『三国志のことわざ』 今回の諺(ことわざ)は、『鶏肋(けいろく)』です。 意味は、「鶏のあばら骨。大して役に立たないが捨てるに惜しいもの」(広辞苑) 《意味の補足》 「鶏肋(けいろく)」とは、鳥の肋骨のことです。食べるにもたいして肉がついていないので腹の足しにはならないが、多少は肉がついているので捨てるには惜しい。要するに、大して役に立たないのに、捨てるに捨てられないものの意となります。 《使用の注意》 この「鶏肋」という諺は、あまりいい意味で使用するものではありません。人物評価としてこの諺を...
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曹操の記事一覧
『曹操と楊修。出しゃばりと非情さ』 前回は、漢中攻防戦の話をしました。今回は、漢中攻防戦における曹操と楊修の話をしてみたいと思います。 【ことわざとなった『鶏肋』のエピソード】 話を少し戻します。劉備と曹操が漢中を巡って戦っているときのことです。すでに陽平関を奪われ定軍山で夏侯淵が討たれてしまい、曹操軍が劣勢となっていたときのことです。 陣で食事を取る曹操に鶏料理が運ばれてきました。曹操は、鶏肉の中に混じっているあばら骨を見て、ふと、こう漏らします。 「鶏肋は食べようとしても肉はない。し...
『劉備対曹操。漢中攻防戦』 前回は、曹操の魏王就任の話をしました。今回は、漢中攻防戦の話をしてみたいと思います。 【劉備、漢中進軍】 魏王となった曹操に危機感を感じた劉備は、漢中攻略のために軍勢を動かします。217年、馬超を先鋒とした劉備軍に対し、漢中防備を任されていた夏侯淵が迎えうちます。劉備軍は、名だたる武将を引き連れての全軍出撃に近い出陣です。一方、漢中を守備する夏侯淵の部隊は、曹操軍の一方面軍でしかないのです。曹操は、この時期赤壁の戦いの屈辱を晴らすため呉と荊州を巡って南方戦線を同...
『曹操、魏王になる』 前回は、曹操が漢中を平定する話をしました。今回は、曹操の魏王襲名の話をしてみたいと思います。 【曹操、魏王への布石】 この時期の曹操は呉の孫権と合肥でにらみ合いながら、漢中へも戦線を展開しなければならなくなっていました。あの広い中国大陸で東南と西域の両方に敵を迎え撃つということはとても難しいことです。これはいかに中原を抑えた魏に国力があり、人材が揃っていたということの証です。 実質上の権力者である曹操の周辺では、曹操を魏王にしようとする動きが出ていました。(このとき...
『曹操の漢中平定と愚か者』 前回は、単刀会の話をしました。今回は、曹操が漢中を平定する話をしてみたいと思います。 【曹操、漢中出陣】 劉備は念願の蜀(益州)を手に入れました。しかし、それは一時の安寧でしかありませんでした。北では曹操が、東では孫権が領土拡大を狙って虎視眈々と動いていたからです。曹操はたびたび呉の周辺で孫権と領土争いを繰り返してきましたが、その矛先を漢中にむけました。それは隣接する蜀の劉備の力が増大するより前に滅ぼしてしまおうとしてのことです。 曹操軍は怒涛のごとく漢中に攻...
『渭水の戦い』 『渭水の戦いにおける曹操と馬超の違い』 【渭水の戦い勃発】 復讐の怒りに燃えた馬超率いる西涼軍は勢いにのって長安を攻め落とします。さらに曹洪が守る城を落して勢いを増します。西涼軍はそのまま許都へ進軍して行きました。 曹操は劣勢を挽回すべく自ら軍勢を率いて出陣。ついに西涼軍20万対曹操軍30万の大軍が対決することになったのです。 西暦211年「渭水の戦い」 初戦では西涼軍が曹操軍を圧倒し、馬超はあと少しで曹操を倒すところまで迫りました。ですが、あと少しと言うところで曹操を...
『運も実力の内』 今回は、西涼の馬騰と曹操の駆け引きについて話します。 【馬騰、曹操討伐に動く】 赤壁で大敗した曹操は、南下攻略に慎重に成らざるを得ませんでした。しかも、劉備が荊州を支配して地盤を築いてしまったのですからなおさらです。荊州の劉備と呉の孫権が組んでいては、曹操も簡単には手がだせないのです。 それでも天下統一のためには、荊州を奪還し、呉を滅ぼさなければなりません。そのために憂いの種を取り除かねばなりません。憂いの種とは、西涼の馬一族です。族長の馬騰(ばとう)は曹操と同年代で、...
『立ち塞がる古き価観秩序』 今回は、『曹操が文学に込めた新たな価値観』について話をしたいと思います。 【胴雀台の宴】 曹操というと兵法に通じる武将のイメージが強いのではないでしょうか?実は、曹操という人物は常に書物を手放さないことで有名なほど読書人だったのです。それは兵法書や歴史書に限らず、儒教の書や文学などあらゆる分野に及んでします。曹操が三国志の英雄たちの中で違うのはこの文学を愛する点なのです。つまり、曹操という男は文武両道に優れた才能を持っていたのです。 曹操は、官渡の戦いで袁紹に...
『周瑜死す』 今回は、負けを認める者が最終的に勝利を掴むという話をしたいと思います。今回が「荊州争奪編」の最終回です。 【曹操の謀略の糸】 劉備を取り逃がした周瑜は怒りを強くします。呂蒙が荊州を攻めようと主張しますが、周瑜は止めます。それは、劉備が荊州を留守にして結束が弱まったときに戦を仕掛けなかったのに、劉備が荊州に戻って結束が固まったいま戦を仕掛けることはあきらかに不利だからです。 戦のきっかけを逃した周瑜は荊州を奪還するために策を孫権に進言します。その策とは、 劉備を荊州牧に任じる...
『情と理性の狭間で』 あなたは部下の失敗を許せますか?今回は、曹操と息子たちの話をしてみたいと思います。 【曹操、四人の息子たちを試す】 許都に戻った曹操を息子たちが迎えます。曹丕、曹植、曹彰(そうしょう)、曹沖(そうちゅう)の四人です。この四人の息子たちに父である曹操は問題(質問)を出します。それは「許都に留まっているはずの刺客をどうするべきか?」ということを問うたのです。 曹彰は「城門を封鎖し、隈なく調べ上げ、わたしが成敗してくれます」と言います。曹植は、「加えて刺客に懸賞金を掛けまし...
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