『曹操の死』 前回は、義の英雄関羽の死の話をしました。今回は、乱世の奸雄曹操の死の話をしてみたいと思います。 【関羽の死に対する曹操と孫権の違いとは?】 関羽を打ち取った孫権は、関羽の首を魏の曹操に献じました。それは劉備(蜀)の恨みを恐れて、禍を魏に転じようとしたからです。 劉備と関羽は桃園において「生まれたときは違えども、死すべき時は共に」と誓った義兄弟(と言われている)です。関羽を殺された劉備の落胆と怒りは想像を絶するものがあります。孫権は、劉備が関羽の恨みを呉に向け、蜀の軍勢を差し...
本編5【英雄帰天編】の記事一覧
『関羽の死』 前回は、関羽対曹操・孫権同盟軍という話をしました。今回は、義の英雄関羽の死という話をしてみたいと思います。 【呂蒙と陸遜の計略】 先鋒の龐徳の首を斬られ、大将の于禁を捕らえられ、樊城(はんじょう)が落城寸前になったことで曹操は焦ります。曹操がどれだけ焦ったかというと、都を移して難を逃れようと言い出すほどに危機感を感じていたのです。そこで仲達が、孫権を動かし関羽の背後から襲わせる作戦を画策するのです。孫権としても、この機会に荊州を取り戻す最大のチャンスと見てとったのです。関羽は...
『関羽対曹操・孫権同盟軍』 前回は、漢中攻防戦における曹操と楊修の話をしました。今回は、関羽対曹操・孫権同盟軍という話をしてみたいと思います。 【劉備、漢中王となる】 曹操が漢中を捨てて長安に逃げ延びたことを確認すると、劉備は軍勢を率いて漢中に入りました。するとそれまで曹操側について戦っていた漢中各地の武将たちは劉備の前に次々と投降します。領民たちは劉備の名前を聞いて喜びにわき三日三晩飲めや踊れやで歓喜したといいます。 この時期に孔明をはじめとする蜀の臣下の間で、劉備に帝位についてほしい...
『曹操と楊修。出しゃばりと非情さ』 前回は、漢中攻防戦の話をしました。今回は、漢中攻防戦における曹操と楊修の話をしてみたいと思います。 【ことわざとなった『鶏肋』のエピソード】 話を少し戻します。劉備と曹操が漢中を巡って戦っているときのことです。すでに陽平関を奪われ定軍山で夏侯淵が討たれてしまい、曹操軍が劣勢となっていたときのことです。 陣で食事を取る曹操に鶏料理が運ばれてきました。曹操は、鶏肉の中に混じっているあばら骨を見て、ふと、こう漏らします。 「鶏肋は食べようとしても肉はない。し...
『劉備対曹操。漢中攻防戦』 前回は、曹操の魏王就任の話をしました。今回は、漢中攻防戦の話をしてみたいと思います。 【劉備、漢中進軍】 魏王となった曹操に危機感を感じた劉備は、漢中攻略のために軍勢を動かします。217年、馬超を先鋒とした劉備軍に対し、漢中防備を任されていた夏侯淵が迎えうちます。劉備軍は、名だたる武将を引き連れての全軍出撃に近い出陣です。一方、漢中を守備する夏侯淵の部隊は、曹操軍の一方面軍でしかないのです。曹操は、この時期赤壁の戦いの屈辱を晴らすため呉と荊州を巡って南方戦線を同...
『曹操、魏王になる』 前回は、曹操が漢中を平定する話をしました。今回は、曹操の魏王襲名の話をしてみたいと思います。 【曹操、魏王への布石】 この時期の曹操は呉の孫権と合肥でにらみ合いながら、漢中へも戦線を展開しなければならなくなっていました。あの広い中国大陸で東南と西域の両方に敵を迎え撃つということはとても難しいことです。これはいかに中原を抑えた魏に国力があり、人材が揃っていたということの証です。 実質上の権力者である曹操の周辺では、曹操を魏王にしようとする動きが出ていました。(このとき...
『曹操の漢中平定と愚か者』 前回は、単刀会の話をしました。今回は、曹操が漢中を平定する話をしてみたいと思います。 【曹操、漢中出陣】 劉備は念願の蜀(益州)を手に入れました。しかし、それは一時の安寧でしかありませんでした。北では曹操が、東では孫権が領土拡大を狙って虎視眈々と動いていたからです。曹操はたびたび呉の周辺で孫権と領土争いを繰り返してきましたが、その矛先を漢中にむけました。それは隣接する蜀の劉備の力が増大するより前に滅ぼしてしまおうとしてのことです。 曹操軍は怒涛のごとく漢中に攻...
『単刀会』 前回は、成都陥落の話をしました。今回は、単刀会について話をしてみたいと思います。 【一気に巨大化した組織の課題】 建安19年(214年)、念願の蜀(益州)を手に入れた劉備は、蜀の文官武官たちをもれもなく厚く賞して官職を与えました。劉璋には振威将軍に任じて荊州の公安に赴任させました。驚くべきことに、最期まで劉備に抵抗した劉璋の側近である黄権でさえも、劉備は蜀の高官として迎い入れたのです。黄権という人物は、徹底的に劉備に抵抗した人物です。その人物を自分の部下に迎い入れるというのはな...
『劉備、蜀を取る』 前回は、忠義な男の生き様の話をしました。今回は、成都陥落の話をしてみたいと思います。 【劉璋、宿敵張魯を頼る】 ラク城を落した劉備は勢いに乗り、成都と目と鼻の先の綿竹関を攻め取ります。それを知った劉璋は焦ります。この危機的状況を打開するために黄権がある提案をします。それは宿敵である漢中の張魯に加勢を求めるということです。 もともと蜀の劉璋と漢中の張魯とは長年いがみ合ってきました。その宿敵とでもいう相手に加勢を求めるとは一見突飛もない考えです。しかし、劉璋としてはこの策...
『忠義な男の生きざま』 前回は、龐統の死の話をしました。今回は、忠義な男の生きざまという話をしてみたいと思います。 【孔明、益州へ向かう】 龐統の死によって打撃を受けた劉備はフウ城に籠って荊州の孔明に援軍の要請をします。数日後、孔明のもとに使者の関平(関羽の養子)が昼夜駆けつけ、龐統の訃報を届けました。孔明は、龐統の死の知らせに号泣します。かつて襄陽で共に学んだ友を失って嘆かずにはいられなかったのです。 しかし、いつまでも嘆き悲しんではいられません。主君の劉備が軍師を失い益州(蜀)攻略に...
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