まずは『中原逐鹿編9 ~決戦の勝敗を分けるもの(1)【官渡の戦い】~』をお読みください。
『決戦の勝敗を分けるもの(2)【官渡の戦い】』
今回は、官渡の戦いに見る決戦の勝敗を分ける要因の続きを話してみたいと思います。
【優勢の袁紹が負けた“不思議”=歴史の教訓】
まず初めに述べることは、「敵は外にばかりいるのではない」ということです。
官渡の戦いの結末は、ご存知のように曹操軍の勝利となりました。
歴史を学ぶなら、なぜ1/10の勢力しかない曹操軍が勝利したのか?
そこを探求しなくてはなりません。
前回は曹操と袁紹の二人の大将を比較して、曹操の智謀が優れていたから勝利を得たという話をしましたが、今回は別な角度からの分析をしてみます。
三国志を知っている方なら袁紹という人物は、ただの名門出の無能な人物と思っておられるでしょう。
たしかに乱世で大業を成せるほどの才も器もないことは、わたしも同感です。
それでも袁紹の持つ巨大な勢力は当時としては曹操の持つ力を遥かに上回っていました。
兵の数だけでなく、武将を多く抱え、知恵者の参謀も複数存在しています。
官渡の戦いで、袁紹は曹操軍に一方的に負けたわけではなく、突撃してくる曹操軍の精鋭を防ぎながら、疲弊したところで討つ作戦を取り、曹操軍の戦力の2~3割を失わせて官渡城に籠城させています。
知恵者の参謀が何人もついていますし、強者の武将たちも多いですから、簡単には曹操に負けたりしなかったのです。
そのようなことを考えると袁紹が天下を取っても不思議ではないという考えが浮かびます。
【弱者の兵法】
しかし、全ての結果には必ず原因があります。
官渡の戦いで劣勢の曹操軍が勝利したのには、理由があります。
別な角度から見れば、なぜ10倍の勢力を持つ袁紹が敗れたのか、ということです。
曹操の抱える問題点は兵力と兵糧の少なさです。
曹操が恐れるのは、虎の子の青州軍を正面の袁紹軍に張り付けにされたまま持久戦にもちこまれるとともに、別動隊や袁紹に呼応した他の勢力が曹操の拠点である許都を攻め落とすことです。
曹操は天下分け目の大戦(おおいくさ)をするつもりで出陣していますから、曹操軍の中軸となっている青州軍、つまり曹操の本陣が破れたり、本拠地が奪われたりすればすべてを失ってしまいます。
1/10という圧倒的に少ない兵力で曹操軍が戦うには、兵力を分散させずに、袁紹軍に全勢力を集結して戦闘に臨むしかありません。(=弱者の兵法)
ですから、袁紹軍が挟み撃ちや別動隊を許都に発信させれば曹操の勝てる見込みは激減します。
曹操が取るべき作戦は、全軍を動員しての各個撃破しかないのです。
【袁紹軍の抱えていた組織的要因とは?】
ドラマなどでは袁紹が直接軍を率いているように描かれていますが、袁紹軍の総司令官は沮授(そじゅ)という人物が任命されていました。
実は、袁紹軍にも問題がありました。
それは、袁紹には三人の息子たちがいましたが、このとき後継者が決まっておらず、いわゆる後継者問題が袁紹側に起こっていました。
袁紹は三男の袁尚(えんしょう)を跡継ぎに考えていたようですが、長子相続にこだわる田豊、沮授らは長男の袁譚(えんたん)を後継者にしようとしていました。
三男の袁尚には審配(さいしん)、淳于瓊(じゅんうけい)などが支持していて、内部分裂をしていたのです。
いわゆる家督問題です。
この後継者問題は歴史を見る限り頻繁に出てくることなのです。
一代で事業を築き上げた人物が次の代に事業を継承して、二代目、三代目でほころびを見せたり、倒れたりするのも、継承者の実力が足りないことと、内部での勢力抗争によって組織の力がそがれてしまうからです。
本来、一致団結して外部の敵(あるいはライバル)に立ち向わねばならないのにも関わらず、味方同士で足の引っ張り合いをしたり、非協力的な行動を取ったりして、組織が持つ本来の力を発揮できなくなるからです。
官渡の戦いの時点で、袁紹軍の組織系統は二分(もしくは三分割)されていたのです。
ですから戦において重要な情報の伝達がおろそかになったり、情報そのものが伝わらなかったりしていたのです。
さらに袁紹軍は、短期決戦を主張する袁紹、審配、郭図(かくと)と持久戦を説く田豊、沮授などで作戦の在り方で対立していました。
総司令官の沮授と最高責任者の袁紹の意見が合わず対立しているのですから、袁紹軍は数こそ多いものの大軍の力を発揮出来るはずがありません。
しまいには、沮授が指揮をサボタージュし、袁紹が沮授を総司令官から罷免し、複数いるただの司令官レベルまで引き下げてしまいます。
つまり、袁紹軍は数こそ曹操軍より勝っていますが、組織全体が一つの目標、最適な作戦、戦場における情報を共有していないため、全軍の心がまとまっていなかったのです。
一番肝心なことは、集団や組織が心を一つに出来るかどうか(=団結力)ということです。
【組織力を生かすも殺すもリーダー次第】
こうした袁紹軍のような状態が続くと、組織からの離脱者などが出てきます。
実際、参謀の許攸が戦の最中に曹操に寝返っています。
こうした後継者問題や内部が一致団結していない事態は現代の企業や組織のあちらこちらで起こっている問題です。
こうした混乱をもたらしているようでは、率いる組織が目的を果たすことは出来ません。
外にばかり目を向けて内部の統制が利かないようでは、組織を動かすことが出来ません。
ここにリーダーシップの必要性があるのです。
リーダーシップとは、一つの目標に向けて内部の気持ちを一つにして、集団を一致団結して戦わせることにあるのです。
獲物を獲得する事ばかりに熱心になって、内部抗争を放置したり、報いてくれた兵に恩賞を与えなかったり、粗末にしたりしてはダメなのです。
これをビジネス社会に当てはめれば、外のお客を獲得することばかりに熱心で、顧客獲得のためなら経費もふんだんに使うのに、社員には低い給料しか払わなかったり、社員の将来の人生設計などを考えなかったりすることと同じです。
【官渡の戦いから学ぶものとは?】
許攸の裏切りを受け入れた曹操はある貴重な情報を得ることが出来ました。
それは、袁紹軍の兵糧が烏巣(うそう)という場所に集められているという情報です。
曹操は許攸の情報を信じて烏巣を奇襲します。
袁紹軍は横の連携が取れなかったために、烏巣に応援部隊を派遣することが出来ないまま烏巣を攻められ兵糧を奪われます。
曹操は自軍の兵糧不足を補うとともに袁紹軍の補給を断つことに成功したのです。
この烏巣の奇襲が戦況に大きな影響を与えて、袁紹軍は混乱に混乱を重ねてしまい、その混乱を収めるものがいないまま全軍崩壊という事態を招いてしまったのです。
こうして、起死回生のチャンスを掴んだ曹操が大勝利を得たのが官渡の戦いです。
官渡の戦いにおける袁紹の敗北から学ぶことは、
「内部分裂を起こさないように組織の統制をしっかりと取る。」
「そのためには風通しのいい組織風土を作り上げる。」
「組織抗争が起きないように組織の理念、目標を明確にして内部で共有する。」
「人材の抜擢基準を明確にするとともに公平な登用をして、内部で嫉妬しあって足の引っ張りあいや対立を無くす。」
「組織の後継者にふさわしい実力と人格を備えた人物を大将自らが選ぶ。」
などです。
【組織を発展させるリーダーと衰退させるリーダーの違いとは?】
企業であれば、退職者の多い企業にはなんらかの問題があるはずです。
人材を消耗品のように扱っているか、待遇が悪いのか、家畜扱いするような労働時間で働かせたりしているか、パワハラまがいなことがまかり通っているか、などが考えられます。
身も蓋もないことを言えば、社員の立場からみれば、会社のために働いた報いは「給料の増額」または「ボーナスの増額」としてあるべきです。
それでこそ、“また頑張る”、というモチベーションがあがるのです。
それをケチるようなリーダーでは、社員の心は離れるばかりだと、知ったほうがいいでしょう。
経営者は、社員の頑張りに報いるために、利益を生み出す戦略的事業構造をつくりだすことです。
それこそリーダーの役割(仕事)です。
いずれにしても「人は将来の見えないリーダーや組織から離れていくのが世の常」なのです。
そういった意味では曹操は頼りになるリーダーであることは間違いないでしょう。
ライバルの袁紹はリーダーとしての実力と器に問題がありました。
戦というものは敵に敗れるばかりでなく、内部から崩れてしまって負けに至ることが非常に多いものなのです。
よって、敵と戦う前に内部をしっかりと固めなくてはならないのです。
その出発点は、リーダーが己自身を良く見つめ、己の弱点を良く知り、己の欲と戦うことです。
決戦の勝敗を分けるもの、それは「組織(集団)をまとめ上げ、組織が持っている力以上の力を発揮させるリーダーシップ」にあるのです。
【今回の教訓】
「ライバルと戦う前に、組織の人心をまず掴め」
「禍は内部にあり。ビジネスにおいては社員の待遇とモチベーションを大事にする」
「リーダーの役割は、集団の心を一つにすること」
『中原逐鹿編11 ~冴えわたる曹操の智謀(河北平定)~』につづく。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。