『関羽伝3 ~関羽の魅力~』
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【関羽の魅力とは?】

関羽の魅力を紐解いてみると、以下の3つに集約できる。

「圧倒的な強さ(卓越した武勇)」
「義に篤い」
「忠誠心が半端なく強い」

《圧倒的な武力》

圧倒的な武力。
これは語るまでもないだろう。

関羽は戦で負けたことはない。
負けたことがない、というのは戦闘においてという意味である。
計略においては負けている。
天下三分の計成就のために魏討伐の北上を開始するが、魏と呉の連携に敗北したのは外交と計略による敗北であって、戦闘による敗北ではない。

三国志には、武勇優れた武将が数多の如く登場するが、関羽はその中でも1、2を争う武力を持っている。

「強さ」とは、人間が憧れと敬意を持つ要素である。
特に男性ならば、「強くありたい」と願うものである。
それはヒーロー像と結びついているからだ。
弱い正義のヒーローなど魅力もなく、存在しないからだ。

関羽の天下無双の「強さ」がヒーローに憧れる心をくすぐり、自分もそうありたいと願うのだ。

《義に生き、義に死す》

関羽が終生仕えた劉備という人物は若いときに苦労し、界隈では遊侠の徒の交わりを深めている。
そうした連中と交際しているうちに劉備は若い連中から兄貴分に立てられるようになった。
関羽と張飛は、そうした遊侠の徒である劉備を慕って集まってきた「年少(若者)」だったのだ。
遊侠の徒を結び付けているのは「遊侠の絆」である。

遊侠の行動原理とは?

「ひとたび約束したことは必ず守る」
「行動は常に果敢」
「いったん引き受けたことは最後までやり遂げる」
「身命を惜しまず人の危機を救う」
「命を捨てて事にあたりながら、その能力を鼻にかけたり、人に恩をきせることを潔しとしない」

遊侠の徒は、一介の庶民でありながら、恩は必ず報い、引き受けたことは必ずやり遂げて、固く義理を守り、そのためには死をもおそれずに世評をも顧みない。
関羽の根本的な発想と行動原理は、そこからきている。

遊侠の徒の原理が美しく輝くとき、そこに「義」が生まれる

《半端ない忠誠心》

劉備、関羽、張飛の3人が「桃園の契り」を結んだとしているのは『三国志演義』の記述であるが、正史にはない

だが、形影あい従うがごとく主君(劉備)に従い、終生忠節を尽くし抜いた。
ただただ打算なく、個人の利益を一切抜きにして、生涯を主君に捧げ尽くした。
それが関羽の最大の魅力である。

昔の中国で子弟教育の古典とされた『小学』の内篇には次のような格言がある。

「忠臣は二君に事(つか)えず、烈女は二夫を更(あらた)めず」

意味は、

「忠義な臣下は二人の主君に仕えることはしないし、貞節な婦人は二人の夫にまみえることはない」

こうした儒教の考えは日本においても大きな影響を与えた。
この精神は日本の武士道とも相通じる精神である。

ちなみに三国志のなかで主君を換えた人物は、

魏:荀彧、張遼、張コウ、許攸、毛カイ、孟達など。
蜀:趙雲、黄忠、馬超、姜維、黄権、法正、龐統など。
呉:太史慈、周泰、蒋欽など。

これらの人物たちの多くは捕虜になったときに敵の主君から声をかけられたとか、縄を手ずからほどいてくれたとか、酒席に呼んでくれたとか、高禄を示されたとか、そういった理由に感激して再奉公を誓っている。
だが、この時代、唯一なにをもってしても靡(なび)かない漢(おとこ)がいた
天下の曹操がどれだけ厚遇しても、忠義を曲げようとしなかった漢がいた。
それが関羽という漢である。

ちなみに陸遜と呂蒙の計略に敗れて捕らわれたとき、孫権から勧誘されている。
だが、関羽はここでもそれを拒絶して、首を斬られている。
関羽は、どんなに利益をちらつかせても、自分の命が助かる方法があっても、忠節を曲げない漢なのだ。
誇りと恥を知る漢なのだ。
たとえ敗れたとしても、その忠義をつらぬいた姿はすがすがしく神々しい

【関羽の嫉妬】

劉備が荊州の劉表のもとで不遇をかこっていたときのことである。
劉備は運命的な人物との出会いを果たす。
それは徐州の名士である臥龍と呼ばれていた諸葛亮(孔明)である。

この諸葛亮の出会いによって、劉備陣営は大きく変化することになる。
それまでの劉備陣営は劉備と個人的な結びつきを基盤とした「劉備の傭兵集団」と呼べるものだった。
それが諸葛亮を得たことで徐州の名士がこぞって劉備陣営に参入した。
劉備陣営には諸葛亮の指揮のもとに「為政者(主君)劉備とその配下」という組織変化が起こったのだ。

関羽と張飛にしてみれば旗揚げ当初から劉備と戦いに明け暮れてきた古参としてのプライドがある。
誰よりも劉備との絆は深いとの自負がある。
しかし、その関羽のプライドを破壊する場面を目の当たりにする。
そう、劉備と諸葛亮の蜜月関係である。

つまり、関羽は嫉妬したのだ。
劉備を敬愛し、劉備に誰より愛され信用されているのは自分である、という自負があった関羽からすれば、その立場を奪った諸葛亮が憎くなったのだ。
だが、劉備に「君臣水魚の交わり」と諭されて、しぶしぶ従うしかなかった。
このときの関羽とすれば、ジェラシーに燃える女子(おなご)のような状態だったのだろう。

「愛深ければ、反作用も強し」である。
義に篤い関羽も嫉妬の炎は消せなかったということだ。

関羽伝4につづく

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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