『関羽対曹操・孫権同盟軍』 前回は、漢中攻防戦における曹操と楊修の話をしました。今回は、関羽対曹操・孫権同盟軍という話をしてみたいと思います。 【劉備、漢中王となる】 曹操が漢中を捨てて長安に逃げ延びたことを確認すると、劉備は軍勢を率いて漢中に入りました。するとそれまで曹操側について戦っていた漢中各地の武将たちは劉備の前に次々と投降します。領民たちは劉備の名前を聞いて喜びにわき三日三晩飲めや踊れやで歓喜したといいます。 この時期に孔明をはじめとする蜀の臣下の間で、劉備に帝位についてほしい...
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劉備の記事一覧
『劉備対曹操。漢中攻防戦』 前回は、曹操の魏王就任の話をしました。今回は、漢中攻防戦の話をしてみたいと思います。 【劉備、漢中進軍】 魏王となった曹操に危機感を感じた劉備は、漢中攻略のために軍勢を動かします。217年、馬超を先鋒とした劉備軍に対し、漢中防備を任されていた夏侯淵が迎えうちます。劉備軍は、名だたる武将を引き連れての全軍出撃に近い出陣です。一方、漢中を守備する夏侯淵の部隊は、曹操軍の一方面軍でしかないのです。曹操は、この時期赤壁の戦いの屈辱を晴らすため呉と荊州を巡って南方戦線を同...
『単刀会』 前回は、成都陥落の話をしました。今回は、単刀会について話をしてみたいと思います。 【一気に巨大化した組織の課題】 建安19年(214年)、念願の蜀(益州)を手に入れた劉備は、蜀の文官武官たちをもれもなく厚く賞して官職を与えました。劉璋には振威将軍に任じて荊州の公安に赴任させました。驚くべきことに、最期まで劉備に抵抗した劉璋の側近である黄権でさえも、劉備は蜀の高官として迎い入れたのです。黄権という人物は、徹底的に劉備に抵抗した人物です。その人物を自分の部下に迎い入れるというのはな...
『劉備、蜀を取る』 前回は、忠義な男の生き様の話をしました。今回は、成都陥落の話をしてみたいと思います。 【劉璋、宿敵張魯を頼る】 ラク城を落した劉備は勢いに乗り、成都と目と鼻の先の綿竹関を攻め取ります。それを知った劉璋は焦ります。この危機的状況を打開するために黄権がある提案をします。それは宿敵である漢中の張魯に加勢を求めるということです。 もともと蜀の劉璋と漢中の張魯とは長年いがみ合ってきました。その宿敵とでもいう相手に加勢を求めるとは一見突飛もない考えです。しかし、劉璋としてはこの策...
『忠義な男の生きざま』 前回は、龐統の死の話をしました。今回は、忠義な男の生きざまという話をしてみたいと思います。 【孔明、益州へ向かう】 龐統の死によって打撃を受けた劉備はフウ城に籠って荊州の孔明に援軍の要請をします。数日後、孔明のもとに使者の関平(関羽の養子)が昼夜駆けつけ、龐統の訃報を届けました。孔明は、龐統の死の知らせに号泣します。かつて襄陽で共に学んだ友を失って嘆かずにはいられなかったのです。 しかし、いつまでも嘆き悲しんではいられません。主君の劉備が軍師を失い益州(蜀)攻略に...
『鳳凰死す』 前回は、真実を見極められない愚か者という話をしました。今回は、落ちた鳳凰という話をしてみたいと思います。 【孫権、遺言に従って遷都】 妹(孫夫人)を取り戻した孫権は、劉備の留守を狙って荊州に攻めこもうと考えます。そこへ意外な知らせが入ります。それは、曹操が赤壁の仇を打つために四十万の大軍を率いて南下を開始したというのです。さらに悪い知らせが続きます。孫権が最も信頼していた重臣のひとりである張紘が病で亡くなってしまったのです。張紘は孫権に対して遺書を残していました。その遺書の...
『真実を見極められない愚か者』 前回は、暗愚なリーダー(劉璋)の間違いという話をしました。今回は、真実を見極められない愚か者という話をしてみたいと思います。 【劉備、蜀に入る】 劉璋は張松とともに軍勢3万と兵糧金銀などを持ち、フ城で劉備の出迎えを受けることになりました。劉璋は益州の都である成都からはるばるやってきたのです。それほど劉備の援軍に期待したのです 劉璋と劉備は同族ということもあり意気投合しました。しかし、お互いの臣下たちの思惑はまったく違ったものでした。 劉璋の部下は劉備が蜀...
『良薬は口に苦し』 前回は、不遜な言動は損をするという話をしました。今回は、暗愚なリーダー(劉璋)の間違いという話をしてみたいと思います。 【張松、劉備に心酔する】 曹操に酷い仕打ちを受けた張松は、荊州の劉備を頼ることにしました。張松が荊州城の郊外までくると、趙雲が出迎えていました。そこには酒宴の席が設けられています。さらに進むと関羽が太鼓を打って出迎えています。今度も手厚い歓待を受けました。 張松を出迎えるよう指示したのは龐統(士元)でした。曹操に援軍を断られた張松が、劉備を頼ると予想...
『世間知らずな言動は身を滅ぼす』 今回は、不遜な言動は身を滅ぼすという話をしてみたいと思います。 【張魯、「蜀」侵略を企む】 曹操に敗れた馬超は、漢中の太守張魯を頼ります。漢中、そこはその昔漢王朝を築いた高祖劉邦が天下統一の足がかりとした地。漢民族の中心である中原から見れば僻地です。僻地であるがゆえに30年もの間、朝廷からの征伐も各地の諸侯からの攻撃にもあわずに平安を維持してきた土地だったのです。 しかし、西涼軍の馬騰、馬超が破れ曹操によって西涼が支配されたいまとなっては曹操の手が伸びて...
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