『中原逐鹿編4 ~チャンスを逃すな!~』
Pocket

『チャンスを逃すな!』

今回は、チャンスを見逃さずにチャンスを作り出すということについて話してみたいと思います。

【皇帝の屈辱】

かくして曹操暗殺計画は失敗に終わりましたが、皇帝(献帝)の立場に立ってみれば、自分の妻(妃)が臣下の手によって殺されてしまったのですから、その悲しみと憤りはいかほどか想像がつきません。
しかも、そのときお腹の中には子供がいたのですから、妻だけでなく子供まで殺されたことになります。

もしあなたが献帝と同じことを経験したらどういう気持ちになるでしょうか?
私ならその人物を殺してやりたいと思います。

本来、皇帝とは広い天下で代わる者がいないほど高貴で最高の権力をもつ立場を意味しています。なのに、後漢の献帝はなんの権力もなく、曹操のすることに口ごたえひとつ出来ずに、ただ言いなりになるしかなかったのです。
その鬱積したものを吐き出すように密かに暗殺計画を立てたのにも関わらず失敗に終わってしまったのです。
その失敗の代償はあまりにも大きかったと言えます。

これは当時の後漢王朝の衰退を物語っていると同時に、新たな権力者が誰であるのかということを明白に語っているエピソードです。
こうしたことが起こる王朝の末路は歴史を見る限り衰退、そして滅亡しかありません。

さらに悲劇なのは、妻(妃)を失った献帝に、こともあろうか曹操は自分の娘を献帝の後妻(皇后)にしてしまうのですから、厚かましいにもほどがあります。
身内の仇の娘を妻に迎えなければならない屈辱はどんなものでしょう。
このときの皇帝の心は恐怖と絶望に支配されていたことでしょう。

【新たな権力者の台頭】

私が思う英雄像は、他人に希望を与えられる人物であることだと思っています。
ですからこの一件を取り上げてみても曹操は、私が考える英雄像から大きく外れることとなります。
(これでは、人気がでないのも当然です!)

それにしても曹操とは転んでもただでは起きない男ですね。
暗殺計画の一件で董承の娘、皇帝の妃を処刑して自分の娘を皇后にしてしまうなんて、曹操からすれば一石二鳥です。
これで曹操は皇帝の親族、義理の父の立場に立つことになります。
それは増々権力を持つことを意味します。
曹操、食えぬ男です。

暗殺計画を未然に防いだ曹操は、劉備を打つべく徐州に大軍を率いて出陣します。
あ~劉備、危うし!!

曹操の思惑は、袁紹との決戦に向いています。
ですが、曹操軍を上回る勢力を持つ袁紹にいきなり決戦を挑むのではなく、まずは袁紹と結託しようとする劉備を襲い、その徐州を奪う。
それによって袁紹の勢力拡大を防ぎ、自らの兵力を増やすことが狙いです。
それと、目障りな劉備をこの機会に一気に倒してしまおうと考えたのでしょう。
曹操が天下統一をはっきり意識しだした時期でもあります。

曹操としてみれば、たかだか徐州しか持っていない劉備であり、数万の大軍を擁する曹操からすれば蟻と巨象の差くらいにしか思っていなかったでしょう。

一方、劉備は数倍の兵力を持つ曹操軍に城を攻められても、怖気づくことなく逃げることなく、決戦を挑もうとするのですから、勇ましいこと限りないです。
劉備は謙虚な人のように見られていますが、男気と勇気は三国志に登場するどんな武人にも劣りません。
まさに武の人なのです。
劉備としてみれば、皇帝との密約がありますから、なんとしても曹操を倒さなければならないと固く信じているのです。

この時期の曹操の心配は、袁紹が劉備に呼応して、許都を攻めることです。
劉備とすれば、袁紹が必ず動いてくれるものと信じていたのでしょう。

劉備は、徐州城に迫った曹操に対峙してこう言い放ちます。

「そなたは人としての道を学ぶべきである」

「董貴妃殺害など論外だ」

「自らの娘を中宮(皇帝の妃)にするなど獣にも劣る蛮行」と。

それに腹を立てた曹操は「本気でやる気か」と劉備を脅します。
劉備は「命を懸けて戦う」と答えます。

【チャンスを逃した袁紹】

そのころ劉備の指示で袁紹の元に行った部下のビ芳は参謀の許攸に援軍の要請をします。
しかし、そのとき袁紹の息子が病に倒れていました。
許攸が劉備からの援軍要請があったことを袁紹に告げます。
都の許都が空になっているから、今が攻めるチャンスだと出陣を進めるのです。
許攸は、大軍を出兵させて奇襲をかければ天下が手に入ると説得します。
ですが、袁紹は子供のことが気になってしまい戦どころではないという心境になっています。
許攸は、こんなチャンスは二度と巡ってはこないと必死に説得しますが、袁紹は子供の病気のことが気にかかり、心が乱れて動転しているから戦どころではないと返答します。

参謀の許攸は大いに落胆し、袁紹に失望しました。
許攸は「前代未聞の愚かな君主だ」とあまりの落胆ぶりに叫んでしまいます。
それを聞いた袁紹は、許攸に棒叩き20回の刑を与えます。
(なんということを!)

これで袁紹は、天下取りの大チャンスを逃したことになります。
やはり、どんな人物(上司やリーダー)に仕えるかということは大事です。
袁紹のような肩書ばかりを重んじて、そのくせいざというときに優柔不断さを見せるような人物の下にいたのでは報われません。あなたのそばにもいませんか?

息子が病気になって心配しない親はいないでしょう。
しかし、天下を狙う覇気があるなら、あるいは大きな組織を束ねる立場についているならば、組織の命運を決める大事なときに私的な理由で判断したり行動したりしてはいけません。

立場がある人は、私的な理由よりも公的な立場で行動しなくてはならないのです。

袁紹は、腕の立つ医者をつけ、信頼できる部下をつけ、そして出陣すれば良かったのです。

逃したチャンスは二度と戻っては来ません

【劉備、惨敗!】

劉備は、徐州城で曹操軍と激しい攻防を続けていました。
始めから戦力で劣る劉備軍は大軍の曹操には勝てないことはわかっていましたが、唯一の希望が袁紹の勢力でした。
袁紹が出陣して、曹操の背後をついてくれるのを期待していればこそ、それまで城を持ちこたえさせれば曹操を追い込めると信じて戦っていたのです。
袁紹は、自らの天下取りの大チャンスを逃したのみならず、劉備を窮地に追い込んでしまったのです。

大勢の犠牲を出しながらなんとか持ちこたえていた劉備のもとにビ芳が帰還します。
劉備は、ビ芳から袁紹が出陣しないことを知らされます。
この時の劉備には、絶望の二文字が浮かんだことでしょう。
しかも、理由が息子の病でとは、おおいにあきれたことでしょう。

しかし、劉備はビ芳の報告を聴いていて、あることに気が付きました。
徐州城は曹操軍に包囲されていたはず。
なのに、ビ芳はどうやって城に入ったのか? ということです。
そのことをビ芳に尋ねると、曹操軍の野営は遠くにあり、城の周りは死体しかなかったといいます。
援軍を頼りすることが出来なくなった劉備は、独力で曹操軍を倒すしかなくなったのです。
その話を聞いた劉備は、曹操軍に対して夜襲をすることにします。
曹操軍も犠牲を出し、兵を休ませるために野営地を引いたのであろうと予想したのです。
そこへ奇襲攻撃を加えようと考えたのです。
劉備の考えたことが当たっていれば、夜襲も成功したでしょう。
しかし、相手は曹操です。
曹操といえば兵法に長けている人物です。
さらに、参謀がその周りを固めているのです。
果たして劉備の読みは当たるのか?

実は、曹操は徐州城の守りが固いことを見て取って、わざと野営地を下げて、死体をわざと城の周りに置き捨てて、曹操軍が疲弊しているかに見せていたのです。
やはり、謀(策略)においては、劉備は曹操の足元にもおよばないのです。
戦の実力では劉備よりも曹操の方が何枚も上手だったのです。

古来、城攻めは攻めるほうに犠牲が多くなり、城を攻めるほうが不利なのです。
これは、豊臣を亡ぼした徳川家康が行った戦でもその戦法を使っています。
家康という人物は、野戦は得意なのですが、城攻めは苦手なのです。
しかも、大阪城は秀吉が造った天下の名城、簡単には落とせません。
ですから、冬の陣で和睦を持ち掛け、堀を埋めてしまい、大阪城を裸同然の状態にしておいて、夏の陣に持ち込みます。
これで大阪勢が籠城作戦を取れなくして、野戦に出るしかないようにしたのです。

同じではありませんが、曹操も城攻めの不利を感じて、劉備を城の外におびき出す罠を掛けたのです。
曹操という男の凄さは、自らが兵法を用いることも語ることも出来るに、多くの知恵ある参謀を使いこなすところです。

夜襲に出た劉備でしたが、曹操がいるはずの帷幕に入っても曹操の姿がありません。
ここでやっと曹操に騙されたことに気が付きます。
急ぎ撤退をしますが、曹操旗下の武将たちに囲まれてしまします。
張飛などが必死に劉備を守るために奮闘します。
劉備は命からがら逃げるしかありませんでした。
しつこく追ってくる敵の手から必死に逃げ延びて、ついに馬も過労で死にます。

後悔先ならず!

劉備は、自らの失敗に恥じました。
結局、劉備、張飛は散り散りとなり、関羽ともはぐれてしまいます。
劉備の惨敗でした。

あ~孔明よ、早く出てこい!

【劉備に不足するものとは?】

兵法、戦の謀では劉備は曹操には太刀打ち出来ないことがはっきりとしました。
そうです、人情に厚く豪傑関羽、張飛、趙雲を従えてはいますが、劉備にひとつ他の勢力と比べて大きく引けを取っているのが、実は「知略」の不足なのです。

チャンスを読み、チャンスを作り出すには「知恵」が必要なのです。

誰の人生でも、一度くらいは何らかのチャンスが訪れます。
そのときにチャンスと認識できるかどうか。
そのチャンスを掴むために勇ましく行動出来るかどうか。
チャンスとピンチを見誤らずに判断出来るかどうか。
こうしたことは知恵が必要です。

歴史というのはそういった知恵を学ぶには事欠きません。
歴史という物語の中には数知れず知恵が入っています。
その知恵を読み解き自分の人生に生かす。
それが歴史を学ぶということです。

【今回の教訓】

「チャンスの女神は、優柔不断を嫌う」

「チャンスの女神は、賢さを好む」

「チャンスの女神には後ろ髪はない」

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

おすすめの記事