『群雄割拠編3 ~乱世の人物評価~』
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『乱世の人物評価』

いつの時代でも難しいものは人物評価でしょう。

【曹操陣営が勢力拡大した理由】

故郷に帰った曹操が行ったことは、軍資金をかき集め(父の曹嵩が出したと言われている)、全国の豪勇たちに董卓打倒の檄文を飛ばしたこと。
すると不思議なことに各地から実力者たちが続々と訪れるのです。
楽進、李典、夏侯惇、夏侯淵。
強者揃いです。

どうしてこんなに曹操のもとへ英雄たちが慕ってくるのでしょうか?
三国志のなかでもやはり人材の数が抜きんでているのが曹操陣営なのです。
曹操が中原を抑え、天下統一に一番乗り出きたのも多くの逸材が揃ったからこそです。
すべての事業の基礎は「人材」なのです。

さて、董卓討伐のため十八鎮諸侯(各地の太守や英傑たち)が集まります。
そこで反董卓連合軍の盟主を選ぶことになるのですが、名家の生まれである袁紹が押し上げられるのです。
乱世の中にあっても、「家柄」という価値基準が働いているのです。

もしも、ここで曹操が盟主に選ばれていたら後の「官渡の戦い」はなかったかもしれません。袁紹、袁術も従え、董卓討伐後いち早く天下人に成り上がったかもしれません。

:「官渡の戦い」は、曹操と袁紹の大軍が激突した天下分け目の大戦。

『三国志 Three Kingdoms』では、劉備たち三兄弟がこの集まりにやってくるのですが、門前払いをくらいそうになります。そこをたまたま通りかかった曹操の機転で陣中に入ることが出来るのです。
しかし、すでに名の知れた曹操のことは袁紹やほかの諸侯は歓迎するのですが、劉備たちのことは無視します。
劉備たちが名乗りを上げますが、爵位や仕事などを聞かれますが、馬鹿にされ笑われてしまいます。
義軍に参加する前、劉備はムシロ売り(草履売りとも言われている)、関羽は門番(豆売りという話もある)、張飛は肉売りの仕事をしていたと答えたからです。
仲間に入れてもらえたのは劉備が漢室の末裔だと伝えたからでした。

乱世といえば下克上。実力がものをいい、実力あるものが出世するという世の中のように思えますが、三国志のような激動の時代でも、身分や家柄、その時の役職(地位)などで人物を評価する風潮が幅を聞かせているのです。
誰が十八鎮諸侯を率いて董卓を破るのにふさわしい将の器があるかを考えるべきではないでしょうか。実力主義で選ぶべきではないでしょうか。
(ただ、その当時に実力で判定しようとすれば、連合軍の中に争いが起きて、場合によっては連合そのものが決裂した可能性もあります)

【人材こそ組織発展の要】

いつの時代でも、難しいことは、人物を見かけとか肩書とかでなく、その内面を評価することです。

志の強さであるとか、誠実さ、清らかさ、義の心などを人物の判定基準の中心にできるひとは、なかなかいないのではないでしょうか?

聞いた話ですが、ある会社の人事部が採用試験で落とした人物がライバル会社の社長になったらしいです。将来、ライバル会社の社長になるような人材を面接で落とすのですから、見る目のない人事といえるでしょう。
しかし、現実の人事の世界で起きていることは、採用する人事部の人より、あるいは、その会社の幹部より才能(実力)があると思われるような異質な人は落とされるということです。(そうでない会社もあります)
人間の嫉妬心のなせる業ですね。
将来、幹部である自分の存在を脅かす人物はいらない。自分の(会社の)言うことを黙って聞くような人物を採用するということでしょう。(嘆かわしい~!)
戦国の世も、太平の世も本質的なことは変わらないのかもしれませんね。

かくして、反董卓連合軍と董卓率いる西涼軍の間で、「汜水関の戦い」が始まります。
先鋒として出陣した孫堅(のちの呉の孫権の父)軍は奮闘するのですが、袁術が兵糧を送らなかったため、戦闘不能になり江東の地に引き上げてしまいました。
さらに、董卓軍の豪傑華雄という武将が次々と反董卓連合軍の武将を打ち取ってしまうのです。しまいには誰も怖気づいて華雄に立ち向かおうとはしなくなります。
そこへ名乗り出たのが関羽でした。

しかし、当時の関羽の肩書は「馬弓手」で、とても低い身分だったので、袁術らに「たかが馬弓手の分際で偉そうに言うな」とバカにされます。
それを取り次いだのが曹操です。
関羽は景気づけに温かい酒を注がれますが、酒に手を付けず出陣します。関羽はその酒がまだ冷めないうちに華雄を打ち取ってくるのです。
(さすが豪傑関羽。どんだけ強いんだ~!)

ちなみに中国では関羽は神様としてまつられています。戦の神商売の神として民間信仰があるのです。
日本にはないようです。(中華料理のお店に行ったときによく店内を見てみてください。関羽像やお札などがあるお店が結構あります。)

関羽が華雄を打ち取った褒美に兵糧をもらうはずだったのですが、袁術は劉備たちが低い身分であることを理由に約束の兵糧をなかなか渡しませんでした。そこで劉備は、曹操を頼って兵糧を得ることが出来たのです。
(袁術のやつ、いじきたね~)

あなたのそばにもいませんか?
同じ組織に属しているのに足を引っ張るやつが?
嫉妬して意地悪をしてくるひとが?

袁術というやつはそういうやつだったのです。
孫堅に兵糧を送らなかったのも、劉備に兵糧を渋ったのも、彼らが手柄を立ててその勢力が拡大するのを恐れたからです。
悲しいかな、こうした人物はいますよね!
そして、そんな器の小さすぎる人物が親の後を継いだとか、ゴマすりや処世術で出世することがあります。

曹操という人物は劉備と出会って間もない時から劉備が英雄となることを見抜いていたようです。
ここが曹操の優れたところです。
曹操の特質の一番優れたところは、才能や人物を見抜き、誰よりも人材を強く求めたところです。
だからこそ曹操のところには雲霞の如く人材が集まったのです。

現代でも会社や組織を率いるには、同じことが言えるのではないでしょうか。

会社や組織を発展繁栄させたいなら、人材を集める。
人材を集めるなら、人材を強く求める。
人材を強く求めるなら、人材を見抜く。
人材を見抜くときに、先入観や表面で判断せずに、その人間の本質を見る

それが大切です。

曹操が大事にしていたことは、権力でも、領地を占領することでも、兵力を増強することでもなく、大事を成すための有能な人物を集めることであったのです。

若いからとか、女性だからとか、学歴が低いからとか、ブ男だからとか、家柄が良くないとか、田舎者だからとか、三流の大学出身だからとか、齢をとっているからとか、そんな視点だけでしか人間を見られないとしたら、いつか裸の王様になってしまうでしょう。
やはり、その人の持っている志、才能、人格(性格)に焦点を当てるべきではないでしょうか?

なお、正史では「汜水関の戦い」の記述はないようです。
「三国志演義」の中で作られたフィクションだという説がありますが、私としたら、それじゃあ三国志が面白くない。そう思います。
正史に残っていなくても、それらしき合戦があったと思いたいです。

【今回の教訓】

「肩書や出自にこだわる人は、真の人材を得ることができない」

「実力を見抜き、才能を生かすリーダーこそが組織を拡大できる」

『群雄割拠編4 ~活躍する劉備たち三兄弟~』に続く。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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