『荊州争奪編6 ~如何にして飛び立つのか~』
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『如何にして飛び立つのか』 

前回は、領地を手にした劉備の話をしました。
今回は、小さな勢力がいかにして拡大していくのかという話をしてみたいと思います。

【魯粛と孔明の舌戦】

 魯粛(ろしゅく)は、荊州を劉備から取り戻すために荊州城にやってきました。
魯粛いわく、

「そもそも曹操は劉備を亡き者にしようと大軍を率いて江南に攻め込んでした。その危機を救ったのはわが呉軍ある。従って荊州九郡は呉のもの。それなのに横取りするとはあまりに無道なやり方ではござらぬか」

いつもの穏やかな魯粛とは違って、はっきりとものをいい、理屈を押し付けてきました。
はっきりと荊州の返却をせまったのです。

 それを聞いた孔明が口を開きます。

「なにをおっしゃる魯粛殿。荊州九郡はもともと劉表殿が治めていたのです。呉の領地でも曹操の領地でもありません。劉表殿は亡くなりましたが、ご子息の劉キ殿がおられる。わが殿は劉キ殿の叔父として甥を助けてこの地を治めているのです」

(お説ごもっともですね!)
 魯粛も食い下がります。

「しかし、劉キ殿は江夏におられて荊州にはいないはず」

ならば確かめよと孔明が言うと、やせ細って今にも死にそうな劉キが姿を現しました
まさかと思っていた魯粛は驚きを隠せません。

 間髪入れずに孔明は魯粛にとどめを刺します。

「公子(劉キ)がいる限りはわが殿がこの地を手放すことはありません。しかし、亡くなることがあれば話は別かと・・・。」

「ならばそのときは荊州を呉にお返しください」

魯粛は、これ以上の譲歩はありえないという表情で孔明をにらみます。
こうして、約束を取り付けた魯粛は一旦引き上げたのです。

 魯粛の報告を聞いた周瑜は怒りを露わにしますが、いまは魯粛の言葉を信じるしかないと判断します。
そこへ、伝令が入ります。
孫権が合ヒで曹操軍に取り囲まれ苦戦しているという報告です。
直ちに軍勢を率いて加勢に来いという軍令です。
主君の命なので周瑜も無視は出来ません。
そこで周瑜は、部下の程普(ていふ)に兵船軍勢を与えて合ヒに送り込み、自身は病気療養を理由に呉の柴桑に戻るのでした。

【馬兄弟の登場】

 周瑜率いる呉軍が引き上げたことを見極めた劉備と孔明は動きます。
まずは荊州の事情に詳しい人物を呼び荊州攻略のアドバイスをもらうことにします。
それは馬良(ばりょう)という人物です。
馬良の馬氏は荊州とくに襄陽において名士としてしられている家柄です。
馬家の五兄弟の四男が馬良で、その弟が三国志の後半で活躍する孔明の弟子の馬謖です。

 馬良のアドバイスは、まず朝廷に奏上して劉キを荊州の刺史(長官)とし、しかるのちに劉キの代理として荊州を治める。
そして、南方の零陵、武陵、桂陽、長沙の順で攻め取るのがいいだろうということです。
これには孔明も賛成しました。

 孔明はもともと荊州の襄陽にいた荊州の名士です。
荊州には知り合いが多くいます。
孔明が劉備の股肱の臣として活躍していることを見ていた荊州の名士たちに影響を与えていたのです。
孔明の推薦などもあって、荊州の名士たちがこの時期に劉備陣営に加わりました
その人物は、先程の馬良馬謖蒋エンなどです。
さらに黄忠魏延霍峻(かくしゅん)などの武将たちもこの時期に劉備陣営に加わっています。
他にもこの時期にしていることがあります。
それは軍事訓練に相当力を入れてたことです。
自らの領地を持ち兵力も増えたこともあり孔明を中心にして兵の質を高めました。

【零陵攻略戦】

 その効果はすぐに表れます。
馬良のアドバイスに従って、零陵に進軍しました。
零陵を治めていたのは劉一族の劉度でした。
その劉度のもとへ劉備軍が攻めてくるとの知らせが入ります。
劉備軍の数はそれほど多くはありませんが、なにしろ劉備軍は実戦になれた軍で百戦錬磨の武将ぞろい。それにくらべて零陵の兵は戦になれていません。
これでは零陵の劉度が適うはずがありません。
ケイ道栄という劉度の部下は、恐れを知らずに陣を敷く劉備軍の前に姿を現します。
孔明が「そなたは何者だ」と声を掛けます。
勇ましく名乗りを上げるケイ道栄を孔明は嘲笑います。

「これは驚いた。かような無名の輩にそのような大声の持ち主がいたとはな」

孔明はケイ道栄を馬鹿にしました。

 それもそのはず、曹操軍や周瑜と渡り合ってきた稀代の軍師が、相手にするような輩ではないことは見ればわかるからです。
追い打ちをかけるように孔明は告げます。

「わたしは南陽の諸葛孔明だ。大軍を率いた曹操すらわたしの策で大敗した。それでもわたしに歯向かうと申すのか」

ケイ道栄も言い返します。

「赤壁の勝利は周瑜の手柄だ。お前がなにをした? 成敗してくれる。かかってこい」

世間知らずの輩とはこのことをいうのですね。

 ケイ道栄の号令で勇ましく突撃したのはいいものの、孔明の鮮やかな陣形の前にケイ道栄率いる軍勢は翻弄されます
そのうち攻めどころが分らず迷っているところを張飛が襲い掛かります
ケイ道栄は張飛の一撃で持っていた槍を失います。
そこへ趙雲が攻めかかります。
当然のことながら捕らえられてしまいました。
劉備の前に連れてこられたケイ道栄は、先程の勇ましい態度はどこにあるのかわからないほど泣きわめき許しを請うのです。
そこで手柄を立てれば許してやるといって縄をほどいてやるのでした。
ケイ道栄は、裏切りを約束するのですが、劉備も孔明も本気で信じてはいません。

 そこで劉備と孔明は、策には策で対抗することにします。
というのも、劉備は出来るだけ血を流さず、同時に兵を失わずに零陵を取りたいと考えていたのです。
つまり、零陵城を手に入れても、民心を得られなければその後の統治が難しくなります。
劉備はすでに零陵の統治まで考えていたのです。

 こうした発想は、日本で言えば豊臣秀吉のやり方(戦い方)を思わせます。
出来るだけ戦闘を避けて、こちらの兵力を失わないようにしつつ、相手を降してその残存兵力を自軍に編成する。
そうやって勢力を拡大していくのです。
また、戦が避けられれば農民などが被害に合わずにすむ。
統治者となっても民心が離れていては、上手く政治が出来ません。
なによりも大切なことは民心を得ることだからです。

 今回の劉備たちのエピソードにある教訓は小さい勢力が如何に力をつけ、その勢力を拡大していくのか。
というヒントが隠されているのです。

 劉備陣営が行ったことは、

劉キを荊州の刺史として立てることで、荊州を統治する大義を作った
軍事訓練をして、兵の質を高めた
今後必要となる有能な人材をスカウトした
出来るだけ兵力を温存して領地を拡大していく

 ここに来てようやく劉備陣営は、ひとつの勢力と成り得たのです。
長年の浮浪の身からようやく自身の領地を持つ勢力となったのです。

 しかし、その領地は周りを敵にぐるりと囲まれている土地。
呉に周瑜ある限り、劉備の心が休まることはないでしょう。
曹操ある限り、劉備の夢は実現しないでしょう。

 

 ようやく劉備に翼が生えたようですね!

 それでも劉備と孔明たちには、安息の時間はありません。
ただ、突き進むのみです。

【今回の教訓】

「ライバルとの戦いにおいては、自らの被害をいかに少なくし、いかに相手の力を奪うか、ということを必死に考え出せ」

「新たな人材のスカウト、人材の訓練(教育)なくして発展はない」

『荊州争奪編7 ~力で攻めずに心を攻める~』

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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