【関羽が三国志の英雄たちの中で人気トップ3に入る秘密】
三国志に登場する英雄たちの中で人気者といえば、第1に諸葛孔明であろう。
その次に人気があるのが、劉備、関羽、趙雲あたりが続くだろう。
だが、日本人と中国人では人気、評価が少し違っている。
中国の歴史のなかで、民衆の信仰を一番集めている人物は関羽である。
《日本人と中国人の三国志の人物評価の違い》
本家中国から見ると関羽は諸葛孔明と並び人気ナンバー1である。
その理由は、日本人と中国人の伝統、価値観の違いからきている。
関羽は「義」に篤く、学問を好み、武勇に秀でていた。
人気が出るのも当然と思われるが、実は、「義に篤い」という関羽の性質が中国人に高く評価されているのだ。
日本人も「義」を重んじる民族であり、戦国時代には「義」を旗印にした戦国武将(越後)上杉謙信がいまでも人気を博している。
では、どうして中国では日本人以上に関羽が人気なのか?
それは日本と中国の歴史を学べば浮き彫りになってくる。
「歴史とは戦争である」という言葉があるように、人類は戦争の時代と平和な統治の時代を繰り返している。
特に、中国では、易姓革命の名のもとに、前時代の政権が根こそぎ排除される歴史を繰り返している。
また戦いに勝利した側は略奪、虐殺などを必ずといっていいほど行う慣習がある。
つまり、中国において戦乱の時代とは「裏切り」の歴史であり、「権力者の腐敗と略奪」の歴史なのだ。
歴史上「裏切り者」とは「卑怯者」を意味している。
裏切りは結局、私利私欲のためである。
己をなによりも優先するところから裏切りは起こる。
中国の歴史では裏切りは日常茶飯事。
だからこそ、「決して裏切らない人物」が眩しく見えるのだ。
そう、関羽こそ裏切りとは無縁の男。
中国人にとって関羽は眩しくて仰ぎ見る存在なのだ。
日本人は義理堅い民族といえるが、世界全体から見ると非常に稀な人たちである。
動乱期においては、主君を変える、主君を裏切る、などが日常茶飯事のように行われるのが歴史の常だ。
そうしたなかで、どんなことがあっても主君を裏切らなかった関羽は中国人の憧れの的となったのだ。
日本人とすれば、主君を裏切らないのが当たり前の文化・風習であるが、中国では裏切りが当たり前に行われる国柄である。
だからこそ“裏切らなかった”関羽に憧れと尊崇の念を向けているのだ。
その違いが、日本と中国における関羽の人気に差が出ている理由である。
戦乱の時代では戦いに勝利したものが新たに王朝を開くが、時間が流れるとともにトップ(皇帝)はもとより、宦官、大臣などの権力者が権力を濫用し私腹を肥やしはじめる。
権力の腐敗や横領はどこの地域でも必ずあることだが、中国のそれは日本人が考える以上なのだ。
「絶対権力は絶対に腐敗する」という言葉があるが、皇帝という強大な権力を持つ政治構造は、腐敗を生みやすい。
要するに、腐敗というものは権力が強くなればなるほど、間違った方向に一旦走りだしてしまうと、腐敗が加速してしまうのだ。
中国や朝鮮半島の歴史を見ると権力を握ることは、私腹を肥やすことと認識しているように見える。
そうした腐敗が国家全体にまで及んでしまうと、民が悪政に耐えられず反乱、暴動が起きる。
それを権力側が阻止する。
それが繰り返された後に、時代を動かす英雄たちが登場する。
そして、新しい時代が彼らによって作られていく。
そうした時代の宿命を背負った中国の民は「腐敗」を憎む。
だから、腐敗とは縁のない関羽が大好きになるのだ。
もちろん日本人も腐敗を憎む。
だが、日本人の考える腐敗以上の腐敗が政治権力によって蔓延するのが中国の歴史である。
日本には「武士道」があり、日本神道の「禊(みそぎ)」がある。
そこから導き出される民族的思想は「潔さ」である。
腐敗自体は人類につきものだが、日本人には「潔くありたい」という思想が心の根深いところに存在している。
しかし、中国人には「潔さ」という武士道精神はない。
その違いがある。
《ときに忠臣となり、ときに親友となり、ときに兄弟となる》
関羽と張飛は、影が形に添うように、常に劉備の側にあり、劉備のためならいかなる困難もいとわなかった。
関羽と劉備の関係は、単なる主従関係以上の密接な関係で結ばれていた。
「ときに忠臣となり、ときに親友となり、ときに兄弟となり、常に影として粉骨砕身する」
それが関羽の姿である。
人は誰でも「自分を一番大事にしてくれる味方」を欲するもの。
人は誰でも「自分のことを深く理解してくれる親友」を求めるもの。
人は誰でも「自分をどんなときでも守ってくれる守護神」を得たいと思うもの。
そうした人間が持つ願望を関羽はまざまざと見せつけてくれる。
劉備に対する関羽の徹底した支援、絶対的な結びつき、そうした存在を「得たい」と思わせるものが関羽にはある。
そこに関羽の人気の秘密がある。
【関羽に対する個人的意見】
「兵1万に匹敵する」と正史に表された人物、それが関羽である。
だが、歴史上、豪傑というのは往々にして最期がよくない。
非業の死を遂げることが多い。
関羽の最期は、敵将呂蒙と陸遜の計略にはまって足元をすくわれ、丸裸になったところで、部下の寝返りによりあっけなく捕らわれ斬首されてしまった。
弟分の張飛は、部下に寝首をかかれて、これまたあっけなく命を落としている。
戦場で駆け巡れば天下無敵の彼らも足元からの裏切りなどで死を遂げている。
これは現代においても、権力者が考えなければならない教訓である。
「忠臣は二君に仕えず」とは、日本の武士道に見られる武士の心得であるが、中国ではそうした武士道はないといっていい。
(儒教の教えにはあるが、中国人の気質には無いという意味)
つまり、利あれば主君を取り換え、意に反せば離反する。
それが中国における主従のありかたである。
中国の歴史を見ると、捕虜になっても、相手が仕えるに値する人物であれば、あるいは厚遇してもらえるのであれば、躊躇することなく、二君でも三君でも仕えている。
そうした中国の歴史の中にあって、義を貫き通した関羽の生涯は、他にないほどの光彩を放っている。
それが、関羽が神として祀られ、関羽のような部下(または友人)が欲しいと言わしめる理由である。
そこにあるのは、「裏切り」への軽蔑であり、「義を貫くこと」への憧れである。
関羽とは、三国志という星の数ほど英雄が出現した乱世の時代にあって、「約束を必ず守る」「決して裏切らない」「常に守護者として側にいてくれる」そんな存在への憧れを抱かせる貴重な存在なのである。
男として生まれたなら、関羽のように果てしなく強く、限りなく潔く生きたいと願うものではないか。
関羽とは、「義を守り」「死を恐れず」、どこまでも「潔く生きる」男の中の漢(おとこ)である!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。