の罪を預からせてくれというのです。
そして、後日に手柄をたてることでその罪を償わせると、必死に軍師に頼むのです。
そこまで劉備に言われては仕える孔明も引き下がらざるをえません。
誓紙を劉備に預けて処分保留としました。
【孔明の思惑】
関羽への厳しい処遇を見た劉備は二人になったときに疑問をぶつけます。
それは、出陣のときに孔明がこのことを予想していたからです。
曹操に恩義を感じている関羽はきっと曹操を見逃すと。
それを分かっていながら任務につけたのは孔明自身ではないかと。
さらに、曹操の命運がまだ尽きていないと天文で占ったと。
劉備の問いかけに孔明は簡単に答えます。
「殿が止めたではないですか」
そうです関羽が軍法違反をして死刑を言い渡しても必ず義兄弟の劉備が止めに入ると信じていたのです。
それが分っていてわざと関羽を叱責したのには、理由があったのです。
孔明が軍師として軍を統率するときに大事にしているのは軍規を守らせることなのです。
強い国を造るには強い軍隊が必要。そのためには誰であろうと軍規を破れば厳格に処罰されるのだということを全軍に示す必要があると考えていたのです。
主劉備の義兄弟であり、一番の腹心である関羽でさえ、軍法を破れば処罰されるのだという見本を全軍に示すいい機会だと捉えたのです。
このエピソードに孔明の特徴がよく表れています。
つまり、軍規(軍法)に対する厳格な考えを持っているということです。
このことは後に違ったエピソードとして出てきますが、それはその時に。
つまり孔明の予想したこと、やったことは、
・曹操は天命が尽きていないと読んだ。
・曹操追撃の最期に関羽を送り込み、曹操を見逃すことで以前の恩義を忘れさせる。
・そのことによって曹操軍の恨みを買わないで済む。
・軍法違反の関羽を叱ることで全軍に規律を示すことが出来る。
わたし個人としては、この赤壁大戦での、曹操追撃戦については私的に想うところがあります。それはまた別の機会に話すことにします。
人は間違いを犯す生き物です。
ですから人の過ちを許すということは大切なことだと思います。
ですが、物事には取り返しのつくことと、取り返しがつかないことがあります。
特に戦争というものは人の命がかかっています。
領地も奪われてしまします。
戦争に敗れるということは民が家族や住む家を失うことにつながります。
ですから、軍隊において軍法違反、勝手な行動は原則許されることではないのです。
個々の将が自分勝手に行動しては全体の統制が取れず、組織の目的を果たせなくなるからです。
関羽の失敗をどう評価するのかは、難しいことです。
【曹操の偉大さ】
ここからは「三国志Three kingdoms」から曹操の演説シーンを引用いたします。
九死に一生を得た曹操は、南群の城にようやく到着しました。
そこで数日食事も取らずに失意の時間を過ごしていました。

すると命からがら逃げ延びてきた将や兵たちがぽつぽつと戻ってきます。
ある日曹操旗下の武将の許ちょ(字 仲康)が泣きながら戻ってきました。
許ちょは三千の兵を全滅させてしまったことに深い後悔と戦に負けた悔しさで泣いていたのです。
その許ちょの横に曹操は座り込みます。
そして許ちょを見つめながら優しく語りかけます。
「なにを泣く。勇敢な武将は血を流しても涙は流さない。」
「勝敗は兵家の常であろう。許ちょ、太鼓を叩き命令をくだせ。」
許ちょは、泣きながら「わが三千の兵は全滅しました。ただ申し訳なく。お詫びの言葉がありません」
曹操は許ちょに最後まで言わせないで、両肩を強く掴み心から言葉を吐きだします。
「されど、生きているではないか」
「生きるのだ。わしは寝たら忘れたぞ。三千の兵がなんだ。では三万与える」
「笑え!」
曹操はそういうとじっと許ちょを見つめます。
許ちょは、それに答えてぎこちない作り笑顔を見せます。
許ちょの無理した笑顔を見た曹操も笑います。
その様子を曹操軍の人たちが固唾をのんで見守っています。
そして許ちょに太鼓を打たせます。
許ちょが響かせる太鼓の音を聴いて、めいめいに休憩を取っていた曹操軍の兵士たちが曹操の前に集まってきます。
生き残った兵士たちを前にして、曹操は語りだします。
「将とは医者のごときものだ。医者は経験を積むことにより術を磨く。死なせた者が多いほど医者の腕は上がる。将は負け戦を経験しなければ勝ち方もまた学べないものだ。この世のどこを探しても百戦百勝の将はおらぬ。負けても腐ることなく勇ましさを増してこそ最後には勝利をおさめられる。われらは八十万の兵で南下したが孫劉同盟の五万の兵に負けた。なぜか? 根元にある訳はここ数年勝ち戦が続き驕り高ぶっていたこと。怠慢になり、敵を甘く見て、有頂天になっておった。とりわけわしは苦肉の計も見抜けず、火攻めを防げなかった。要するにこたびは負けを味わうときが、来るべくしてきたということなのだ。失敗は良いことなのである。失敗が成功の方法を教えてくれる。失敗がいつかわれらを勝利へ導き、失敗が天下を取る方法を教えてくれるのだ。ことを成すには恐れずに進み、結果を気にかけてはならない。戦も同様だ。勝ち負けに動じては成らぬ。たしかにわれわれは赤壁で大きな打撃を被りはした、だが基盤は傷ついていない。われわれは以前青州、幽州、へい州、冀州を掌握している。加えて領地、兵馬、人民、租税も孫権と劉備の数倍はある。朝廷は許都にあり、このわしの手の内にある。孫権、劉備がなんだ。よいか。危機に瀕すれば結託し、共通の敵に立ち向うは、一たび勝利を得れば裏でしのぎを削り、騙し合いが始まる。たとえば、周瑜と諸葛亮とが一心同体であったならば、烏林でわれらは包囲を突破出来なかった。孫劉の関係はいまでこそこのありさま。今後も悪くなる。つまりいずれ分裂し必ずや敗北する。」
(ここまで「三国志Three kingdoms」から曹操の演説シーンを引用いたしました)

このエピソードは恐らくフィクションだと思いますが。
とても心に刺さる言葉だったので、長い台詞でしたが引用させていただきました。
たとえこの話がドラマのフィクションであったとしてもここに曹操の凄さ、偉大さが現われているからです。
こうした演説がなかったとしても、この内容のことはまさしく曹操という男が考えそうなことだからです。
ここにあるのは。
・曹操という男の器の大きさ。
・自らの行いを反省する謙虚さ。
・失敗から学ぼうとする高い向上心。
・失望してしまいそうな状況の中でポジティブ思考を持っている。
・挫けそうな境遇のなかで再起する強い精神。
・将や兵士たちを鼓舞し立ち上がらせる言葉の力を持っている。

つまり、曹操には惨敗の中から見事に立ち上がる力にあるのです。
実に見事です。
これが曹操という男の強さの秘密です。
わたしは基本的には孔明派、劉備派なのですが、このシーンの曹操には惚れてしまいました。
もし、その場にいたら、わたしは一生曹操について行こうと思ったでしょう。
曹操の生涯戦歴の勝率は八割と言われています。
ですから、負けが二割もあるのです。
ですが、曹操の台詞にあるように失敗を受け入れ、失敗から学ぶことによって成功の方法を知り、願いが(野望)が叶うのだ、ということですね。
曹操という男、まさに英雄です!
【今回の教訓】
「失敗は成功の種。失敗があるからこそ“成功の味”がより良くわかる」
「惨敗から立ち上がる者こそ、真の男(強者)」

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。