『中原逐鹿編3 ~曹操の憂鬱~』
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『曹操の憂鬱』

今回は、曹操の三つの憂いについて話をします。

【劉備の男気が輝きだす】

曹操は、劉備を野に解き放ったことの間違いに気がつき、張遼許ちょ(仲康)を派遣して劉備を連れ戻そうとします。
劉備は、献帝の曹操に対する密約を胸に秘めていますから、簡単に「はい、そうですか」とは言いません。
劉備は、張遼たちに、こう言い放ちます。

「将、外にあっては君命受けざるところあり」

つまり、命を受けて一度戦場に赴いた将軍は、戦場から遠く離れた君主の指示に従わなくてもよい。戦場の状況は千変万化するので現場の将(リーダー)の判断が最優先するということです。
これは孫子の兵法に書かれていることです。
劉備も一応、兵法は学んでいたのかな?

張遼たちは、仕方なく許都に帰還するのですが、その報告を聞いた曹操は痩せ我慢ともとられるセリフを吐きます。

「疑わしきは使わず。使うものは疑わずが、わしの信念だ」

そうです、このときの曹操は、劉備さえも自らの手中に収めようとしていたのです。
劉備と関羽、張飛、趙雲などの勢力を出来うるならば自らの配下にしようと思っていたのです。
事実、袁術討伐の名目で劉備に兵馬を与えましたが、監視役の部下はちゃんと付けてあります。
曹操という男は懐が深い人物だと言えます。
清濁併せ飲んで人材を求めようとするその姿は天下人の資格があるとも言えます。

しかし、劉備としてみれば、すでに曹操との対決を胸に秘めていますから、曹操に従う気なんてさらさらありません。
このあたりから劉備がたくましくなっているように感じられます。
それまでは、その他の武将たちに多少引け目を感じつつ、遠慮気味に振舞っていたのですが、献帝と心を通わせたあたりから劉備の男気が輝き始めます。
(よっ、いいぞ~!)

【袁術の最後】

さてさて、袁術が河北へ移動中だとの情報を掴んだ劉備は好機とみて袁術の軍勢に襲い掛かります。
迎え撃つ袁術側はさんざんに打ち負かされて総崩れになります。
袁術は江亭という場所に避難しますが、折しも季節は六月の初夏を向かえていました。
食料はおろか水が底をつき、兵たちは飢えます。
袁術も喉が渇いてたまらないから蜂蜜をくれと要求しますが、配下のものは“血の水”しかないと言います。
だいたい、こんなときに自分のことしか考えないリーダーだからこのような結末になるのです。
結局、袁術は大量の血を吐き息絶えます。
憐れ!

一見成功したかに見えた人物が最後に追い落とされたり、地位や名誉を手にして栄華に酔いしれていたところに事件や不正が発覚したりして、その業績や人望が地に落ちることは現代においてもよく起きています。
歴史を学ぶことの意味は、ここにあります。
要するに、人間のやることは時代が変わっても違いはないのです。
ですから、過去の歴史における出来事の中から現代に生きる自分たちの知恵になることを抽出して学ぶことは大切なのです。

【曹操、3つの憂い】

劉備は、袁術を破った後、徐州へ進軍します。
徐州は曹操の支配下にあり、部下の車冑(しゃちゅう)が守っていました。
そこで劉備は作戦を考えます。
夜襲を掛けるのです。
劉備は曹操から五万の兵馬を与えられていましたから、曹操軍の軍旗を所持していました。
その曹操の旗印を夜陰に城門で見せることで、味方が来たと思わせて城門を開けさせたのです。
城門が開いてしまえば、あとは関羽、張飛などが大暴れです。
見事、徐州城を奪還します。

さらに劉備は袁紹に密書を送り、袁紹と同盟を結ぶことにします。
劉備の腹積もりはひとつです。
そう、漢王室をないがしろにする曹操を取り除くことです。
だんだん、三国志きっての大戦が近づいてきました~!

この時期の曹操には三つの憂いがありました。
ひとつは、もうお分かりの劉備の存在です。
劉備に対しては、どうやら見積もりを誤ったようです。
出来るならば自分のコントロール下に置きたいという思惑は外れます。

もう一つは、最大勢力を保っている袁紹の存在です。
曹操は漢王室の丞相という立場に立っていますが、領土と兵力は袁紹のほうが上回っています。
人材も袁紹の元には参謀、武将などがたくさんいます。
袁紹は参謀たちの意見を聞き最終的に曹操と対決することに決めます。
そこで配下の陳琳(ちんりん)に檄文を書かせて、各地に布告します。

その檄文を呼んだ曹操は「まさに名文だ。勢いと気概がある」と陳琳を称賛します。
そばにいた息子の曹植と曹仁(臣下)に読んでみよと渡すほどでした。
内容は宦官の子孫である曹操を愚弄した内容なのです。

「この檄文は十万の兵に匹敵する」

と、称賛の嵐です。
自分を愚弄した文章を読んだら普通の人は怒ります。
名文だろうとなんだろうと、そんなことより内容に腹を立てます。
しかし、そこが曹操の曹操たる所以です。
陳琳の檄文から文才心意気を感じ取ったのです。
曹操はそこまで他人の才能に敏感な人物だったのです。
それは、見事と言わざるを得ないほどです。

徐州を得た劉備は曹操の攻撃に備えて夫人らの家族を下ひ城に移し関羽に守らせ、徐州城は孫乾らに任せ、自らは張飛と共に小沛に立てこもりました。
そのころ都の許都では、曹操が持病の頭痛に苦しんでいました。
曹操暗殺計画の首謀者董承は、王室の医師である吉平と友人関係にありました。
曹操は持病の頭痛が起きると、いつも吉平を呼んで薬を処方させていました。
そのことを知った董承は、医師の吉平と二人で曹操暗殺の計画を密談します。
しかし、ここで思いもよらぬことが起きてしまいます。
二人の密談を盗み聞きした下僕の慶童が董承の妾に手をかけていたことが発覚し、董承は慶童に棒打ちの罰を与えます。
慶童はそのことを恨みに思い、曹操の元へ行き、密談のことを告げてしまいます。
(これだから、人の恨みを買ってはいけないのです。)

ですが、董承は下僕の慶童が行方知れずになり、曹操に密告したことを知りません。
そんなとき曹操から頭痛が起きたからと吉平が呼ばれます。
いつものように煎じ薬を処方しているように見せかけ、曹操の眼を盗んで毒を混ぜます。
そして曹操に飲ませようとしますが、曹操はそれに口をつけることなく、「お前が先に飲んでみろ」と言います。
(お~恐ろしや~!)

曹操は暗殺の危機から脱したのです。
このようなも成功したり勝利したりするには必要です。
運も実力のうち、とは良く言ったものです。

暗殺計画を察した曹操は吉平を拷問し、董承を捕えます。
董承は処刑され、それでも怒りが収まらない曹操は、董承の娘で献帝の側室の董貴妃を絞首刑にします。
このとき董貴妃は献帝の子を身籠っていたというから、なんとも酷いことです。
さらに一族郎党老若男女をことごとく処刑し、その数は七百人に及んだと言います。
このような蛮行が曹操にはときおり見られます。
ですから、奸雄と呼ばれるのです。

そう、三つ目の憂いは暗殺の危機です。
かつて董卓を暗殺しようと企んだ経験がある曹操は、自らが董卓と同じ立場にたったことで、暗殺の危機を感じていたのでしょう。
自分がしたことを他人がするかもしれないと。
曹操という人物は、謀(はかりごと)を巡らし人材を使い、天下に号令するほどの力を手にしても、慎重さを同時に持っているのです。
大胆さと繊細さの相反する能力を持っているのです。
これはまさしく歴史の中の巨人です。
そして曹操は今後もこの運の良さで生き延びるのです。

どうやら、大志を抱き、ようやく軌道に乗ったばかりの零細企業の劉備歴史ある大企業(大手)を率いる袁紹が組んで、新進気鋭で昇り調子のベンチャー企業の曹操と対決する日が近づいてきたようです。

【今回の教訓】

「他人は自分の思う通りには動いてくれない」

「悩みには今すぐ解決しないものもある。それを憂いても仕方がない」

「運も実力の内。運を味方につけよう」

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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