『群雄割拠編5 ~駄目リーダーと良きリーダーの違い~』
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『駄目リーダーと良きリーダーの違い』

今回は「リーダーの資質の違い」について語ります。

袁紹と曹操の差

反董卓連合軍が集結したため、危機を感じた董卓は無理やり長安に遷都することにします。そのとき遷都に反対する者を殺し、洛陽城に火をつけ、軍資金を補うために裕福な家を襲って金品を奪い、さらに皇族の墓を暴いて埋葬されていた金宝を奪っています。
略奪軍となった董卓の軍勢は妻女を姦淫し、食料を奪い尽くし、殺戮の限りを尽くします。

これを現代で誰かがやったらどうでしょう?
ヒトラーよりも酷いかも!
まさに地獄絵図そのものですよね。
中国の歴史を学ぶと、こうした略奪、姦淫、殺戮などが動乱のときにたくさん起こっているのです。

曹操は選択に迫られます。
廃墟と化した都を鎮圧するか、天子を保護するのか、ということです。

曹操は考えます。
洛陽(都)はもはや無用の長物。
しかし、天子は宝。
曹操は、天子を先に保護すれば出世の道が開けると見て取ったのです。
それを足掛かりとして大業(天下平定)を成そうと考えたのです。
いわば董卓が天子(漢の皇帝)を立てて、影の実力者となったことを、今度は自分が成そうとしたのです。
そうしたことを他のライバルたちよりも先に思いつき一早く行動することができる人物ゆえに、曹操は、後に中原を抑えることにつながっていくのです。

この、発想の鋭さ行動力が曹操の持ち味です。
このような点で、曹操は三国志に登場する英雄たちの中でもずば抜けています。

現代でもベンチャー起業などでは、経営のアイディアと方向性、そして素早い判断力が大きな企業と闘うための武器になります。
やはり、ものごとのすべてに共通することを「中心を抑える」「ここを抑えたら勝利の道が開ける」というポイントを一早く見つけて抑えるということが勝敗を分けるのです。
曹操という男は兵法に長けていたのです。

:中原とは、黄河流域と揚子江流域の間に挟まれた地域のことで、古くから漢民族の中心の場所であったのです。

しかし、董卓を追った曹操でしたが、呂布の待ち伏せにあって騎兵を半分失い敗戦するのです。
命からがら連合軍と合流した曹操ですが、そこで袁紹に「貴様のような匹夫とは縁を切る」と、啖呵を切ります。いままで三度くらい董卓を倒すチャンスがあったにも関わらず、袁紹はその優柔不断さでそのチャンスを逃がしてきたからです。

チャンスの女神は前髪しかないと言います。チャンスの女神が通り過ぎてから手を伸ばしても、遅いということです。
機を見るに敏である。
つまり、チャンスを一早く認識し行動に移すことがリーダーの存在意味なのです。

それは現代のビジネス戦争においても、スポーツなどの競技においても同じ事が言えます。
いまがチャンスだ。いまが勝利のときだと認識できないようでは良きリーダーではありません。

曹操が董卓を追っていた時に、連合軍(袁紹ら)は宴会を開き私腹を肥やしていた。もし、連合軍が全軍で董卓軍に向かって行ったら勝利できたはずだと曹操は思ったのです。

【現代に通じるリーダーの愚かな姿】

これは大きな組織には必ずついてまわる問題です。
つまり、セクショナリズムに陥って、それはうちの部所の仕事ではない、などと言って組織全体の利益や目的よりも自分たちの小さな利益や都合を優先する考えや習慣です。
他人が手柄を立てることに嫉妬する心理もあります。

役所と呼ばれる組織はそうしたことが深く風土として根付いているし、歴史のある大企業も何十年も経つに従って、そうした傾向が出てきます。
すると、必ず業績は傾くのです。(役所は別)
そこに中興の祖のような改革者が現れなければ、じり貧になり、やがて倒産にいたります。

国家の存亡も、会社の発展衰退も同じ原理が働いているのです。
そして、そのキーマンがリーダーなのです。

一方、灰になった洛陽に入った孫堅ですが、そこで思わぬ収穫がありました。
いわゆる伝玉璽(皇帝が持つ印鑑、つまり皇帝の証)を手にするのです。
部下からは、玉璽を手に入れたから孫堅が天下に号令できると言われます。

:江東の孫堅は、『孫子の兵法』で有名な孫武の子孫と言われています。(詳しくは『孫堅伝』にて)

しかし、袁紹が援軍を送らなかったことで大敗をしていたため、孫堅も自らの地盤である江東の地(揚子江以南の地)に引き上げます。
これで、曹操、劉備、孫堅らいわゆる後に三国志の中心メンバーたちが袁紹から離れるのです。

曹操は、孫堅に『伝国璽』を持っているのかと尋ねますが、孫堅は答えません。
そんな孫堅に曹操は言います。「伝国璽は福ではなく、災いの種だ」と。
しかし、孫堅は伝国璽を密かに持ち帰ります。
嘘か本当か、曹操の忠告は後に当たってしまいます。

伝国璽を宝と見た孫堅と、天子を得ることが大事と見た曹操、二人はこの先天下取りに大きな差が開いていきます。
何を大事と見るか。これがリーダーの資質です

孫堅と曹操の違いはやがて大きな差となって歴史に刻まれます。

会社で言えば、お客様の満足を何よりも優先させるか。
そうはいっても実はコスト削減を優先してしまうのか。
社員の満足は二の次にして会社の利益最優先にするのか。
幹部が自分の出世のことを最優先に考えているのか。
すべてはリーダー次第です。

江東に引き上げる孫堅から伝国璽を奪おうと袁術が荊州の劉表を動かし、帰路に着こうとする孫堅軍を待ち伏せして攻撃します。
反撃のため劉表の領地にある襄陽城を攻撃しますが、城攻めの最中に命を失います。
享年37歳といいますから、ずいぶん若いですね。

もし、この孫堅(孫権の父)が長生きしたら、三国志はどうなっていたのか、見てみたかったです。
これら英雄たちから見放された袁紹は駄目リーダーのお手本みたいな人です。
名門の出を誇って実力もないのにプライドを肥大化させ人を見下す。
私腹を肥やす。
優柔不断である。
人物を肩書でしか見ることが出来ない。
人をすぐに疑う。
(これじゃあ~ダメだな~)

かくして、連合軍は拡散して、英雄たちは散り散りとなってしまうのです。

【今回の教訓】

「曹操は天子を保護したことで一早く天下に号令できたが、都を鎮圧し民を救わなかったから後世の人たちから嫌われた」

「何を大事と見るのかが、リーダーの資質」

『群雄割拠編6 ~究極のパワハラ~』に続く。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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